第57話:112年の宿痾(しゅくあ)と、潜伏する影
「あぁぁぁ、その、視界をあえてぼやけさせておりまして……! その、人の顔を認識できなくしてます……。 こ、これが自分の編み出した対人絶対防御術式です。お、お恥ずかしい、ひ、秘密でお願いします!」
「……なるほど、視界をわざと悪くして緊張を防いでいたんですか」
僕が呆れ半分、感心半分で声をかけると、アレン様はビクッと肩を跳ねさせた。
度数が全く合っていない眼鏡を慌ててかけ直した彼女の顔は、耳の裏まで真っ赤に染まっている。
前世の三十路を越えたシステムエンジニアとしての僕から言わせてもらえば、「そんな無茶苦茶なバフ術式があるか」とツッコミたいところだけど、目の前で必死に「外面 (ねこかぶり)」を維持しようとフンスと鼻を鳴らしている彼女を見ていると、なんだか調子が狂ってしまう。
まあ、ただの不器用な親戚の同業者 (オタク)だと思えば、このポンコツさも愛嬌として許せる範囲か。
「コホン! さあ、無駄話はここまでです。ライナス君、地脈回線の解析を再開しましょう!」
アレン様が真っ赤な顔のまま、キリッとした表情(いつもの最高責任者モード)で主駆動輪 (メインコンソール)に向き直った、その時だった。
クソコードの泥団子を魔力解析 (スキャン)していた僕の魔術回路が、ある『致命的な違和感』を捉えてピきりと止まった。
「……待って、アレン様。これ、おかしい」
「え? どこ? どこか別の場所で無限ループでも起きてる?」
「いや……技術的なミス (バグ)じゃないですね。この記述、113年前には綺麗な同期の痕跡が見受けられます。それからだいたい1年ほどは頑張って修復しようとした結果の泥団子状態で、だから、112年間は完全同期が途絶えてたわけですけど……問題はそこじゃない。『始まりの1行』、これが意図的に改ざんされてる」
「改ざん……!? そんなはずは……ここはマストリアの最重要機密施設ですよ?」
アレン様が息を呑む。
僕は魔力信号を指先に集中させ、主駆動輪の奥深くに隠蔽されていた特定の魔力文字列をパッとハイライト表示にした。
緑色の魔力光の中に浮かび上がったのは、歴代の無能な魔導師たちが重ねてきた、その場しのぎのパッチ当て魔法陣 (クソコード)ではない。
魔術の構造を極限まで理解した『天才』が、あえて誰の目にも触れないよう、漆黒の闇に隠すように仕込んだ――二つの『禁忌のバグ (タブー・コード)』だった。
指先から脳へ、どろりとした嫌な冷気が駆け上がる。
(長年、何人もの優秀な魔導師がデバッグを繰り返してきたはずのメインシステム。その心臓部に、こんなデカい寄生虫 (バグ)がずっと息を潜めていたなんて。しかも、正規の権限を持ったままで――)
「これを見てください。バグのフリをしてシステムに常駐している、『潜伏中の特権ID (シャドウ・クレデンシャル)』だ。112年前の襲撃者は、システムを外から物理的に壊したんじゃない。正規の最高管理者としての権限を奪い取り、それを消されずに今も『有効な管理者の一人』として、幽霊のようにシステム内に潜伏させ続けている」
「な……っ!? じゃあ、当時の『自然災害による事故』というマストリアの公式記録は……」
「大嘘、あるいは隠蔽ですね。人為的なテロ、それも内部の最高権限にアクセスできるレベルの裏切り者がいた。さらに、その幽霊アカウントを使って、システムの最奥にこれが植え付けられてます。――『休眠式の論理呪詛 (ハイバネーション・ロジック)』」
「休眠式の……論理呪詛……?」
アレン様の表情が完全に凍りつく。僕の冷徹なエンジニアとしての目が、そのコードが意味する『最悪のシナリオ』を瞬時にデバッグしていく。
「普段は完全に眠っている (ハイバネーション)状態ですが、特定の魔力負荷――まさに今、外のテロ組織が仕掛けてきているような、地脈をパンクさせる大量の魔力波形(DDoS攻撃)を検知した瞬間、防衛ゴーレム (システム)の安全装置を強制解除して、敵味方識別を狂わせて施設ごと自爆させる強制終了 (キルスイッチ)が組まれてる。…………あ、いや、違う、これ……。つまりこの時限爆弾、112年の時を経て、今まさに外からの攻撃をトリガーにして、起動プロセスが始まっちゃってるんじゃないですか……!?」
(112年前からシステムに呪いを植え付け、今もなお、この施設を内と外からの連携で暴走・破壊しようと企んでいる奴らがいる――!?)
背筋を冷たい汗が伝う。
サイバーテロの不穏な足音が、すぐそこまで迫っているような、圧倒的な予兆。
ピピッ、ピピッ、と主駆動輪の隅で、地脈の熱量上昇を告げる警告音が小さく鳴り響き始めた。
「……チッ、何が来ようが、まずは目の前のクソ魔法陣を片付けなきゃ防衛ゴーレムすら動かせないか。アレン様、寝てる暇はなくなりましたよ!」
「そのようですね、望むところです。ライナス君! 112年分の歪みごと、全部綺麗に書き換えて (リプレイスして)やろうじゃない!」
不穏なテロの気配を感じつつも、2人のデキるエンジニアは目を輝かせ、限界突破の徹夜作業へと本格的に突入していくのだった。
(……っていうか、さっきのガチ拒絶は子供なりに地味に傷ついたけどさ。今はそんなこと言ってる場合じゃない。まずは目の前のクソコードを叩き潰すのが先だな!)
──無情にも、マストリアを破滅へと導くカウントダウンは、すでに非情な速度で進み始めていた。




