第72話:生態系は循環する、キャサリンの艶やかさと共に 〜後日談・前編〜
マストリア合衆国の中枢、地下制御室。
つい先ほどまで国家を揺るがすテロの危機に瀕していたとは思えないほど、そこには静かで、しかし圧倒的に冷酷な空気が流れていた。
「……そ、そんな、バカな……。自由が、我が自由が……」
国軍精鋭の軍人らに拘束され、床に組み伏せられたテロリストの首謀者が、信じられないものを見る目で宙の魔法陣 (コード)を見つめていた。
そうそれは、今まさに正常を取り戻した歴史的瞬間の光景であった。
「言い残すことはそれだけですか? それでは国軍の皆さん、連行をお願いします。これでようやく、この部屋の最適化 (デバッグ)も完了ですね」
ライナスは感情の起伏がまるでない冷めた声で淡々と告げると、そっと静に魔力の糸から指を放した。
首謀者たちは、この時ようやく希望が消滅したことを思い知り言葉を失った、絶望の表情のまま、引きずられるようにして次々と部屋から連れ出されていく。
しかし、一難去ってまた一難。
テロリストたちが吐き出した「国中の地下に張り巡らされた蟻の巣のような隠し通路」の全貌を知った大統領は、即座に通信の向こうで冷徹な決断を下した。
『テロの再発を防ぐため、ただちにその制御室から5キロ圏内の違法通路を魔術的に完全閉塞させる! 残りの区域も24時間体制で厳重に警備し、1週間後には既存の換気ダクトをすべて完全閉塞する! アレン、責任者として、技術者 (エンジニア)として、その間に室内だけで完結する酸素供給の魔道具や魔法陣を組みなさい。期待しているよ!』
一方的に通信が切れた瞬間、アレン様が顔面蒼白 (チーン……)になってライナスの服を激しく揺さぶる!
「い、いっ1週間!? 24時間厳重警備!? じ、自分、そんな短時間でインフラ開発、いいいっ1週間なんて納期崩壊 (デスマーチ)確定です!! 1週間後に自分はここで窒息死、バグデータとして消去される運命なんです、どどどどしましょう、あっ、もう酸欠ですっ」
アレン様の専属使用人のカペラとポルックスがそっと両脇から、あわわしているアレン様をがっちりと捕まえたままカペラが「しっかりなさいまし、お嬢様」と、やれやれといった声が聞こえそうな表情の反対側で、ポルックスが「お嬢様、落ち着いて下さい」と力強く声をかける。しかし届いていなさそうだ。
「……はぁ。アレン様、落ち着いてください。3日です。3日でどうにかしますよ! なんせアルマ様が飽きてますし、僕も行きたい所があるので最短で完成 (デプロイ)させますよ」
なんとも頼もしいライナスの言葉にアレン様は現実に戻ってきたようだ。
アレン様は、分厚いレンズの眼鏡をクイッと指で押し上げた。
「そ、それは、本当ですか? 3日で?」
アレン様はおそるおそるライナスに尋ねる。
「はい、だから、手伝ってくださいね」
目の下のクマが際立つ青白いライナスの顔は本気の眼差しだった。
この不健康そうなのはライナスの通常運転なので、もうこの頃にはみんな気にしていない。
「工数を考えれば、ゼロから魔法で水や空気を作り続けるなんて非効率なことはしません。僕たちは帰国までの残された時間でやらなきゃいけないことがあるのです。だから、最短ルート、今あるリソースの完全循環で、この部屋を一気にシステムアップデートします」
ライナスはすかさず大統領への通信回線を開くと、「大統領、完全密室化に伴い、もしもの時の緊急避難用に『緊急転移魔法陣』の設置許可と、必要なリソースの提供をお願いします」と打診し、大統領から有無を言わさず一発で承認をもぎ取った。
「さて、アレン様。体育館クラス、あっもとい……この部屋の空気を完全に循環させ、二酸化炭素を効率よく処理するには、強力な生体エネルギーの核 (リソース)が必要です。……具体的には、常に微弱な放電をし続けて、水を電気分解してくれる、超健康で大容量の『デンキナマズ』の個体なんかが理想的なんですが……。いくらマストリア名物とはいえ、そんな都合のいい個体が市場にすぐ転がっているわけが──」
ライナスが言いかけた、その時だった。
『……あの、ライナスくん。アレン』
通信の向こうで、大統領がめちゃくちゃソワソワしながら、少し頬を赤らめて挙手していた。
『……実は、私が執務室の奥の隠し部屋でね。10年間、我が子のように丸々と、それはそれは健康に、愛情を注いで育て上げた娘……コホン、最高級のデンキナマズがいるのです。名前は、キャサリンというの……。国家の危機です! そのキャサリンを、インフラの動力源として協力を惜しみません!』
「……は?」
アレン様の口から、完全にドスの利いた素の声が漏れた。
「だ、大統領……? 隠し部屋で、ナ、ナナ、ナマズをお育てに?……」
「素晴らしいリソースです、大統領! では特大の水槽を用意します!」
ライナスだけは一切躊躇せず、目を輝かせて即断した。
さっそく彼が床に魔術ペンで描き出したのは、『ビル管理の空気調和システム』という前世のロジック。それをアレン様がマストリアの魔導言語へ変換し、カペラとポルックス、ノーマンが魔石を砕いて魔力泥を錬成していく。
その横で、ライナスは感情の死んだ目で、「ここに水の線を通します、魔力を3ミリ平行に」としれっと指示を出し、体育館クラスの床を数万の水の糸で網羅していった。
◆◆◆
いよいよ3日目の朝、床一面には緑の光るラインが美しく走り、その上を清流苔が覆い尽くしていた。
「よし、緑の定着は完了です。アレン様、仕上げにあの巨大な水槽を中央へ」
ライナスが指示した場所へ、アレン様が力魔法で巨大な強化ガラス水槽を一瞬で設置する。
すべてのインフラ、水の線、緑、大水槽が物理的に完成した、その日の夜。
大統領の執務室から重々しく運ばれてきたのは、丸々と太って信じられないほど艶やかな皮膜を持つ、巨大なデンキナマズの『キャサリン』だった。
ライナスがあらかじめ構築した大水槽に放たれると、キャサリンは気持ちよさそうに尾ひれを振り、床下に這わせた細い水路へ向けて、ピリピリと安定した微弱な放電を始めた。
「よし、環境には馴染んだようですね」
ライナスが腕を組んで頷いた、次の瞬間だった。
キャサリンの動きが不意に止まり、その巨体が水槽の中でコロン、とひっくり返った。
白いお腹を完全に真上(天井)に向けた状態で、水底へ沈んでいく。
「ひゃっ!? ぎゃぁぁぁぁーーーーっ!」
それを見たアレン様が、網膜をひん剥いて頭を抱え、絶叫した。
「ら、ライナス君!? じ、自分、大変なことをしてしまいました!! 大統領の愛娘キャサリンがひっくり返ってます!! 自分の組んだ水質調整魔法陣のバグのせいで、国家元首の最愛のナマズさまを殺害 (デリート)してしまいました!! どどどどどうしましょう、だだだだい大統領に何てお詫びすれば、自分、せっ責任をーーーっ!!」
涙目で髪を振り乱し、あわわと錯乱して壁に頭をぶつけようとするアレン様。
その横で、ライナスは感情の消えた冷めた目で、しれっと告げた。
「……アレン様、落ち着いてください。床に這いつくばらないでください、汚れます。キャサリンは死んでません。ただの『通常動作(爆睡)』です。マストリア名物のサカサナマズの血を引く個体は、お腹を上にして寝る仕様(生態)なんですよ」
「え……? し、仕様……?」
アレン様が涙目ですっとぼけた声を上げた、その時。
「──落ち着きなさい、アレン。ライナス君の言う通り、キャサリンは死んでなどいないわ。ただおやすみ中なだけよ」
重厚な声が響いた。振り返ると、そこにはいつの間にか、数人の護衛を引き連れた大統領本人が、何食わぬ顔で真後ろに立っていた。
「ひゃああっ!? だ、大統領……っ!?」
アレン様が完全にフリーズする。
大統領はアレン様を優しく宥めると、水槽にそっと近づき、お腹を上にして気持ちよさそうに眠るキャサリンを、たまらなく愛おしそうに見つめた。
キャサリンの丸い体からは、ピリピリとした微弱な放電に合わせて、まるで炭酸水のように「プクぷくぷく……」と、水を電気分解して生まれた新鮮な酸素の気泡が絶え間なく湧き上がっている。
「フッ、この無防備な寝姿、いつ見てもたまらなく可愛い! いつもこうなの。……ふむ、今夜はおやすみの挨拶をしにわざわざここまで来たのだけれど、もう寝ていたのですね。ライナス君の作ったこのシステム、よほど寝心地が良いらしい。キャサリン、明日は早く会いに来ますからね」
ガラスを優しくトントンする大統領。完全に親バカ全開の笑みを浮かべては、満足そうに向き直ると、急に国家元首の威厳を取り戻して咳払いをした。
「ではみんな、夜遅くまで本当にお疲れ様。マストリアの未来 (インフラ)は君たちに任せたよ」
そう言い残し、愛魚への挨拶を終えた大統領は颯爽と部屋を後にしていった。
制御室に、妙な沈黙が流れる。
「……アレン様。大統領、キャサリンにおやすみの挨拶をするためだけに、わざわざ夜中にここまで歩いてきたみたいですね」
「う、うぅぅ……じ、自分、大統領の目の前であんな大騒ぎを……っ」
アレン様は顔から火が出るほど真っ赤になり、恥ずかしさのあまり、ライナスが完成させたばかりのオアシスの木陰にコソコソと引きこもってしまった。
水槽の底でスヤスヤ眠るキャサリンの、寝息のような微弱な生体電流を利用して水を電気分解し、新鮮な酸素(O2)を持続的に生成。
人間の呼吸によって生じる重い二酸化炭素(CO2)は足元に沈むため、床一面に敷き詰めた小川の「清流苔」と植物に、壁と天井の魔法陣による強制循環術式で超高速吸引させる。
かつては冷機が乾燥し、機械の唸る音が響くだけだった体育館のような無機質な制御室は、いまや緑の光るラインが美しく走り、せせらぎの音と、ナマズの立てる「プクぷく」という可愛い気泡の音に包まれた、最高に快適な「地下のエコ・オアシス」へと変貌を遂げていた。




