第34話:終わらない緊急呼び出し(オンコール)
研究室の重い扉が開いた。
入ってきたのは、陛下への緊急報告を終えたクロード主任、アルマ殿下と、その側近のカイルさんの3人だ。
出迎えたライナスは、研究室のソファでのんびりと温かいハーブティーを喉に流し込んでいるところだった。地下の審問室でエリオットの言い逃れ (ログ隠蔽)のルートを完全に遮断したあと、ライナスはこの部屋で一仕事終えて休憩していたのだ。
「ふぅ……。お帰りなさい、皆さん。お疲れ様でした」
カップを置きながら、ライナスは心の中で小さくガッツポーズを決める。
(よし……! これで今回の不正侵入インシデントは完全にクローズだ。大規模な高負荷障害だったけど、なんとか今日中にサービス復旧できたぞ。あとはこのお茶を飲み干したら、即座に定時退勤して、自宅のベッドへ直行だ!)
心地よい達成感と共に、これからの至福のベッドにダイブを妄想し始めたライナスに、カイルさんが爽やかな笑顔で歩み寄ってきた。
「ライナス様、本当に助かりました。先ほど陛下への報告を終えたところです。……エリオットの件ですが、グラント家は今回の『国家転覆未遂』および『結界への不正侵入』の罪で、取り調べが終わるまで一族全員が謹慎処分。爵位剥奪は免れないでしょう。彼の父親である宰相も、実質的な失脚が決まりました」
「へえ、それはまた……綺麗にクリーンアップされましたね」
ライナスは他人事のように感心した。調子に乗って国家の基幹システムをハッキングしようとした報いだ。自業自得である。
だが、その横でアルマ殿下が、どこか釈然としない様子で小さく眉をひそめた。
「ああ、エリオットたちの処分に関しては、誰もが納得する形になった。……だがライナス、問題はその後なのだ。今回の件を受けて、父上もついに折れてしまわれて」
殿下の言葉に、カイルさんが「殿下、まずは一息入れましょう」と声をかけ、研究室の棚から手際よく白磁のカップを取り出して温かいお茶を用意し始めた。「クロード様もいかがですか?」という問いかけに、主任は「ああ、ありがとう」と短く応じた。
そして主任は、防衛大臣から渡されたという手のひらサイズの精緻な立体魔道具――『秘匿方塊録 (グラフィック・キューブ)』を取り出した。それは、特定の幾何学配列を正しい順序で揃えなければ、内部の術式 (データ)が決して開かない強力なセキュリティ(暗号ロック)が施された立方体だ。
主任はカチャカチャと美しく細工されたキューブの面を滑らせ、知る者にしか解除できない複雑な暗号キーを、流れるような手つきで一瞬にして揃えていく。
カチリ、とキューブの暗号キーが揃った刹那、その隙間から青白い光が溢れ出し、空間に仕様書としての『術式陣』がホログラムのように立体展開された。主任はその光る画面を指先で優雅にスクロールさせながら、小さくため息を吐いて口を開いた。
「そうなんだよ、ライナス。かねてより防衛大臣が『王城のセキュリティ向上のために』と強く進言していた最新の魔導具――城内を一括監視する『万象の魔鏡(監視カメラ)』のテスト導入を、この一件を機に陛下が許可されたんだ。主要な廊下や重要施設に、さっそく配置されることになってね」
主任は、空間に浮かぶ『万象の魔鏡』の複雑な術式構成図を、ライナスに見せるように位置をずらした。
「私の研究室ではなく、防衛大臣の派閥お抱えの魔導技師――昔から私を一方的に敵視している男が設計したシステムなんだ。『クロードが作った光の高速通信網 (インフラ)は、ただ魔力の通り道を広くしただけの旧時代の遺物だ。これからは、私の作った自動統治システムが国を支配する頭脳になる』と、随分な自信作のようでね……」
「へえ……。その自信作の仕様書、ちょっと拝見してもいいですか?」
ライナスは空中を流れる『万象の魔鏡』の術式構成図 (アーキテクチャ)をじっと見つめた。……が、その瞬間、ライナスのエンジニアとしての直感が、ピピッと危険信号を告げた。
(……ん? なんだこの構成? ただの監視映像を記録するだけにしては、魔力ラインの接続ポートの設計が妙に複雑というか……まるで、データをどこかへ『転送』するようなルーティングになってないか?)
「――主任、ちょっと確認させてください!」
ライナスは作業机へと急ぎ、引き出しからクロード主任から貸与されている『魔導共有核 (モバイル・ターミナル)』を取り出すと、デスクの上に置いた。
その魔導共有核の水晶にパッと両手をかざすと、内側から淡い光が溢れ出し、空間に半透明のきらめく『術式陣 (インターフェース)』が鮮やかに展開される。
指先でその画面(術式陣)を軽快に叩くと、そこから、複雑に絡み合う幾何学模様が刻まれた小さな『魔法陣 (コード)』が、いくつも溢れ出すように周囲へズラリと浮かび上がっていく。
クロード主任が持つ『秘匿方塊録』から空中に投影されている『万象の魔鏡』の仕様書を、こちら側へと同期させ、王城全体の魔力の流れ (トラフィック)をリアルタイムで監視するための、ライナス専用の監視コンソールが、今ここに起動した。
「さて、パケットキャプチャ開始、と……。どれどれ……ん?」
浮かび上がった魔法陣 (コード)の、光の循環スピードを視覚的に解析していたライナスの指が、ピタリと止まった。
みるみるうちに、少年の顔から血の気が引いていく。
「……ん? 何だこれ」
「ライナス、どうかしたかい?」
クロード主任が不思議そうに覗き込んでくるが、ライナスの耳にはもう届いていなかった。
(おかしい……! ただの防犯の映像記録にしては、魔法陣を流れる魔導データ量が異常に多すぎる。バックグラウンドで一体何テラバイトのトラフィックを消費してんだこれ!?)
ライナスは奥歯を噛み締め、さらに深く、その魔法陣の術式のヘッダー情報を書き換えて深層解析を掛けた。術式陣の光が激しく明滅し、解析結果としての新たな魔法陣が展開される。そこに刻まれたロジックを読み解いた瞬間、ライナスは目を見開いた。
(これ、ただの監視カメラじゃない……! 映した人間の行動パターン、歩行の癖、さらには個人の『魔力波形の構成術式』までフレーム単位で自動解析して、データベースに学習させてやがる。……画像認識AIを搭載した、国家規模のスクレイピング(全データ収集)ネットワークじゃねーか!!)
それだけではない。
ライナスが、その収集されたデータの「送信経路 (ルーティング)」を指先で手繰り寄せていくと、トドメの致命的な大バグ(異常)が発覚した。
城内の重要サーバーに蓄積されるはずの全データは、城内にある無害なシステムを中継サーバー (プロキシ)として経由したあと――
王宮の結界をすり抜けて、城外の、全く見たこともない未知の暗号化通信チャネル(外部アドレス)へと、リアルタイムで極秘裏にデータ漏洩(横流し)されていたのだ。
仕様書にはない、開発者だけが認証なしでシステムをフルコントロールできる、歪んだ模様――『裏口 (バックドア)』が綺麗に仕込まれていた。
(……嘘だろ。エリオットが仕掛けたあの稚拙な権限偽装とはワケが違う。痕跡を一切残さない隠蔽術式、無駄のないパケット偽装――これは、プロの職人が国家をハッキングするために作った、本物の『裏口』だ……!)
「……っ」
ライナスは、あやうく目眩でその場にひっくり返りそうになった。
(誰だよ、これで防犯対策は完璧って言った奴……! エリオットの事件が解決して一件落着どころか――今まさに、リアルタイムで国家の最高機密がハッキングされてる真っ最中(特級インシデント発生)じゃねーか!!)
(それに……クロード主任が作った最高に綺麗な高速回線 (インフラ)の帯域を、お前が作ったクソ重いバグだらけの監視スクレイピング (ゴミデータ)で圧迫して、ネットワーク遅延(高負荷障害)起こしてんじゃねーよ!!!)
(……帰ってベッドへダイブ)というささやかな極楽計画は、音を立てて崩れ去った。
「……はぁ。終わったと思ったのに、まさかの最悪な緊急呼び出し (オンコール)かよ……」
ライナスは白目を剥きながら深く、深くため息を吐いた。
だが、その瞳からは、先ほどまでの「のんびりモード」が完全に消え失せ、冷徹なガチハッカーの鋭い光が宿っていた。
「……カイルさん、クロード主任。定時退勤はキャンセルです。……この万象の魔鏡の裏側、今から全力で逆探知 (トレース)します」
諦め混じりにそう呟くと、ライナスは溢れ返る魔法陣の中に両手を突っ込み、猛烈な速度で術式の繋ぎ替え (ハッキング)を開始するのだった。




