第12話 『体育倉庫の熱血キャプテン』
マットや備品が放つ、倉庫特有の籠った淀み。汗と埃の入り混じる、青春の香り。
その空気を纏い、他の怪異と同様に。
彼――『体育倉庫の熱血キャプテン』はそこにいた。
ボール入れを背にし、腕を組んで立っている。見上げるほどの高身長。短く刈り上げた髪に、岩のような四角い顔。
僕らを見下ろす、鋭い細目。
「答えろ。お前らはここで何をしている」
重厚な声が倉庫に響く。
タンクトップから覗く筋骨隆々な肉体は、もはやスポーツマンというより格闘家だ。短パンが太ももにみっちりと張り詰め、異様な威圧感を放っている。
――――何故だ。
噂が存在している以上、居ないとは思っていなかった。けれど、僕たちは『彼』を呼び出すための条件を、何一つ満たしていないはずなのに。
(僕に守れるのか? 襲われたら、汐遠を)
体格差は比べるのも馬鹿らしい。あの腕を一振りされただけで、僕など簡単に吹っ飛ばされるだろう。
想像するだけで胃が縮こまる。
それはいったい、どれほどの痛みと衝撃なのか。
骨が折れる。あるいは内臓が破裂するかもしれない。想像するだけで指先が冷えていく。
――――体育倉庫だ。
彼は旧校舎の女子生徒と同じ、場所を指定された怪異のはず。ならせめて、汐遠が体育倉庫を出ることさえできれば――――
「先輩、この人……」
汐遠の声が震えている。その動揺がありありと伝わってくるようだ。最悪の失態だが、後悔している暇はない。
恐怖を押し殺し、彼女の前に進み出る。
「へ……へ………」
「……ん?」
わずかな違和感。なんだろう。
彼女の声に、僕の感じる恐怖とは違う色が混ざって――――、
「へ――――変態じゃないですか!!」
「汐遠!?」
耳を疑う酷い暴言に振り返る。彼女は涙目で後ずさっていた。
「なんで服がパツパツなの!? どうしてそんなの履いて盛り上がった股間見せつけてくんの!? 無理! マジキモい!!」
「だ……誰が変態だ! このたわけ! 見せつけてなどおらんわ!」
キャプテンの怒号に倉庫の空気が揺れる。
いや、揺らいでいた。燃えるような陽炎。薄暗い室内はまばゆいオレンジに。急上昇した部屋の温度が、ちりちりと肌を焼く。吸い込む空気さえも熱を帯び、肺の奥がじりじりと焦げるようだった。
「やだ、近寄んないでよ変態! だいたい呼んでもないのに何で出てくるわけ!?」
「俺の神聖な領域に、お前らがいかがわしい気配を持ち込むからだ! ところかまわず盛りやがって!」
「なにそれ童貞かよ。いるよねー男女が二人で居るとすぐそうやって決めつける人。言っとくけど、先輩とはそんなんじゃないから!」
暑い。噴き出す汗が止まらない。
とばっちりだ。おまけに何かが刺さって胸まで痛い。というか、なぜ僕が二人の罵詈雑言の間に挟まれているんだ。
「やかましい! だいたいなんだその派手な見た目は? ただれた生活態度が透けて見えるぞ! このビッチが!」
「はー!? あたし処女ですけど!? これでも身持ち固いんで、見た目で語らないでくんない!?」
キャプテン吠える。室温上がる。
そろそろ服とか溶けだしそう。
「お前のような品も慎みもない生娘がどこにいる!」
「アンタこそスポーツが〜とか言って、実はそっちが未練だったりして!」
「なっ…………!?」
ふいに、燃え盛る室内が元に戻った。
キャプテンは石像と化していた。
「……汐遠。亡くなった人に、それは言い過ぎだ」
「……すみません。言い過ぎました。売り言葉に仮言葉です……」
「買い言葉な」
「はぁ……まったく。お前ら、なにか勘違いしてないか?」
キャプテンは軽く息を吐くと、ボール入れに腰かけた。一触即発の緊張感はすっかり消え失せている。
「そもそも未練とはなんだ。それではまるで、俺が幽霊みたいじゃないか」
「え? 違うんですか? 夢を諦めざるを得なくなったとかって」
「馬鹿な。『その程度』の未練で残るほど、幽霊ってのは単純じゃない。俺も噂が作った存在さ。噂の元になる生徒はいたんだろうがな。要は叶恵くんと似たようなもんだ」
「叶恵さんを知ってるんですか?」
怪異に繋がりがある。そんな話は聞いたことも、考えたこともない。
「知らん奴はいないさ。なにしろ歴が違う。この学園に何十年イジメが存在していないか調べてみるといい。きっと彼女を見る目が変わるぞ」
キャプテンの言葉はどこまでも誠実だった。
怪異としての人格。彼女もそうだ。何十年も、一人で生徒を守り続けてきた叶恵さん。それは意志があるように見える彼女にとって、どんな日々だったのか。
彼女に救われた人間は、きっと、一人や二人ではないのだろう。その重みに胸が詰まる。
「……キャプテンも、生徒に危害を加えないようにしてもらうことは出来ませんか?」
「先輩、それは無理ですよ。キャプテンは願いの対価に身体の一部を奪う怪異ですし」
「おい、なんだそれは。誰が生徒を襲うって?」
キャプテンが眉をひそめ、僕は思わず問いかけた。
「え? 違うんですか?」
「……ああ、お前らそっちを信じたのか。それは不味いな」
苦々しい顔を浮かべ、彼は言う。
「噂に尾ひれがついた……というより、誰かがわざと改変したんだろうな。悪意があったのか面白半分なのか、理由は知らんが。それに、俺の言い方も悪かったのかもしれん」
「言い方が悪い?」
「『勝ちたければ、お前の大切なモノを捧げろ』ってな。たぶんそこから歪んだんだろ」
ふっと力なく笑うと、キャプテンは噂の真実を語り始めた。




