第10話 調査怪始
「え?……新校舎ですか? 旧校舎じゃなくて?」
放課後。
部活中の生徒も下校し始めた午後六時半。人が減りつつも誰もいないわけではない。そんな頃合いを見計らい、汐遠と新校舎の昇降口で合流する。
「あぁ。弘人のメモによると、旧校舎の噂は本物っぽいんだ。だから先に、曖昧な新校舎の方を調べておきたい」
嘘だった。メモにある旧校舎の怪異はどれも危険度が高い。僕だけならともかく、汐遠を巻き込むリスクは避けたかったのだ。
まあ、いきなりヤバそうなところに飛び込むのはちょっと。なんて情けない本音もあるけれど。
「じゃあどこから行きます? 新校舎の七不思議ってどんなのでしたっけ?」
「『理科室の横取り人体模型』、『新校舎の招き階段』、それに『図書室の瞳さん』と――」
改めて見るとすごいな弘人メモ。危険度順にランク付けまでしてある。想像以上の精巧さだ。
「あたしにも見せてください」
唐突な接近に心臓が跳ねた。身体を預けるようなゼロ距離の密着。ふわりと香る、甘く爽やかな花のような匂い。整った横顔を見つめれば、薄く塗られたリップがしっとりと潤んでいる。
「新校舎を見るなら、先に噂の密集してる体育館に行ってみませんか?」
「あ、あぁ……そうだな」
顔を覗き込んでくる赤い瞳が近い。近すぎる。ほんの少し傾けるだけで、唇が触れてしまいそうな距離――。
「だぁっ!?」
「きゃあっ!? なになに!?」
思わず飛びのいてしまった。冗談じゃない、無防備にもほどがあるだろう。女子に免疫のない男子なら、勘違いしてしまいそうな距離感である。つまり僕だ。勘弁してほしい。
「急に叫ばないでくださいよ! びっくりしたー」
「なんでもない。ほら、行くぞ」
「あ、ちょっと、待ってください! 急に置いてかないで!」
膨れる彼女を置いて、足早に体育館へ向かう。気を引き締めないと。僕の命がかかっているのだから。
◇◆◇
「誰も……いませんね」
どうやらのんびりしすぎたらしい。
体育館の部活勢はすでに下校した後だった。
「まぁ、それはそれで目立たなくて済むし」
少しでも誰か居た方が危険は少ないという目論見は、早くも崩れ去ってしまったようだ。でも、だからといって引き上げるわけにはいかない。
「ん~……どの噂から確認しましょうか?」
体育館にまつわる噂で、調べておきたいのは三つ。
『体育倉庫の熱血キャプテン』、『更衣室の盗殺魔』、それから――――、
「この『ステージ下にある秘密の小部屋』って話だけ、弘人も調べきれてないらしい」
メモ帳に曰く、
『危険度:???
場所:体育館のステージ下。
概要:収納庫とは別に、誰一人開けることのできない「謎の小部屋」があると噂されている。その部屋からは、時折、何かを叩くような、規則正しい「コン、コン」という音が聞こえてくるそうだ。
在校生から卒業生まで聞いて回ってみたが、「振り子の音」だの「学校の時間を刻む音」、「部屋の中には何もない」という、よくわからん曖昧な答えしか聞けなかった。
「誰か開けてみたことは?」と聞くと、「有ったかもしれない」、「よく覚えていない」「開けてはいけない」なんて証言しか出てこない。これ以上は調べようがないので保留。
たぶん、危険はそんなにないっぽいか?』
「ないっぽい……なら、ほっときます?」
「せっかく来たし、一応見ておこう」
「でも先輩、収納庫って鍵かかってませんか?」
「もちろん準備してある。合流する前に、叶恵さんが持ってきてくれたんだ」
「おー。叶恵さんやたら協力的なんですね。ダメな先輩のことよく分かってる」
「ぐ……先輩のプライドとして言い返したいのに、何も言い返せない」
「変に言い訳されるより高評価ですよ? まあ、元が低評価だからマシって意味ですけど」
「後半言う必要あったか?」
「先輩も叶恵さんの話、しなければ良かったのに」
「何でも自分の手柄みたいに言うやつ、僕は嫌いなんだよ」
「まじめー。先輩ってアレですね。デートした後、ずっと独り反省会とかしてそう。あ、でも分かんないですよね。すみません」
「おい、僕がデートしたことないと決めつけるな」
「あるんですか?」
「……」
なかった。
悔しいが女の子と二人きりで放課後を過ごすこと自体、いまが人生初だ。
「……えっと、ステージ下の鍵ってどれだろ?」
「あー、話逸らした。下手くそすぎません?」
「うっさいわ!」
これ以上話してると、怪異に出会う前に僕のメンタルが死ぬ。
ステージ下の木目調の引き戸……鍵はどれだろう。
適当に差し込んでみれば三度目で鍵が回り、戸を開け放った。十五メートルほどのステージに、大きな引き戸が六組。鍵穴は左右の戸先についているので、それを順に開けていく。
中に仕舞われていたのは、式典や集会用の椅子に長机。あとは暗幕とパネルくらいで、特におかしなものは何もなかった。
だが一瞬。
最奥の暗闇に、あの食堂で見た『紫色の模様』が浮かび上がって見えたのは気のせいか。
(――まただ。これも何かの噂に関連したモノなのか。メモにそれらしい話は見当たらなかったけれど……)
目を凝らしてもただの暗がりでしかない。
たぶん見間違いだろう。
「……普通だな。異常なし。小部屋もなさそうだ」
さすがに中の台車を引き出すのは止めておく。そんな奥にあるのだとしたら、間違って関わることもないはず。
「いえ――――先輩。メモ通りだったみたいですよ」
台車の隙間を覗き込む僕の背後から、汐遠の低く張り詰めた声が届いた。彼女は食い入るように、ステージの右隅を見つめている。
メモ通りって……、
『収納庫とは別に、誰も開けることのできない「謎の小部屋」がある』
汐遠の視線を追うと――そこには、他の半分ほどの大きさしかない観音開きの扉が存在していた。
「……僕は引き戸を開けるとき、ちゃんと確認してた。こんな扉、さっきまでは無かったはずだ」
「あたしも見てました。でも、気づいたらそこに、有ったんです」
木目調で統一された引き戸の中で、そこだけが不自然な『蒼い金属製』の扉。見落とすはずがない。いま、空間が歪むようにそこに現れたのだ。
高さ一メートルほどの小さな金属扉。
凝視する僕たちの耳に、その奥から微かに。
――――コン、コン、と。
時間を刻むような、規則正しい音が響いていた。




