第3話 青春よりも大事なこと
偶然に端を発した奇妙な連休中《GW》の事件。
その詳細については、一旦置いておくとして。
あれ以来、僕はなぜか汐遠に、やたらと懐かれることになった。共に問題を乗り越えた仲間意識――汐遠は『見えちゃうズ』という、口に出すのもアレな名前を、恥ずかしげもなく命名していた――によるものか。理由は分からないけれど、たぶんそんなところなんだろう。
「――先輩? どうかしました?」
「ん? あぁ、ごめん。ぼーっとしてた」
連休明けの五月。
通学路で偶然汐遠と出会った。僕にとって人生初の、『女の子と登校する』実績解除である。その一大イベントが嬉しさより、妙な気恥しさに負けるのは経験値の問題なのか。不甲斐ない限りだが、彼女は微塵も気にしていないようだ。
「あらら。寝不足ですか? それともお引越し疲れですかね?」
隣を歩いていた汐遠が、突然そんなことを言い出した。確かに連休最終日、僕は唐突に引っ越しをする羽目になったけれど――
「……なんで瑞々さん――いや、汐遠がそんなこと知ってるんだ」
口にしかけた苗字を、じろっと睨まれて渋々名前で呼び直す。彼女に引っ越しの話をした覚えはない。
「えー? だってあたし好きな人のことはー、何でも知りたくなっちゃうタイプなんでー」
なんだろう。指を絡めながら上目遣いに僕を見る仕草が、やけにこなれている気がする。可愛いけど、これが告白なら秒で疑心暗鬼になりそうだ。
「行き過ぎた愛情って怖いよな」
「冗談ですよ。あたしご近所さんなんで、見かけたら気になるじゃないですか」
「気になる? 別に他人の引っ越しなんて気にしないだろ」
「そりゃ気になりますって。だって一年も空き家だった『お化け屋敷』に引っ越してきたんですよ?」
お化け屋敷……ね。
あの家、近所ではそんな風に思われていたわけだ。
「あ……ごめんなさい。先輩のお家なのに、失礼なこと言っちゃいました」
「いや、別にいいよ。間違ってないし、そもそも僕だってあの家は――」
嫌いだった――そう言いかけて思い直し、口をつぐむ。わざわざ彼女に話すような話題でもない。
「先輩?……やっぱりちょっと怒ってます?」
言い淀む僕の態度を誤解したのだろう。
汐遠が不安げな顔を覗かせる。
「まったく。全然気にしてないから、汐遠も気にしないでくれ」
本当にそうなのだけど、汐遠は申し訳なさそうにあれこれ弁解し続けていた。
否定すればするほど沼にはまっていく気がする。
「……近くに住んでたんだな。新市街じゃないんだ?」
話を変えると、なぜか彼女は困ったように微笑んだ。
お茶を濁すべく振った話題だけど、実はそれなりに気になったことでもある。彼女と出会ったのは新市街だった。だからてっきりそっちに住んでいると思っていたが、違うのだろうか。
「あー……それはその、今日はたまたま旧市街にいて、みたいな? 彼氏が帰してくれなかったから――って言わせないでくださいよ! 恥ずかしい!」
言いながら汐遠は視線を地面へ落とし、口元に手を添えて照れてみせる。その淀みない流れに合わせ、僕は目を逸らした。
別に可愛くて明るい後輩に彼氏がいても、僕は驚いたりしない。しないけれど……なんか変に、モヤっとした気持ちにはなる。
たぶん、『いつか』の選択肢が消えることへの抵抗。無意識に感じる『選ばれなかった』感覚。この気持ちに理屈をつけるなら、そんなところだろう。
だから決して、彼女に彼氏がいたからどうというわけではない。……たぶん。
「……聞いてねぇし。なんなら知りたくもなかったわ」
「あは! ショックでした? 安心してください、全部嘘ですから。ご近所さんは本当ですけど、あたしフリーですよ? 経験もないですし」
「だから聞いてねぇよ! そういう反応に困る話やめて!?」
「あれれ? 先輩ってば顔真っ赤ですよー?」
「うっさいわ!」
悪戯っぽく笑う彼女は実に楽しそうだ。後輩に弄られるのは先輩としてどうかと思うが、嫌な気はしなかった。
「……ほんと、素直な人。だからきっと、惹かれちゃうんでしょうね」
ひとしきり笑った後。
汐遠はふっと落ち着いた声でそう言うと、不意に僕の背中へ手を伸ばした。
今朝からずっと肩のあたりが妙に重いと思っていたのだが――彼女は僕の背中にしがみついていた小さな猫の怪異を、そっと掴んで引き剥がす。
「んなー」
猫は不満げな声を上げると、空気に溶けるように消えてしまった。
その様子に「……すまん」と礼を言う僕に、「いえいえ」と彼女は笑う。
「気味が悪いだけだよ……こんな体質、嬉しくもなんともない」
「あたしみたいに、視えるだけならともかく――ですか。でもでも、おかげで私と出会えたわけですし? 面倒なこと全部ひっくるめても、絶対プラスですよ」
「そういうの、本気で言えるやつ初めて見たぞ」
彼女の自信はどこから来るのだろう。
前向きで明るい振る舞い。自分には無いその強さに憧れる。僕の想像する『ギャル』という存在のイメージが、そのまま形になったような女の子だ。
「ふふっ。ちゃんと先輩に『出会えて良かった』って思わせる自信がありますから」
「……なんか、その言い方だとさ」
「はい? どうかしました?」
まるで――僕の特別な人にでもなってくれるみたいじゃないか――そう口にしようとして、呑み込んだ。そんなつもりはないだろうし、意識していると思われるのも気まずい。
「いや、なんでもない」
確かに彼女のような女の子がそばにいれば、とは思う。学園生活も、この嫌な体質のことも、すべて吹き飛ぶくらい華やかになるのかもしれない。
だが、それは――あくまで『普通の学園生活』での話だ。
彼女がどれほど眩しく僕の青春を照らしてくれようと、この不安だけは拭えない。
去年まで、学園はただの学校だった。
けれど進級してからは違う。
学園は春休みの間に、理不尽を煮詰めた魔窟になっていた。靴を右から履いただけで処刑されるような、冗談にしてもまったく笑えないふざけた空間に。
だから今の僕に必要なのは、甘やかな青春の兆しではない。
生き残るための情報収集だ。
のどかな怪異たちとは違う、実害をもって襲い掛かってくる存在。
――『学園の七不思議』という、怪異の脅威に対抗するために。




