第55話:自分のタスクは、ご自分で。
マストリアの地脈管理施設――その心臓部とも言える巨大な術式陣 (コンソール)の前で、僕は全神経を魔法陣 (コード)に集中させていた。
百年分の歪み。複雑に絡み合ったクソコードの山。
頭痛がしてくるような処理の遅延を前に、僕は前世のチーフエンジニアとしての本能を叩き起こし、仕様の解析を進めていた。
「よし、ここの地脈流の同期処理を、一度バックグラウンドに移して……」
指先から魔力を流し込み、集中力が最高潮に達した、その瞬間だった。
「ねえねえ? ちょっといいかな〜?」
背後から、鼓膜に直接まとわりつくような、緊張感の欠片もない軽薄な声が響いた。
思わず指先がピクッと跳ねて、解析中の魔法陣の文字が一瞬ブレる。
(……チッ、一番集中してるところでコンテキストスイッチ(中断)を強制発生させるなよ……)
内心の苛立ちを抑えて振り返ると、そこにはだらしなくローブを羽織った前世でいうところの高校生くらいの青年が立っていた。濃い茶髪はボサボサで、色白の顔の目の下には、努力の証とは思えない不健康なクマがある。鼻の頭のそばかすを歪め、片手を頭の後ろに当てて「ニヘラ〜ッ」と締まりのない笑みを浮かべていた。
(ん? 誰? なに?)
「これさー、どうしたらいいと思う? ねえねえ? レグルス様の子孫なんでしょ? ライナス君だっけ? 君ならどうする? ねえねえ?」
ニヘラ〜ッと笑みを浮かべた青年は手元で魔導ペンのキャップをカチカチと不快な音で弄びながら、僕の目の前の術式陣にずいっと顔を近づけてきた。差し出された魔導共有核 (モバイル・ターミナル)には、初歩的な記述ミスによる、実につまらないエラーログが表示されている。
「……あ、そこは魔力の接続構文 (プロトコル)が間違ってます。ここをこう書き換えれば直りますよ」
最初は、大人として、快く、丁寧に答えてあげた。
それが、僕の間違いだった。
「うわぁ、本当だ! さすが天才! じゃあさ、ついでにこれも見てよ。ねえねえ、この古いログの整理の仕方も分かんなくてさー。あ、あとこっちのエリアの定期メンテナンスの魔法陣の書き換えも、君なら一瞬でしょ? ねえねえ?」
ニヘラ顔が、どんどん僕のパーソナルスペースを侵食してくる。
それは、質問の形をした「タスクの丸投げ」だった。自分が楽をするために、年下の、それも他国から要請されて来ている僕に、自分のルーティンワークを押し付けようとしているのだ。
カチカチ、カチカチ、とニヘラ顔の弄ぶ魔導ペンの音が、僕の脳内で警報 (アラート)のように響き渡る。
そのヘラヘラした態度。
要領の良さだけで立ち回り、他人の成果物を奪って自分の手柄にし挙句の果てには定時で帰ろうとする、その浅ましい根性――。
(……あぁー。思い出した。世界が違えど、いるんだな、こういう奴)
僕の脳裏に、前世のデスマーチの記憶が、黒いトラウマとなってフラッシュバックする。
仕様書も読まずに『これ、適当にバグ取っといて〜』と、自分の仕事を全部僕に丸投げして居酒屋へ消えていった、あのクソ上司の顔が、目の前のニヘラ顔と完全に重なった。
僕の心の中で、何かが、完全に「ブチッ」と音を立てて切れた。
「あの――」
最初は、静かな声だった。
ニヘラ顔はまだ「ん? なに〜? ねえねえ――」とヘラヘラしている。
「あの――!!」
僕は術式陣を弾く手を止め、椅子から勢いよく立ち上がった。
8歳の子供の体から放たれたとは思えない、低温の、そして圧倒的な「現場の鬼チーフ」の威圧感が、地脈施設の空気を一瞬で凍りつかせる。
「すみませんけど、ご自分でおやりください」
「え……?」
ニヘラ笑顔が、凍りついたように引きつった。
手元の魔導ペンのカチカチ音が、ピタリと止まる。
「僕はえーっと、どちら様か存じ上げませんが」
「と、トッドだよ、アレン様の先輩のトッド……」
「あ、トッドさん。ご自分のタスクはご自分でお願いします。 僕はあなたの助手でも何でもありません。僕はマストリアの地脈システム全体の仕様変更 (デバッグ)を要請されてここに来ているのであって、あなたの怠惰の穴埋めをするために時間を割いている暇も余裕もないんです。勘違いしないでいただけます?」
一息に、イラつく感情を抑えつつ事実を突きつけた。
いつもの「ゆるくて可愛いライナス」の面影はどこにもない。目の前にいるのは、数々の修羅場を生き抜いてきた、ガチの技術者の目をした怪物だった。
「なっなんだよ、そんなに怒らなくてもいいだろ、ちょっと冗談で頼んだだけなのに! 」
「冗談? 冗談を言っていられるほどの時間も人手も猶予はないはずでは?」
(アホってどこの世界にもいるんだなー)
あからさまに嫌な表情を浮かべ、ニヘラ顔のトッドという青年を見上げる。気付かないうちに睨み付けていた。
見上げているのはライナスだが、見下ろされている感覚を覚えるトッド。
「なっなんだよ、調子に乗んなよっ」
周囲の冷ややかな視線に気が付いた愚かなトッドは、いたたまれなくなったようで、その場から立ち去った。
「おっ覚えてろよ! うぅ……」
魔導師たちが、誰一人としてトッドを庇わず、むしろ距離を取っていた。
(マジでクソだな、イラつかせる天才かよ。お前のそのサボり用のクマと、僕の命を削ったデバッグのクマを一緒にするな……! あぁー胸クソ悪い、しかも最後泣いてなかったか? 子供かよ、勘弁してくれよ)
僕は術式陣へと向き直る。
(あの時もそうだったなぁ。僕が徹夜で直したバグを、翌朝の会議で『自分の成果』として報告したクソ上司がいたな。マジで最悪だ。クソが)
社畜時代を思い出しながら、心の中で盛大に毒づいた。「ふぅー」と、深呼吸をして気持ちを切り替える。
その横で、一部始終をじっと見ていたアレン様の眼鏡の奥の瞳が、面白そうに、そして深い信頼を込めて、ギラリと光ったことには――まだ、誰も気づいていなかった。




