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第43話:小さな襲撃者と、見えない遅延(レイテンシー)

 ライナスが王宮の研究室にある自身のデスクで、魔導共有核 (モバイル・ターミナル)の出力ログを解析していたときのことだ。

 空中に展開された術式陣 (インターフェース)に流れる魔法陣 (コード)の数値を睨みつけ、「……やっぱり、この間のディラックの魔導核 (サーバー)の処理、微妙に環境ログにゴミが残って――」と呟きかけたその時。


 バタン、と勢いよく部屋の扉が開いた。


「ライナス! 待たせたな!」


 入ってきたのは、すっかり元気を取り戻し、元の生意気そうな様子に戻ったアルマ殿下だ。後ろには、相変わらず影のように付き従う側近のカイルさん(24歳)が、長めの亜麻色の髪を揺らしながら、「殿下、まだみなさんお忙しいでしょうから、日を改めませんか?」と、笑えない大事件の後処理による酷い寝不足のクマを刻んだ困り顔で声をかけている。


(ん? 待ってないけど?)


 ライナスは心の中で盛大にツッコミを入れつつ、椅子から立ち上がった。


「ごきげんよう、アルマ殿下」


 アルマ殿下の手には、さらに幼く、上等な服を着た子供の手が握られていた。


 よちよち、トコトコ。

 危なっかしい足取りで、アルマ殿下に引かれながら入ってきたのは、男の子だった。世界は違えど、子供の歩く姿というものはなんとも愛くるしいものだ。


「ライナス、私の弟のテオだ」


 アルマ殿下は胸を張って自慢げに言ったあと、すぐにテオ殿下の目線に合わせてその場にしゃがみ込んだ。紫の瞳が、弟への愛情で柔らかくなっている。


「ほら、テオ。こちらがいつも私が話している、共同研究者のライナスだぞ。凄く優秀な男だ」


 テオ殿下は、きょとんとした丸い瞳でライナスを見上げた。


 それから、手をぎゅっと握りしめ、とても歩くことを目的としているとは思えない豪奢な装飾の靴を履いて、一生懸命に足を動かしながらライナスの足元までトコトコと歩いてくる。


 バランスを崩しそうになるたび、後ろからハラハラしながら追いかけている男の姿があった。


 ライナスの目の前でピタッと止まったテオ殿下は、胸いっぱいに息を吸い込んで、一生懸命に自己紹介を始めた。


「ておだ、よろしく……らいでゅっ!」


((((――あっ、噛んだ))))


 その場にいたアルマ、ライナス、カイル、そして後ろに控えている青年を含めた4人の心が、完全に一つに同期した。

 笑ってはいけない時ほど、笑いが込み上げてくるのはどうしてだろう。

 ライナスはポーカーフェイスを維持するため、肩を震わせ、必死で笑いをグッと我慢した。


(幼い子供の何気ない言動ひとつに、こんなにも心が動かされほっこりするとは……お子様おそるべし。なんて、そんなこと言ったら『お前もお子様だけどな』って誰かに言われそうだな……)


 そんなくだらないことを思いながら、ライナスは片膝を突き、テオ殿下と目線を合わせるようにして、努めて自然に声をかける。


「お初にお目にかかります、テオ殿下。ライナスです」


 テオ殿下は満面の笑みを浮かべてしっかりとライナスを見据える。


(確か2歳になる第二王子が居るんだったな、へぇーこの子かー)


 ライナスはすっと立ち上がると、後ろのメンバーへ視線を向け、言葉を続ける。


「ごきげんよう、カイルさん」


「お忙しいところ恐縮です、ライナス様」


 物凄い申し訳なさが滲む『恐縮』という言葉が、カイルさんの口から零れ落ちた。そんなに気にしなくていいのに、と思いつつ、ライナスは隣の人物に視線を移す。


「えっと、そちらの方は?」


 後ろで控えていた金髪でショートヘアの爽やかな青年、その仕草や佇まいからして、間違いなく鍛え上げられた騎士だろう――が一歩前に出て、軽く会釈をした。


「お初にお目にかかります。私は、テオ殿下の護衛のルーク(23歳)と申します。以後お見知りおきを」


「こちらこそよろしくお願いします。ライナスです」


 一通りみなの挨拶が終わったところで、カイルさんが「……殿下、こちらでよろしいですか」と、カチャリとデスクの上に置いたのは、見たことのない奇妙な魔導具だった。


 それを受けて、アルマ殿下が身を乗り出すようにして本題を切り出した。


「あぁ、すまない、カイル。ライナス、これを改良して欲しいのだ! 街で見かけた、かき氷なるものを作る魔導具を見様見真似で作ってみたのだが……私がやっても綺麗にふんわりとした感じに削れんのだ。テオにも美味いものを食べさせてやりたいのだ! な? ライナス? どうだ? できるだろう? な?」


 グイっと顔を近づけてくるアルマ殿下。


(なんか久々だなこの圧、だから近いって)


 見れば、テオ殿下もお兄ちゃんの言葉を真似するように「かきごーり?」と不思議そうに首を傾げている。どうやらまだ、それが何なのか分かっていないらしい。


「……なるほど、そういうことですか」


 ライナスは苦笑しながら、持ってきた魔導具の術式陣を空中に展開し、その魔法陣を改変し始めた。

 相手はまだ2歳の幼児だ。大人が食べるような冷たすぎる氷では、一発で頭がキーンとなって泣いてしまうか、お腹を壊してしまう。


『冷感出力の最適化 (リファクタリング)を開始。魔力の粒子を極限まで微細化、均一化。温度をマイナス1度から2度の間で固定――よし、ふわふわ仕様 (シルキー・アイス・プロトコル)適用 (デプロイ)』


 シュパパパン! と音を立てて魔導具が駆動し、まるで新雪のように細かく、触れただけで淡く溶ける、最高級のふわっふわの氷が器に盛られた。そこに、ルークが預かっていたという、完熟した真っ赤なイチゴの果肉が贅沢にゴロゴロと残る、濃厚な特製シロップをたっぷりと上からかける。


「お待たせしました、テオ殿下。どうぞ」


「わぁぁ……! キラキラ!」


 テオ殿下は目を輝かせ、勢いよくスプーンでかき氷を口に運んだ。

 お口に入れた瞬間、「んーーーー……っ!」と、その美味しさを全身で表すようにちっちゃな体を震わせた。


「どうだ、テオ、美味いか?」


 アルマ殿下が覗き込むと、テオ殿下は満面の笑みで頷いた。


「うん!」


「そうか、美味いか! さすが私の共同研究者だな!」


 お兄ちゃんが誇らしげに胸を張り、小さい弟が無邪気にかき氷を頬張る。

 微笑ましい光景の中、テオ殿下がふくふくとした手をパタパタと動かした。


「にぃちゃまも、うーくも、かいるも、みんないっちょー」


 2歳児による、みんなの分も作って欲しいという意思表示のようだ。

 ライナスはそれを察して「少々お待ちを」と告げながら、手際よくかき氷を人数分用意していく。

 全員分の器が出来上がったところで、テオ殿下が新しいスプーンを一生懸命にルークの方へと差し出した。


「うーく、どうじょ」


「……っ! ありがたき幸せにございます……!」


 まさかの不意打ちをくらったルークは、涙目で天を仰ぎながらスプーンを拝受していた。横ではカイルが相変わらずの疲労感を漂わせながら、しかし少し羨ましそうにそれを見守っている。


 小さな来訪者の襲撃によって、その圧倒的な破壊力に誰もが翻弄される、そんな穏やかな昼下がりであった。


 みんながかき氷のふわふわに夢中になっている中、ライナスだけが、空中に展開されたままの術式陣に残る、奇妙な環境ログを見て小さく眉をひそめた。


『……おい、これ、何の応答遅延 (レイテンシー)だ?』


 今、かき氷を削るために使ったのは、王宮の基幹魔力ではなく、この空間の底――地脈の末端から漏れ出している、ほんのわずかな微弱マナだけだ。通常なら、システム全体の負荷(リソース消費)にすらカウントされない、完全に独立したローカル処理で済むはずだった。


 それなのに。

 手元の術式陣に表示されたログには、王宮基幹魔導核 (メインサーバー)側で、通常では絶対にあり得ないレベルの「異常な処理遅延」が一瞬だけ記録されていた。


 まるで、どこか目に見えない部分で、何かが王宮の全リソースを裏でガリガリと食い潰し始めているかのような、不気味な――リソースの枯渇 (サイレント・ハング)。


 ライナスは、楽しそうにかき氷を囲む子供たちの笑顔を見つめながら、じわりと心の深層を侵食していく奇妙な胸騒ぎを、拭い去ることができなかった。

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