第9話:客先常駐(王城出向)の朝と、権限委譲された長男
アルマ殿下との地獄の要件定義 (ミーティング)を終え、僕は重い足取りで自室へと戻ってきた。
部屋に入ると、僕が応接間で拘束されている間に風呂で汗を流し、見事『入浴済みアカウント』として認証を突破したヴァンス兄さんが、すでに僕のベッドを占拠して爆睡していた。
ランニングマシンの改造や試運転で埃まみれになっていた僕も、共有のバスルームへ向かい、ゆっくりと湯船に浸かって疲労(と特大のストレス)を洗い流した。
やがて夕食の時間になり、「兄さん、ご飯だよ」と揺さぶってみたものの、「んニャ……肉……」と寝言を言うだけで全く起きる気配がない。
仕方なく僕は一人で1階の食堂へと向かった。
「あら、ヴァンスは一緒じゃないの?」
席に着くなり、母・シルヴィアがおっとりと首を傾げた。
「剣の稽古で疲れているんでしょうね。声をかけたんですが、まったく起きる気配がなくて……。今頃、僕のベッドで気持ちよく爆睡してますよ」
「あらあら」
「まったく、仕方ないやつだな」
母上がふんわりと微笑み、長男のクレスト兄様が呆れたように銀縁眼鏡を押し上げる。
そんな平和な会話の横で、上座の父・コンラッドは完全に機能停止していた。
「あぁ……明日は王城……胃が……」
(本来なら、夕食はもっと和やかな雰囲気のはずなのに。まったく、あの王子め……とんでもない爆弾(特大インシデント)を投下していきやがったぜ。迷惑すぎる……)
僕はげっそりとした顔の父上を横目に、胃に優しいスープをすすりながら内心で盛大に毒づいた。
◆◆◆
夜。
自室に戻ると、ヴァンス兄さんはまだベッドで大の字になっていた。
(……よく寝るなぁ)
僕は洗面台で歯磨きを済ませると、すぐにはベッドへ向かわず、部屋の窓辺に寄りかかった。
開け放たれた窓枠 (ウィンドウ)の向こうには、雲ひとつない澄み切った夜空が広がっている。綺麗な三日月が浮かび、無数の星々が静かに瞬いていた。
(星が綺麗だ……。雲もないし、明日は快晴になりそうだな)
それはつまり、明日も容赦なく暑くなるということだ。王城の研究室 (ラボ)に冷却システムを導入 (デプロイ)するには、ある意味で絶好の天気と言えるかもしれない。
(明日は王城に出向き、アルマ殿下と仕様のすり合わせか……完全に『客先常駐』案件だな)
涼しい夜風を浴びながら、僕は窓の外の三日月に向かって小さくため息をついた。
引きこもってダラダラ過ごすはずだった平和な日常が、どんどん遠ざかっていく気がする。
しばらく夜空を見上げて物思いに耽っていたが、明日のデスマーチ(?)に備えて、今は少しでも体力を温存しなければならない。
僕は窓を閉め、苦笑しながら兄の隣にもぐりこんだ。
大人が二人で寝ても優に余る特大サイズのベッドだ。無駄にデカい、これぞお貴族様仕様の家具 (オーバースペックなハードウェア)である。
「ほら、兄さん。ちゃんとかけないと風邪引くよ」
僕ははだけていたタオルケットを、兄の肩までしっかりと引き上げてやった。
そして、明日からの面倒なプロジェクトに思いを馳せながら、ゆっくりと目を閉じた。
――ちなみに翌朝、僕たちは二人揃って見事にベッドから半分ずり落ちていた。中身が34歳だろうと、男の子二人の寝相の悪さはどうしようもないらしい。
◆◆◆
朝食後。
僕は自室で、フォール家に長年仕える超ベテランのメイド長・マーサの手によって、普段は絶対に着ないような上等な正装を無理やり着せられていた。
柔和な雰囲気の中にも凛とした空気を纏う彼女は、母上のお世話係も兼任する我が家の実力者だ。普段は穏やかだが、こと礼儀作法に関しては一切の妥協を許さない厳しいデバッガー(検査官)でもある。
「ライナス坊ちゃま、本日は王城への登城。くれぐれも襟元を崩されませぬよう」
「うう……首周りが窮屈だよ、マーサ……」
首を絞めつけるようなタイに渋々文句を言いながら、僕は重い足取りで玄関へと向かった。
そこには、昨夜からさらに顔色を悪くした父・コンラッドと、なぜかガチガチに緊張して直立不動になっている長男のクレスト兄様の姿があった。
今回は王への公式な謁見ではなく、あくまで第一王子の個人的な研究室への招待だ。そのため、父上は「次期当主の勉強のため」というもっともらしい名目(責任転嫁)で同行を辞退し、王立学園でマナーを学んでいる14歳のクレスト兄様を、僕の引率役(保護者代理)として選任 (アサイン)したのである。
「クレスト。お前はフォール家の次期当主だ。今日の登城はお前に任せる。……いいか、王族の方々の前で、絶対に粗相のないようにな」
「は、はいっ! 承知いたしました、父上!」
胃痛をこらえながら権限委譲(丸投げ)する父の命令に、真面目なクレスト兄様は悲痛な声で返事をした。
(重い、重いよ父上……。そんなプレッシャーかけたら、クレスト兄様のシステムがフリーズしちゃうよ……)
僕は気の毒な長男を横目に、内心でそっと同情した。
そんな男たちの重苦しい空気を全く読まないのが、我が家のマイペース担当たちである。
「気をつけていってらっしゃいね〜。王城の庭園は薔薇が綺麗らしいわよ」
「王城かー! 俺も行きたいなー! 美味いもん食ってこいよ、ライナス!」
おっとりと微笑む母・シルヴィアと、朝から無駄に元気なヴァンス兄さんに見送られ、僕たちは屋敷の門前に待機していた馬車へと乗り込んだ。
手綱を握る御者のゴードンが鞭を鳴らし、馬車がゆっくりと動き出す。
向かいの席には、お供として同行する執事のノーマン。温厚な初老の紳士に見えるが、実は「若いもんにはまだまだ負けん」という凄腕の戦闘力(隠しステータス)を持つ、頼れる護衛でもある。
そして隣には、プレッシャーに押し潰されて一言も発せない長男。
(……この地獄みたいな車内の空気、どうにかしてくれ)
僕は窓の外を流れる王都の景色を眺めながら、今日アルマ殿下に突きつけられるであろう無茶な要求(要件)を、いかに最小限のスコープ(作業範囲)に抑え込むか……それだけをひたすらに計算し始めていた。




