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第71話:所変われば、日常と非日常 ~番外編~

 今日は鍛錬用の剣から釣り竿をギュッと握っていた次男・ヴァンス兄さんの姿がそこにはあった。

 料理長と今夜の夕飯用にと魚を釣りにきたのだった。


「料理長? まだか?」


「まだです」


 川面のせせらぎが心地良い。一瞬の沈黙。


「料理長? まだか?」


「まだです」


 何度繰り返せば気が済むのか、同じセリフの応酬である。


「料理長? 俺さー飽きたーー」


「はぁ……。ヴァンス坊ちゃま、釣りとは待つのが仕事でもあるのですよ」


 大きなため息を吐きながら、料理長はヴァンス兄さんをたしなめる。


「ふーん、そうなんだ? 俺さ? 鍛錬してていい?」


 料理長の話をまったく聞いていない、ヴァンス兄さん。


「静にお願いしますよ」


 料理長はこうなることを見越して鍛錬用の剣を持ってくるようにヴァンス兄さんに伝えておいたようである。

 早速役に立つこととなり、料理長は1人、川面に視線を戻す。

 しばしの沈黙……。緩やかな川の流れがズボッと窪んだその時だった。


「うぉっ、ヴァンス坊ちゃま、かかりました!」


 そう、川に投げ込まれていた棒ウキが勢いよく川底へと引き込まれていく。

 料理長の竿を握る手にも腕にも力がこもる。


「おぉー!!」


 雄叫びを上げながらヴァンス兄さんが駆け寄り、料理長の掴む竿に手をかけ一緒に引く。

 待ちに待った魚がかかったのだヴァンス兄さんの喜びは格別であった。


「いいですか?竿をグッと短く持ち上げてください。魚の口に針をひっかけるんです」


「こうか?」


 料理長の説明を聞きヴァンス兄さんは竿を30センチ程度持ち上げる。


「そうです! 針がしっかりかかったら、竿を立てたまま糸がたるまないようにリールを一定の速さで巻きます!」


「おおー、こうか?」


 ヴァンス兄さんは言われた通りにリールを巻いていく。だんだん魚が水面まで上がって足元に近づいてきた。


「これはデカそうだ! ヴァンス坊ちゃま、そのままで、ランディングネットですくいますから、ちょっと手を放しますよ、いいですね、こらえてくださいよ!」


「わかった! 任せろ!!」


 料理長がランディングネットを手に取り、足元まで近づいてきた魚をすくい上げた。

 それは40センチ以上はあるだろうニジマスだった。


「おおー!!これはデカいな? 料理長!」


 満面の笑みで料理長を見上げる。


「はい、ヴァンス坊ちゃま、今日のメインディッシュですね」


「よし、次だ!!」


 一気にやる気になるヴァンス兄さんであった。



◆◆◆



「近隣諸国との交易における関税率の変動について、我が国における取組をどう考察するかね?」


 眼鏡越しに生徒たちへ教鞭を執っている教師から投げられた質問だった。

 周囲の生徒が名指しされないかと冷や汗を流す中、長男・クレスト兄様は姿勢を正し、挙手した。


「──はい。隣国の関税引き上げに対し、我が国は単なる減税適用で対抗すべきではありません。我が領地のような地方の特産品流通を国内で最適化し、内需の状況を安定させることこそが、中長期的な防壁になると考察します」


「そうだな。そういう考え方も一理あるな。他にもないか?」


 教師はクレスト兄様の模範解答を肯定する。

 そうここは王立学園のキャンパスだ。実はクレスト兄様、気が弱いけど成績優秀なのである。


 ヴァルゼリア王国の子供たちは、誰でも等しく、12歳から15歳までの3年間をここで学び、将来の展望を描くための場所として、あるいは社交の場として、この学園は活用されているのだ。

 学費、学食等々その他、学園生活に必要な費用は全てヴァルゼリア王国が負担しているため、国民であれば無料である。


 クレスト兄様は次期フォール伯爵家の当主として経済学には人一倍興味を持っていた。

 なぜならば、今のフォール伯爵家の没落っぷりを憂いてのことだ。理由は至極簡単、父・コンラッドが経済学が苦手なのだ。

 父を助け、領地の復興を考えてのことでもあるようだ、さすが長男である。


「次は剣術だな、移動しようぜ?」


 クラスメイトのギルバートが後ろから声をかけてきた。


「あぁーそうだな」


 振り向いて返事をするクレスト兄様。そのまま並んで廊下へと歩き始める。

 2人は幼馴染で、気心が知れた親友だ。


「なぁ、クレスト、来週の剣術の模擬試験に合わせてさ? 今日から帰りに稽古していかないか?」


(あぁ……、ギルのやつ、見学に来る誰かに良いところを見せたいんだろうな)


「そうだな、少しならいいけど」


来週の剣術の模擬試験、この日は在学生の関係者(家族や友人等々)が自由に見学を許されている日なのである。

そう察したクレスト兄様はその申し入れを快く引き受けた。


「そうか、じゃあ決まりだな」


ギルは嬉しそうに頷いた。



◆◆◆



 フォール伯爵家のダイニング、メイドのマーサが次々にテーブルへ料理を並べていく。


「本日のスープ『冷製かぼちゃの濃厚ポタージュ』でございます。副菜に、オリーブオイルと岩塩、ほんのり香るハーブで焼き上げた『山芋とハーブのほくほくオーブン焼き』です」


 マーサがスープと副菜の説明を終え、軽く一礼すると一度厨房へと戻った。


 すぐさま厨房から運ばれてきたそれからは、揚げたての香ばしい匂いと、甘酢のキュンと酸っぱい香りが食卓いっぱいに広がった。


 大皿の中央にそびえ立つのは、カラフルな夏野菜の山だ。千切りにされた瑞々しいピーマンと大葉の緑、鮮やかなパプリカの赤と黄、そしてピリッと引き締める唐辛子の赤が、まるで芸術的な魔法陣のように美しい。その山を崩すと、黄金色にカラリと揚げられた大ぶりのニジマスが、たっぷりとタレを吸ってツヤツヤと輝きながら姿を現す。


「こちら本日のメインディッシュでございます。ヴァンス坊ちゃまが、料理長と一緒に釣ってこられました。ニジマスを使い色とりどりの野菜を添えた南蛮漬けでございます」


 マーサがメインディッシュの説明を終える。続けて食後のデザートについて説明があった。


「食後のデザートには柑橘と白ワインジュレのひんやりゼリーをご用意しております」


「ありがとう、マーサ。では、頂くとしよう」


 並び終えた料理を見て父が静かに言葉を発した。

 食事開始のその言葉を聞き、「「「いただきます」」」と、皆もそれぞれ口にする。そして料理に手を伸ばし始める。


 それぞれがナイフとフォークをスッと入れると、骨まで柔らかく熱が入った身がほろりと解け、じゅわっと染み出す甘酢とレモンの爽やかな風味が、香ばしい衣の油分と完璧に同期して、見る者のよだれを一瞬で決壊させる──。


「このお魚美味しいわね……。ヴァンス、釣りは楽しかった? 料理長にご迷惑をかけなかった?」


「もちろん!」


 母・シルヴィアの質問にヴァンス兄さんは即答した。

 その返事に母は静かに微笑みながら「そう」と短く言う。


 ヴァンス兄さんが「このほくほくの芋、南蛮漬けの酸っぱいタレにつけて食うとさらに美味いぞ!」と、大喜びだ。

 そんなヴァンス兄さんとは対照的な表情を浮かべる母が呟く。


「……ライナスは、今頃ちゃんとご飯食べてるかしらね、お腹を冷やさないように温熱ベストも持たせたけど、大丈夫かしら」


 母は末息子の心配を口にした。


「母上、心配なのはわかりますけど、有能な我が家の執事・ノーマンも同行してますし、きっと無事に帰ってきますよ、信じて待ちましょう」


 クレスト兄様の言葉に母は、優しい笑顔で返す。


「そうね」


「いいーなーライナス、今頃すげー美味い物食ってんのかなー」


 ヴァンス兄さんの無邪気な言葉にクレスト兄様が即答する。


「何を言っているんだい? 今日はヴァンスが料理長と釣ってきたこのニジマスの南蛮漬けだってとびきり美味いぞ!」


 クレスト兄様がニジマスの南蛮漬けに舌鼓を打っていた。


「おおーそうだな! これもとびきり美味いな!」


 兄弟は料理を頬張りながら笑った。

 そんな仲良しムード漂う中、父だけは違っていた。


「うっ……。まだライナスは8歳だ。マストリア合衆国の恐ろしい重臣たちに囲まれて、粗相していないといいのだが……」


 父が急に胃を押さえて青くなる。相変わらずの心配性が勃発する中、フォール伯爵家の夕飯時はのんびりと更けていく。

 ──所変わってマストリア合衆国。そこには、人前で瞳をカッと見開き、恥ずかしい姿を披露している末息子・ライナスの姿があった。

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