第9話 『飛び降り自殺の叶恵さん』
僕が彼女――叶恵さんと出会ったのは、去年の夏だった。
入学当初の初々しさも無くなり、体育祭という大型イベントを経て、本格的にみんなが交流を持ち始めた七月。
期末テスト後の、授業毎に返却される答案を戦々恐々として迎える日々が過ぎれば、すぐに待ち望んだ夏休みが始まる。
そんな日の放課後のこと。
当時の僕は、独り荒んでいた。
素行悪く荒れていたのではなく、心が荒みきっていたのだ。
原因は、年に数回しか帰ってこない両親が家に居るという、とてもつまらない理由だった。
『あの人たちと過ごす時間を一秒でも減らしたい』
だから僕は、放課後の学園に用もなく居座り続けていた。
そしてふと廊下に出て……同じクラスの女子数人が、一人を追い詰めている場面に出くわした。
「お前さ、先生になんか変なこと話しただろ?」
「……わ、私は……別に、何も……」
「とぼけんなよ。じゃあなんでウチらとアンタが、呼び出されたわけ?」
一見おしとやかな見た目にそぐわない、ドスの聞いた声。
「見てしまった」――そんな言葉が、頭に浮かんだ。
『どこにでもある』ということは知っていても、直接この目で見るのは初めてな光景。行為。イジメ。それも僕のクラスメイトという、ごく身近な人間による非道。
その瞬間、頭に血が上ったのを感じた。
……こんな言い方だと、まるで正義感に燃えていたかのようだけれど、それを肯定するのは憚られる。
正直この時の僕は、両親への鬱憤が溜まっていたせいで苛ついていたからだ。つまり半ば……半分くらいは、八つ当たりだったかもしれない。
そんな身勝手な怒りを胸に、僕は彼女たちに声をかけようとして――――、
「イジメ、ですか?」
『何か』に先を越された。
いつの間にそこに居たのか、血まみれの少女が立っていた。頭は半壊し、首はあり得ない角度に折れ曲がっている。距離が離れていたのが幸いだった。間近で見たら間違いなく悲鳴を上げていたに違いない。
「この学園でイジメをするとどうなるか――教エテ、アゲマショウカ?」
「ひっ!? な、なに!?」
「いやぁぁぁぁっ!?」
廊下に絶叫が響き渡り、女子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。しかし、血まみれの彼女は後を追うつもりはないらしい。ポツンと取り残されて、四人をじっと見送っていた。
そして僕は――一連の出来事に唖然としたまま、すっかり逃げ遅れてしまっていたのだ。
「うわぁっ!?」
あり得ない角度に曲がったままの首が振り返り、僕は結局悲鳴を上げた。
「…………」
それと見つめ合ったまま、重苦しい沈黙が流れていく。いますぐ駆け出すべきか、それとも教室に入って戸を閉めるべきなのか。
思考ばかりが空回り、身体はピクリとも動かせない。
「アァ、ア――失礼しました。貴方は何もしなくても、視える人なんですね」
腰を抜かして取り残された僕の前で、少女はゴキリと鈍い音を立てて首を治し、綺麗な姿へと戻った。
これが彼女――飛び降り自殺の叶恵さんとの出会いだ。
噂では「イジメを苦に飛び降り自殺した生徒」とされていたが、実際は窓拭き中の事故死だったらしい。
飛び降り自殺の噂が独り歩きした結果、彼女は「自殺者がでると本物の噂が完成してしまう」ため、それを防ぐべく物理的に自殺やイジメを止めるようになった。
つまり彼女は、優しい怪異なのだ。たぶん。
あの怪談――『新校舎の招き階段』から、僕を助けてくれたし。
「あれれ? たぶんって言いました? 叶恵さんは優しい怪異です。そこは言い切りましょう」
そして現在、食堂。
過去の出会いを説明し終えた僕に、当の叶恵さんが「言い直せ」と言わんばかりの顔で口を挟んできた。
「……お……あ……」
「繁定先輩? 顔真っ青ですけど大丈夫ですか?」
限界を超えたらしい。弘人が金魚のように口をパクパクさせ、体を震わせて固まっている。
「じょ、冗談はやめろよ……叶恵さんが、ここに居るのか?」
「いえ、もうどっか行っちゃいましたよ」
汐遠の優しい嘘も虚しく――
「おや? 視えてない方もいるのですね。それはおもしろ……もとい、ちゃんとご挨拶しないと――」
「うおあぁぁっ!? なんだなんだ!?」
叶恵さんがニヤリと笑った瞬間、弘人が悲鳴を上げて椅子から転げ落ちた。周囲の視線が集まるが、僕はそれどころではなかった。
「まさか――――弘人にも、視えたのか?」
「ふっふっふっ。条件さえ揃えば、視せることは可能なのですよ」
顔の半分を血で染めたドヤ顔は不気味そのものだったが、彼女の言葉でピンときた。
叶恵さんの詳細な噂。
僕と汐遠の視線。
そこに居ると強く意識すること。
「……『認知』したからか」
口をついた僕の言葉に、叶恵さんが満足げな顔を見せる。
「私は立場上、あくまでヒントしか出せませんので。固有の条件以外は概ね、囮さんのご想像通りです……では、お邪魔しました」
叶恵さんは丁寧にお辞儀をすると、空気に溶けるように消えた。
「騒がせてごめん、何でもないんだ」
どよめく周囲の生徒に頭を下げ、ガタガタ震える弘人を助け起こす。
「脅かして悪かった。でも彼女は安全だから――」
「囮すまん。俺、今日は帰るわ……」
「え? 帰るってお前」
「悪いな……これ、渡しとくから。残りも全部そこに書いてある」
青ざめた弘人は震える手でメモ帳を僕に押し付けると、おぼつかない足取りで食堂を去ってしまった。
「行っちゃいましたね……繁定先輩、大丈夫ですかね?」
「……後で電話してみるよ。とりあえずメモを置いていってくれたから、放課後に調べてみる」
旧校舎の彼女の例もある。ルールを守っていれば大丈夫にしても、僕が現場に行ってどうなるかは確認しておきたい。
残されたメモを握りしめると、隣の汐遠がまっすぐな瞳で僕を見つめてきた。
「先輩。それ――あたしも一緒に行ってもいいですか?」




