第65話:呼吸する防壁と「禍赤(かしゃく)」の警告
ライナスは震える指先にありったけの魔力を込め、主駆動輪 (メインコンソール)へと向かって再び猛然と魔力の糸を走らせるなか、ついに最悪のウイルスの核心部へ到達し、あとは書き換えプログラムを上書きするだけ──勝利を確信した、その瞬間だった。
ビーーーッ!!! ビーーーッ!!!
制御室内に、鼓膜を突き刺すようなおぞましい警告音 (アラート)が鳴り響く。
それと同時に、主駆動輪の滑らかな表面が、赤黒い禍々しい色に染まり、見たこともない古代マストリア語のエラーログが空間を埋め尽くしていった。
「なっ……、これは一体どういうことだ!?」
「ウイルスが暴走したというのか!?」
「あと9分もないのに失敗か!?」
その場で立ち尽くす魔導師たちが口々に絶望を露にする。目の前の空間を埋め尽くす警告 (エラー)を前に、周囲を護衛する国軍の軍人たちが一斉にざわめき、制御室の中に絶望的なパニックが伝染していく。
しかし、ライナスは額から大粒の脂汗を流しながらも、必死に糸を操り続けた。
(クソっ! 暗号を完全に解いたはずなのに、なるほど……、データの規格が古すぎるってことか。112年分の『時間のズレ(時差バグ)』そのものが、巨大な防壁になって上書きを弾いてやがる)
あからさまにイラつきが滲み出ていた。
(そうだよなぁ、112年間、完全な暗箱 (ブラックボックス)として眠っていた古いシステムに対し、現代の最新魔導工学の魔法陣 (コード)を流し込もうとしたから、データの桁数や魔法陣の構造が違いすぎんだよな、システム側が拒絶反応を起こすのも無理ねーか、ちっ)
「坊ちゃま、落ち着いてください。大丈夫、ご自身を信じてください」
背後から、フォール伯爵家の執事であるノーマンが、静かだが厳かな声でライナスを励ます。その冷静な言葉に、ライナスはハッと小さく息を吐いた。
「……あぁ、そうだね、ノーマン。うん、大丈夫。ありがとう。普通に修正するのは不可能だけど、システムを騙して見せるよ!」
ライナスは落ち着きを取り戻しさらに集中していく。
(んー、112年分の巨大なデータ差分を、操作中の裏側 (バックグラウンド)から強制的に流し込んで、並列処理でじわじわ書き換える臨時のコードをその場で組んでやる……っ!!)
ライナスの小さな指先が、再び目にも留まらぬ速さで主駆動輪の上を躍動し始める。
天井の通気口からは、未だにテロリストの残党が蟻の巣を這い出るように次々と湧き出し、制御室の防衛線に襲いかかっていた。
「くっ、上からの敵が鬱陶しいですね! かと言って完全に塞いだら窒息してしまいますしね!」
ノーマンが眉をひそめ、冷静に本音を漏らす。
「報告! 通気口は天井全体に12ヶ所! 全てから敵が這い出してきています!」
軍人の一人が叫ぶと、大隊長は即座に判断を下し怒号を飛ばす。
「全ユニット、国軍特製『多孔式魔凝岩 (ポーラス・ストーン)』を展開せよ! 基幹魔導核 (メインサーバー)直上の4ヶ所を最優先で封鎖しろ! 執事殿、メイド殿、申し訳ないが援護を頼む!」
「はっ」大隊の軍人たちが一斉に返事を返す。
「「「心得ました」」」
大隊長の号令に、ノーマン、カペラ、そしてポルックスたちが即座に反応し、軍人たちと連携して次々と通気口を封鎖していく。
その混乱の中、アレン様は微動だにせず、真っ赤な空中を凝視していた。
(……なんてことだ。設計図には12個の通気口があると記憶していますが、まさか全てのダクトが汚染されているとは。自分がこの施設の管理を任されている身でありながら、これほど見事に『蟻の巣』が張り巡らされていたなんて、こんな構造上の弱点を放置していたなど……。不甲斐ない、あまりにも不甲斐ない……!)
アレン様は冷や汗を流しながら、頭の中で設計図を高速回転させていた。
(大丈夫、あの魔道具があればなんとかなるはずです。こういう事態に備え開発には自分も微力ながら尽力したんですから、大丈夫。大隊長は現場の指揮官として有能だ。自分の役割は、余計な口出しをして混乱を招くことではない。……信じてます、あの者たちを……!)
脳内では必死に言い聞かせていた今にも泣き叫びそうな精神状態のアレン様は、必死に拳を握りしめ、冷や汗を隠すように無表情で黙り込んでいた。
その張り詰めた「沈黙」と、必死に恐怖を押し殺して耐える背中を、周囲の軍人たちは──。
「言葉を発するまでもないというわけか……。これぞ『真の管理者』の在り方だ!」
(えっ、いや、そんな深読みしないでぇ……! 今はただひたすら早くこの時間が過ぎるのを待ってるんです……! お願い、そんな目で見ないでください)
アレン様はただ恐怖と不甲斐なさに震えていただけだが、その震えすらも周囲には「怒りと覇気の放出」に見えており、軍人たちは「あぁ、アレン様が怒っておられる! 我々が甘かったのだ!」と、さらに気合を入れ直して敵を押し戻していく。
そんなことを思いながら軍人たちは『多孔式魔凝岩』のトリガーを射程位置についた者から順に引いていく、プシューーーッ!!!と青白い光を帯びた泡沫が噴射された。それは上空の通気口の穴を完全に埋め尽くし、一瞬でコンクリートのような強固な岩へと硬化していった。
「ガガッ!」と爪を立てて食い下がろうとするのを、力任せに魔法の岩で封じ込める。
通気口は完全に物理封鎖された。しかし、室内が息苦しくなる気配は一切ない。
硬化した『多孔式魔凝岩』にはミクロの無数の穴が空いており、敵の質量は100%遮断する一方で、新鮮な酸素だけをスースーと制御室内に供給し続けているのだ。
「……ふぅ、空気だけは通す防壁ですか。これで上からの奇襲は防げましたね」
ノーマンが何事もなかったかのように一礼する。
「お役に立てたようですね」とカペラが微笑むと、「えぇ、本当に」とポルックスが頷く。二人は手際よく泡沫を噴射しながら、短く言葉を交わす。
(ふぅーやっと、やっとですか……。そうですよね、まさか、通気口から入ってくるなんて誰にも想像だにしませんでしたものね、えぇー自分も思ってもみませんでした。盲点でした。まさか、112年前からあったなんてね、えぇ、本当に盲点でしたよ! この施設の改修工事を徹底的に行いませんとね! スターリング侯爵家の力を最大限に使わせていただきます!! フン)
脳内で激しく、それはもうふつふつと怒りがこみ上げてくるアレン様の横で、ライナスが会心の笑みを浮かべて複雑に編み込まれた魔力の糸――その中核となる『実行の結び目 (コミット・ノード)』へと魔力を流し込んだ。
「並列処理魔法陣、起動に成功しました……! 現代の不正侵入 (ハッキング)技術が向上してると証明してみせる、112年前のシステムめ!」
どんどん黒みを帯びていた空間に広がる警告が静かに引き、操作中の裏側で強制書き換えが本格的に走り始める──!
【──自爆シークエンス完了まで――残り7分30秒──】




