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第66話:光の歯車と、線画の梟

【──自爆シークエンス完了まで――残り7分28秒──】


 制御室の虚空に浮かぶ無慈悲な赤黒い数字が、網膜をチカチカと刺す。

 主駆動輪 (メインコンソール)から放たれる警告音 (アラート)は、もはや鼓膜を通り越して脳髄を直接揺らすような不快な重低音へと変わっていた。


(焦るな……。暗号化の殻は剥いた。あとは、この112年分の『時差バグ』という巨大な拒絶反応を、バックグラウンドから騙して流し込んで、並列処理でじわじわ上書きしてやるだけだ……っ!)


 ライナスは額から流れる脂汗を手の甲で乱暴に拭うと、再び目にも留まらぬ速さで主駆動輪の上へと両手を躍らせた。その小さな指先から、現代魔導工学の極致である青い魔力の糸が爆発的に紡ぎ出されていく。


 視覚化された基幹魔導核 (メインサーバー)の中枢世界。

 そこは、圧倒されるほどに巨大で立体的な、時計のムーブメントそのものだった。


 縦横無尽に張り巡らされた魔力の糸が、幾重もの階層 (レイヤー)ごとに配置された無数の『光の歯車』を複雑に繋ぎ、超精密な機構を形作っている。かつてはマストリアの地脈 (マナ)を完璧に制御していたであろう、息を呑むほどに美しい魔導の芸術品。


 本来ならば美しく青白い輝きを放っているはずのムーブメントは、今や見るも無惨な病変に侵されていた。112年前に仕込まれたという、赤黒く禍々しいウイルス。それはまるで「酸を帯びた錆」のように歯車の表面をドロドロに焼けただれさせ、ところどころに醜い穴を開けている。

 歯車が噛み合うたびに、「ギシギシ……ガガッ……!」という、システムそのものが悲鳴を上げているかのような不快な軋み音が制御室全体を激しく震わせた。


(裏口から寄生虫みたいに入り込んでる防壁 (セキュリティ)をかいくぐる。1分1秒でも早く、最深部の中核 (ルート)まで僕の魔法陣 (コード)を滑り込ませるんだ!)


 ライナスが基幹魔導核の中枢を主駆動輪から強く弾いた、その瞬間。

 目の前に広がる主駆動輪から出力された魔法陣の端で、フォール伯爵家の紋章が青く鮮烈に輝き、眠っていた隠しOSが完全駆動する。


 ──『梟の潜行式 (オウル)』、起動。


 顕現したのは、ただの光の塊ではなかった。

 ライナスの脳裏に、つい先日の記憶──8歳の誕生日を迎え、生まれて初めて1人で買いに行くことを許された、あの天才魔導設計士・オライエンの魔導書の感触が鮮烈にフラッシュバックする。


 あの日、胸を躍らせて手に入れた本の表紙。そこに描かれていた、細密なインクの線画だけで構成された高精細な動物の姿。それは前世のITエンジニアのバイブル──あの「オライリー本」を彷彿とさせる、なんともギークで最高なデザインだった。


 そうあの日から始まった、怒涛の日々……。


 今、ライナスの指先から解き放たれた青い魔力の糸は、まさにその思い出深いバイブルの表紙を再現するように──気の遠くなるほど緻密な『極細の線画』となって空間に編み上げられていった。


 骨格、羽毛の1本1本、そして知性の宿る大きな双眸。34年を生きた前世の記憶に染み込んだシニアSREとしての魂と、8年の今世の歩み──そのすべてを注いだ『思い』が具現化された、圧倒的な存在感を放つ『線画の梟』。


 青き梟が、カッとその目を強く見開いた。


(僕が思う『梟』の形はこれだ。あの狂気的なまでに精密なドットと線の集合体──これこそが、現代のウイルス除去プログラム(SREの技術)を極限まで敷き詰めた、僕の最強の相棒だ!)


 ライナスが短く息を吐くと同時に、梟の全身を覆うように、ライナスがその場で組み上げた最新の防御パッチ──幾重もの硬質な光の「積層型魔導隔壁 (レイヤード・シェル)」が、シュイィィン! と重厚な音を立てて装着されていく。

 迎撃システムからの不正侵入 (ハッキング)を力技で弾き飛ばすための完全武装を施し、線画の梟は、赤黒いノイズが火花を散らす歯車の迷宮へと、音もなく力強く羽撃いた。


 しかし、青き梟はライナスの神速の指の動きと完全に同期し、ムーブメントの狂った隙間を、縦横無尽に、かつ優雅にすり抜けていく。

 そして、梟が錆びつき、穴の開いた光の歯車の側をすり抜けるたび──その巨大な翼の羽撃きが、風圧の代わりに数百万、数千万もの「微細な魔法陣」を鱗粉のようにキラキラと戦場に撒き散らした。


 キィィィィン……ッ!


 清らかな高音が響き、微細魔法陣の粒が触れた瞬間、歯車を蝕んでいた赤黒い汚染がみるみるうちに削ぎ落とされ、本来の滑らかな青白い輝きが取り戻されていく。


 テロリストのようにシステムを壊すのではない。軍隊のように力任せに圧殺するのではない。

 ──143年前、自分たちの遥かなるご先祖様が血の滲むような想いで作り上げ、この国の日常を裏から支え続けてきた、偉大なる双子の青白きインフラ。その構造へ最大限の敬意を払い、仕様を紐解きながら、元の正しい姿へと「復旧」させていく。

 それこそが、ライナスというSRE (サイトリライアビリティエンジニア)の戦い方だった。


(壊すのは一瞬だ。だけど、この動かなくなった古い鉄屑のバグを弾き、再び安定稼働 (リリース)させる。それだけが、このシステムを紡いできた歴史への、最大の恩返しなんだよ……っ!)


 前世の記憶が蘇る。深夜のデータセンター、人々の『当たり前の日常』を絶対に裏から支え抜く──インフラの守護者としての、執念と誇り。


(ご先祖様たちが命がけで遺したこの完璧な基盤を……そのわずか31年後、112年前に『ミラクル』なんてふざけたシグネチャ残してウイルスを仕込みやがったどこの誰だか知らねぇ奴に、コケにされたままで終わらせてたまるか。僕が、絶対に信頼性を取り戻して(リライアビリティを担保して)みせるっ!!)


「すごい……。システムが、書き換わっていくんじゃない。元の綺麗な状態に……直って、いっている……?」


 主駆動輪の脇で、あまりの光景に絶句した軍人のひとりが、驚きと共に呟いた。

 アレン様も、大隊長も、ノーマンたち使用人さえも、今は完全に言葉を失っていた。制御室の正面扉を叩くテロリストの衝撃音すら、今のライナスの耳には届かない。聞こえるのは、時計のムーブメントの軋みと、自らの梟が羽撃く音だけ。


(いける……! ステルスは完璧だ。敵の自動迎撃プログラム (セキュリティ)は、僕の『梟』を1ミリも検知できてない。このまま裏口から中枢のコアを乗っ取って、自滅コードを逆流させてやる……っ!)


 青き梟は音もなく、赤黒いノイズを放つ歯車の迷宮をすり抜け、ついにウイルスの最終中枢──ムーブメントの最深部へと着実に到達する。


 進捗率、40%……55%……70%……!


 勝利の光明が見えた、その時だった。


【──自爆シークエンス完了まで――残り5分00秒──】


 タイムリミットが残り5分を告げたのを皮切りに、最深部の光の歯車が、これまでとは比較にならないほどのドス黒い赤色に染まり、激しい放電を起こした。


 ガガガガガッ!!!


「っ……!? なんだこれ、固すぎる……っ!?」


 ライナスの指先に、まるで鉄板を叩いているかのような凄まじい反動 (フィードバック)が返ってくる。


 ──見つかったんじゃない。暗号の書き換えを実行しようとした瞬間に、112年前の古いシステム基盤 (ハードウェア)の出力上限が、現代の超高負荷な除去プログラムの実行要求に耐えきれず、完全に処理拒否 (ハングアップ)を起こしたのだ。


(どれだけ隠密に潜り込んでも、実行する瞬間の『物理的な魔力出力』だけは誤魔化せない。ウイルスの最終中枢を叩き割るための、圧倒的な『出力 (パワー)』が、ライナス単体の魔力では、この旧型サーバーを強引に回すには物理的に足りない!)


 思わず頭を抱えた。ライナスの無意識の叫びが、そのまま掠れた声となって口から零れ落ちる。


「クソっ……! 潜行 (アクセス)は成功したのに……! 基幹魔導核を動かす出力 (パワー)が、足りねぇ……っ!!」


 ライナスは血が滲むほどに歯噛みし、悔しさに顔を歪めた。

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