第37話:流出した合鍵と、未知のバグ
バチィィィン、という過負荷の破裂音の残響が、静まり返った王宮基幹魔導核 (メインサーバー)のある部屋に虚しく響いていた。
城内を一括監視する『万象の魔鏡(監視カメラ)』のモニターは、すべてザーザーという不気味な砂嵐 (スノーノイズ)を映し出している。現地の通信中継水晶が物理的に焼き切られたことで、完全な通信遮断 (コネクション・ロスト)が発生したのだ。
空中を舞う『遠隔統御方陣 (リモート・コントロール)』の光が、力なく霧散していく。
主駆動輪 (メインコンソール)に触れたままのライナスの小さな指先が、微かに震えていた。
(……裏口 (バックドア)の制御権(管理者権限)は、間違いなく僕が握っていたはずだ。なのに、実行プロセスを横から全部改変して、強制終了 (タスクキル)まで決めたのに……どうして……?)
これほど完璧な勝利の直後に、すべてをひっくり返されるような「未知の特級障害 (インシデント)」に直面したことはなかった。自分のハッキングが、最初から敵の用意した立体残像 (デコイ)に踊らされていただけだったという残酷な現実。
生まれて初めて味わう底知れぬ敗北感に、ライナスはただ言葉を失って立ち尽くすしかなかった。
その小さな肩に、大きくて温かい手がそっと置かれた。
「ライナス、落ち込んでいる暇はないよ」
クロード主任だった。その端正な顔は、現場の異常事態に青ざめてはいるものの、瞳の奥にあるシニアエンジニアとしての火は消えていなかった。
「向こうが一枚上手だった。……だが、好き勝手させてやるつもりはない。君もだろ?」
「……主任……」
ライナスがハッと息を呑んだ瞬間、隣にいたアルマ殿下が、その細い指に嵌められた紫色の宝石の指輪を強く握りしめた。王族に代々伝わる、緊急時用の最高級指揮魔道具である。
刹那、殿下の前に、高貴な紫色の光を放つ巨大な『緊急指揮術式陣』が空中に鮮やかに出力された。
「カイル! 貴様の第三部隊は、現地で負傷した副隊長たちの救護を最優先せよ! 決して無理はするな!」
「はっ!」
殿下の側近として背後に控えていたカイルさんが、即座に通信魔道具へ連動させて現場へ鋭く指示を飛ばす。
殿下はそのまま、紫色の魔法陣を指先で弾き、王宮へ待機している別の精鋭部隊へとダイレクトに最高権限の命令 (コマンド)を送信した。
「王宮近衛第一部隊! 医療班を連れてただちに南西の魔導医院へ急行、負傷者を搬送せよ。同時に――あの施設に多額の寄付を行っていた防衛大臣を、国家転覆未遂の共犯疑いで直ちに拘束しろ! 逃がすな!」
『ハッ! ただちに出動いたします!』
魔法陣の向こうから、第一部隊の鋭い返答が響く。デジタルな追跡ログが消し飛ばされた今、大人たちは王族の権限をもって、即座に「リアル世界の物理セキュリティ(強制捜査)」へとリソースを全振りして動き出していた。
テキパキと指示を出す殿下を見届けた主任は、再びライナスに向き直ると、その頭を優しく撫でた。
「よし、ライナス。今日は君の解析力のおかげで助かったよ。ありがとう。でも、もう19時を過ぎている。いくら緊急対応とはいえ、8歳の子供をこれ以上残業させるわけにはいかないからね。さあ、帰る支度をしなさい」
「お、お言葉ですがクロード主任、まだログの切り分けが――」
「ここから先は、大人の政治と物理の仕事だ。ノーマンが首を長くして待っている。明日、すっきりした頭でまた仕様を詰めよう。これは『命令』だよ、我が王宮の技術顧問くん」
「……わかりました。お先に失礼します……」
執事・ノーマンが扉の前で待機していた。
「坊ちゃま、お疲れ様でした。……少々失礼します」
すっとハンカチを取り出しライナスの口元を優しく拭った。
「んっ……なに?」
「いえいえ、ではまいりましょう」
ノーマンの満足そうな顔を見て、ライナスは怪訝そうにしながら研究室を後にした。
◆◆◆
悔しさを噛み締めながら、ライナスはアルマ殿下が手配してくれた、お馴染みの王宮専用馬車で帰宅することになった。退勤間際に障害を突き止めてから、まだそれほど時間は経っていない。だが、脳細胞が大人しくスリープモードに入るはずがなかった。
自室のベッドの中。暗闇の中で天井を見つめながら、ライナスの脳内コンソールは、さっきのハッキングログを何度も何度もフレーム単位でリプレイ(脳内デバッグ)していた。
(あのデコイプロセスの構造……悔しいけど、無駄がなくて美しかった。でも、完璧なシステムなんてこの世に存在しない。絶対にどこかに脆弱性 (バグ)はあるはずだ。あの謎の魔導師は、一体何を狙って、国中のデータをかき集めたんだ……?)
布団の中でリベンジの火をパチパチと燃やしているうちに、夜が明けた。




