第7話 前提崩壊
僕は影守さんの姿に、すっかり目を奪われていた。
目の焦点が彼女だけに絞られ、被写界深度の浅いレンズに変わる。霞んだ背景は光を孕んで輝き、見慣れた廊下が別世界のようだ。
「相変わらず美人だな。せっかくだし、話しかけてみようぜ」
「え? おい、弘人! おまっマジか!?」
固まる僕を置いて、あろうことか本当に話しかけに行く弘人を慌てて追いかける。
「おはよー。冴夜ちゃん久しぶり。どしたん? 体調でも崩してた?」
まるで普通の友人のように話しかける弘人に、僕は馬鹿みたいに焦っていた。僕は当然として、弘人も彼女と話したことなど一度もないはずだからだ。
影守さんとは一年から同じクラスだが、彼女は誰とも親しく話さない。
一年前、圧倒的な容姿で話題をかっさらって以来、いつも一人だった。
アプローチした生徒は男女問わずすべて撃沈。「諦める」のではなく「逃げ去る」羽目になる。それが彼女との会話なのだ。
そんな彼女にいきなり話しかけるとか、コイツはなんて恐ろしい真似を――。
「おはよう繁定君。病気じゃないわ。家の都合で少し休んでいただけだから」
「影守さんが普通に喋った!?」
「……囮、お前」
「あ――」
最悪だ……穴を掘ってそのまま生き埋めになりたいほどの失態。
「…………」
影守さんは何も言わず、じっと僕をみつめている。
引いているのか、怒っているのか。けれど――その感覚には不思議な既視感があった。最近、ふとした瞬間に感じる視線と、全く同じ気配。
(まさか、影守さんが僕を見ていた? いったい何のために――)
「――家隠君」
「はい!?」
素っ頓狂な声を上げる僕を、弘人が冷ややかな目で見ていた。
もうダメだ。いますぐそこの窓から飛び降りてしまいたい。
「単刀直入に聞くけれど、貴方――――」
極めて重要そうな響きを持った彼女の言葉。だが、その続きを聞くことは出来なかった。運悪く、担任が影守さんを呼びに来てしまったのだ。
「……なぁ、いま影守さん、なんて言おうとしてたのかな?」
「さぁな。囮がおかしな反応しまくるから引かれたんじゃね」
職員室へ向かう彼女の後姿を見送りながら、僕らは身のない会話をして席に着いた。
あの時、影守さんを呼び止めるべきだったのかもしれない。でも、彼女の青い瞳に宿った冷たく剣呑な光――あれはただのクラスメイトに向ける目じゃなかった。なぜ僕をあんな風に見ていたんだろう。
◇◆◇
結局、影守さんは戻らないまま午前が終わり、僕らは昼休みの食堂へ。
「お? 今日の日替わり生姜焼きじゃん。俺、好きなんだよね」
「じゃあ日替わりの大盛りにするか?」
「おう。味噌ラーメンの大盛りな。チャーシューも追加で」
「やっぱラーメンじゃん」
食券を渡し、割烹着のおばちゃんから料理を受け取ろうとした時――カウンター下の壁に目が留まった。
(……なんだろ? 何か、変な模様が……落書き?)
紫色のクレヨンで描かれたような、幾重もの円と謎の筆記体。
「どうかしたかい? ご飯足してあげようか?」
「あ、大丈夫です!」
慌てて受け取り、もう一度目をやると、壁の模様は綺麗さっぱり消えていた。
見間違い……だろうか。
「おーい、囮、こっちこっち」
釈然としない違和感を抱えたまま、窓際の席に着く。賑やかな食堂を見渡すと、見覚えのある姿が目に入った。向こうも僕らに気づき、こちらへ歩いてくる。
「こんにちはー。あたしも、お邪魔していいです?」
汐遠が女子のグループを抜け、僕の隣に腰掛けた。
彼女の昼飯はたぬき蕎麦らしい。
「俺たちはいいけど、クラスの女子と飯食ってたとこ抜けて大丈夫なのか?」
気遣う弘人に、汐遠はクスクスと笑う。
「優しいんですね……繁定先輩。もしあたしがイジメられたら、骨は拾ってもらえますか?」
おかしな言い回しだった。
使い方的には誤用だと思うけれど。
「おう。そんときは助けるし、仮に不登校になっても毎日会いに行くよ」
「あ、違います。拾ってほしいのはイジメっ子の骨です。物理的に」
「物騒すぎるわ!? 誤用じゃなかったのかよ!」
僕が突っ込むと、汐遠は嬉しそうに種明かしをした。
「ふふふっ。心配してくれて、ありがとうございます」
「いや、いまは汐遠より周りの女子が心配だわ」
「ひどーい。いいですけどね別に。あたしはあの子たちに頼まれてこっち来たんで」
「ん? そうなん?」
弘人が訝しげに尋ねる。
「繁定先輩のこと知りたいんですって。知り合いだって言ったら、色々聞いてきてーって追い出されちゃいました」
遠くの女子グループを見ると、確かにこちらの様子を遠巻きに窺っていた。
「あと、七不思議のことも少しだけ聞いたんで、囮先輩にお話しようかなって」
その言葉を受け、僕は今朝と春休み明けの出来事をかいつまんで話した。命が危ないかもしれないということも含めて。
汐遠が聞いてきた話は、残念ながらすでに知っているものだった。
「なるほどな……急に七不思議なんて言い出すから何かと思ったわ」
「囮先輩、そんな目に……でもあたし、学園でそういうの見かけたことないですよ?」
「汐遠が視えてない?」
「はい。七不思議の舞台になってるとこ、いくつか通ったりもしましたけど、何もなかったです」
嫌な想像が頭を過ぎった。
僕の体質のせいか、あるいは僕だけが狙われているのか……。
「んで、その七不思議だけど……」
いつの間にかラーメンを食べ終えていた弘人が、水を一口飲んで口を開く。強張ったその表情に、僕の背筋が伸びた。
「実はウチのコレってさ――――七つじゃないんだよな」




