第52話:過保護な前夜と、社畜の本音
最高のランチを堪能したあと、ノーマンが絶妙なタイミングで淹れてくれた食後の濃厚ミルクティーを口に運ぶ。
ふわりと広がる上品な茶葉の香りに癒やされながら、僕は窓の外で白く弾ける波しぶきを眺めていた。
(ふぅ……美味しかった。船内は至れり尽くせりだし、アルマ殿下は楽しそうだし、本当に平和だなぁ……)
優雅に流れる船上の時間に、僕は小さくため息を吐いた。
(通常の旅客用の大型船舶なら、マストリア合衆国までは丸1週間はかかる距離だ。海を挟んでいるとはいえ、この世界における立派な『隣国』である。しかし、いま僕たちが乗っているのは最新鋭『輝石駆動式・魔導巡航艦 (マギ・クラフト・キャリア)』。その規格外の足をもってすれば、わずか4日間で駆け抜けてしまうらしい。技術の進歩ってすごいなぁ。それにしても、これから4日間を過ごすこの静かなスイートルームに比べれば、昨夜の我が家は本当に大変だったな……)
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ちょっとしたお祭り騒ぎ(戦場)となったフォール家の昨夜。
「坊ちゃま、マストリアは風が強いと聞きますわ!」
「ライナス、お腹を壊さないようにこの温熱ベストも持っていきなさい! もう心配だわ、まだ小さなあなたを旅に出すなんて」
母上は、心配だと口にしながらメイドのマーサとよってたかって、僕の小さな体には絶対に過剰な量の防寒着や常備薬をトランクに詰め込んでいく。
「あ、あの、母上、マーサ、そんなに入らないし、要らないよ……容量オーバーしちゃうから……っ」
苦笑いしながらも、ちょっと嬉しい。大事にされてるなと実感するからだ。
「いいーなー俺も行きたい!」
ヴァンス兄さんのお気楽な声が降りかかる。相変わらずだなと僕は苦笑する。
「ライナスは遊びに行くんじゃないんだから、無茶を言うな、ヴァンス。明日は見送れないが気を付けて行ってこいよ」
クレスト兄様からの優しい言葉を素直に受け入れ、僕は2人の兄にそれぞれ返事をする。
「クレスト兄様、ありがとう。はい、気を付けて行ってきます。ヴァンス兄さん、今度みんなで行こうよ、だから今回はお留守番よろしくね」
2人は聞き分けが良く頼れる兄だ。そして、僕は2人から頭を撫でられくしゃくしゃにされる。子供なりの愛情表現だろう。ひとしきりくしゃくしゃにされ、満足したところで、「「「おやすみなさい」」」と、それぞれの部屋へと入っていった。
賑やかな荷造りを終え、ベッドに潜り込んだ僕は、明日からの大仕事に備えて、深い眠りへと落ちたのだった。
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(うん、船に居る間だけでものんびりさせてもらわないとね)
マストリア合衆国に到着してしまえば否が応でも慌ただしくなるのは確実だ。
入国後のスケジュール内容を反芻して、ため息をひとつ。
(ため息ばっかだなぁ。やれやれ……)
僕は懐から、王宮でクロード主任とすり合わせたマストリア到着後の予定表 (ロードマップ)を取り出し、もう一度目を通した。
(ええと、まずは船がマストリアの港に着いたら、非公式のアルマ殿下をカイルさんが事前予約してある宿へと案内する。その間に、僕は父上の手紙を持って『スターリング侯爵家』の屋敷へ挨拶と、今後の作業スケジュールのすり合わせ。……で、挨拶が終わったら僕も宿に向かって殿下たちと合流、1日目は移動の疲れを癒やす。そして2日目の朝から、みんなで問題の『海底地脈回線』の管理施設に直行、ブラックボックスの解析開始か)
仕様書のない、113年近くもの間に渡って徐々にメンテナンスされなくなり、最終的に放置された古いシステムの解析 (デバッグ)。
前世の感覚なら、どう考えても炎上確定のデスマーチ案件である。
(もしバグが深刻だったら、連日徹夜の原因究明作業になるかもなぁ。社畜時代の悪夢が蘇りそうだ……。いやいや、この世界には定時退社なんて概念はないかもしれない、今回こそはホワイトな労働環境を自分で勝ち取ってやる!)
そんな決意を固めながら予定表をしまい、ソファの背もたれに深く体を預けた。
お腹はいっぱいだし、濃厚なミルクティーのカフェインが心地よく脳を緩めていく。窓の外からは、ザザーン、ザザーンと、船が波を切り裂く一定のリズム音が響いていた。
規則的な揺れとポカポカとした陽気に誘われて、瞼はだんだんと重くなっていく。
(ちょっとだけ……。船に居る間だけでも、のんびりするとさっき決めたんだ……)
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意識が心地よい暗闇へと沈んでいく中で、僕は懐かしい夢を見ていた。
それは、僕がまだ5歳ぐらい、『前世の記憶』が覚醒して1年ほど経った頃の記憶だ。
フォール家の広い庭で、僕がたどたどしく小さな魔道具の魔法陣を改変しては最適化を繰り返し魔石使用料が減り没落貴族の家計を救っていたのは言うまでもない。父上が「まだ小さい子供がなぜだ? 解せぬ」とかぼやいている横で母上は「まぁ!ライナス、いつもありがとう」とすんなり受け入れ褒めてくれた。
それを見ていたヴァンス兄さんが「やっぱりライナスは精霊さんに愛されてるんだよ!」と言い、クレスト兄様は「凄いなライナス!」と、なぜか兄たちからは精霊さんに愛されてる扱いを受けていた。
前世の佐藤巧の時には味わえなかった、兄弟からの尊敬の眼差し?ちょっと居心地が悪い感覚に襲われる。
海の向こうの未知の国へ旅立つ僕の背中を、そのフォール家の懐かしく温かい記憶が、力強く押し出してくれるような気がした。
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「……ん……っ」
ふっと意識が覚醒し、ゆっくりと目をあける。
視界に飛び込んできたのは、スイートルームの豪華な天井と、窓から差し込む鮮やかな水縹の海の色だった。
「お目覚めですか、坊ちゃま。少し冷えてきましたので、ブランケットをお持ちしました」
いつの間にか、僕の体にはふんわりと上質な毛布がかけられていた。斜め後ろを振り返ると、ノーマンがいつもと変わらない完璧な立ち姿で控えていた。
「あ、ありがとう、ノーマン。僕、どれくらい寝てた……?」
「一時間ほどでございます。とても幸せそうなご様子で眠っておいででしたよ」
ノーマンの言葉に、僕は少し気恥ずかしくなって自分の頬をさする。
「あはは! 見ろよカイル、ライナスの左のほっぺた、ソファーのボタンの跡がくっきりついてるぞ!」
対面のソファーで、いつの間にかカイルさんと書類を広げていたアルマ殿下が、嬉しそうに指を差して笑った。
「殿下、そんな風にからかってはいけません。……ですがライナス様、連日お忙しくされてましたから、お疲れなのでは? あまりご無理なされませんように」
カイルさんが苦笑しながら、僕のほっぺたを見て優しく微笑む。
「あ、あはは……。すみません、昨夜の荷造りがちょっと、その、嵐のようだったので……」
僕は照れ隠しに笑いながら、すっかり冷めてしまったお茶を飲み干した。
(はぁ……正直、炎上案件なんかどうでもいいのが本音だ、実はもう帰りたい。でもやると決めちゃったからなーあぁー行きたくねー)
窓の外に広がる、どこまでも続く水平線を睨み据えながら、僕は心底毒づいた。




