第31話:不透明なログと、上書きされる署名
昼食後。
クロード主任の執務室。
「ライナス、あの『あじふらい』というのは、実にけしからん美味さだったな!」
アルマ殿下は、ついさきほど食べたライナスのお弁当より「お裾分け」された色とりどりのおかずを思い出し、満足げに喉を鳴らした。その後ろに控える側近のカイルさんは呆れた表情を見せている。
「喜んでいただけて光栄です」
ライナスは誇らしげに微笑んだ。
重厚な扉が閉まり、執事・ノーマンが淹れたてのお茶を配り終えると、室内の空気はガラリと「運用フェーズ」へと移行した。
「……さて。皆、すまないね。私が不甲斐ないばかりに、余計な苦労と迷惑をかけてしまって」
クロード主任が、デスクに展開された複数の『投影魔法陣 (インターフェース)』を苦渋の表情で見つめた。彼は王位継承権を返還し、研究者として生きる道を選んだ男だ。その高潔なプライドが、今、激しく揺れている。
「投獄したミレイユは、何かに怯えて震え続けているだけで、有力な情報はまだ引き出せていない。……それに、不正侵入を幇助した可能性がある他の研究員23名の身辺調査も難航している。全員がシロに見えるし、同時に、全員がシステムを熟知したプロだからね、全員に犯行は可能だ」
クロードはこめかみを指で揉み、年の離れた従兄弟であるアルマ殿下の前で、8歳の少年に頼らざるを得ない現状に深い悔恨を滲ませた。
「すまない、ライナス。昨日の今日でまさか君の手をこんなに早く借りることになろうとは……。本来は大人の仕事なのに。研究室の主任として、情けない限りだよ」
「いいえ、主任。僕にできることをしたまでですから。それに、我が家へ直接攻撃を仕掛けてきたからお返しをしたまでですよ、お気になさらず」
苦笑いを浮かべたまま主任を見据える。
「容疑者の絞り込みは皆さんにお任せします。僕はもう一度、王宮基幹魔導核 (メインサーバー)に異常な魔流の奔流 (トラフィック)や、見えない裏口 (バックドア)が仕込まれていないか、徹底的に診断 (ヘルスチェック)をかけてみます」
「そうか、まだ終わらないのだな。しかたない、そうだな、こういう時は『適材適所』というのであろう?こういう時に使うのであろう?」
殿下は最近覚えた言葉を使いたいお年頃のようだ。
「まぁ、間違ってはいないけどね……」
主任がフッと目を細めて笑う。
カイルさんが、「すみません」と申し訳なさそうに軽く頭を下げる。
(あぁ、権力のあるお子様の扱いって大変だよね)
と、他人事として扱うライナス。
「殿下には申し訳ないですが、もう少しライナスには王宮基幹魔導核のチェックをお願いしたいと思います。私とカイルは引き続き23人の身辺調査を続けます」
主任の言葉を聞き、殿下は身を乗り出した。
「わかった、よろしくたのむ。私にもできることはないか?」
「殿下には、そうですね……」
主任が言いよどんでいると、すかさずカイルさんが言葉を繋げる。
「殿下におかれましては、ご自分のお勉強が滞っておりますので、そちらに励んでいただきましょう」
カイルさんは「絶対逃がさない」という強い意志を感じる鋭い目つきで殿下を見る。
「うっ、あっあー……今日はライナスの手伝いをしてやろうと思っていたのだ、なーライナス?」
(へ?僕を巻き込むなよ、アルマ殿下のそれはさすがにひどい言い訳です)
ライナスが困った顔をしていると、助け舟(?)が出された。
「殿下!!」
カイルさんの雷が落ちた瞬間だった。
蛇に睨まれた蛙とはまさにこのことだな、とライナスは思った。
「……わかった」
小さくなっていく殿下を横目にしつつ、僕は席を立つ。
「クロード主任、僕はこれで失礼して研究室へ戻ります。何かあればすぐ報告に上がります」
「あぁ、すまない、よろしく頼むよ」
主任が優雅に持っていたカップをテーブルに置き、返事をした。
「では、失礼いたします」
ライナスとノーマンが部屋を後にする。
◆◆◆
研究室へ入り、ノーマンが控え室へと移動する背中を見送り、王宮基幹魔導核の前に立つ。
ポキポキと指をならしながら、小さく呟く。
「さぁ、始めるか」
自身の魔力波形を認証キーとして、王宮の深層へとログインしていく。以前、バートンを追い詰めた時に検知した「微量な魔力資源のズレ(パケットロスのような違和感)」を探すような鋭敏な感覚が、ライナスの指先を研ぎ澄ませていた。
だが――。
複雑に絡み合う魔力の糸を指先で優しく手繰りながら、空中へと投影された起動記録 (ログ)を追っていたライナスの指が、ある箇所で不自然に止まった。
「……? なんだ、これ」
ついこの前みつけた「ズレ」や些細な数値の不整合ではない。
だが、本来なら自分自身の癖や細かなノイズが出るはずの箇所が、あまりにも「綺麗」に補完されている。
(……僕の魔力署名 (サイン)が、完璧に含まれている。なのに、この権限昇格の術式命令 (コマンド)……僕は出した覚えがないぞ?)
ライナスの背筋を、冷たい汗が伝わった。
それは「ズレ」ではなく、完璧な「上書き」だった。
自分というシステムの中に、自分以上に自分らしく振る舞い、管理者権限(Administrator)を使いこなす「偽の管理者」が居座っている。
「僕が……ハッキングされている……?」
小さく、しかしはっきりした口調で漏れた言葉だった。
◆◆◆
その頃。
王宮の喧騒を離れた古い塔の地下では、エリオットが狂おしい笑みを浮かべていた。
不気味な赤黒い光を放つ私設魔導核 (プライベート・コア)は、無理やり並列接続された魔導水晶が悲鳴を上げるように黒い煤を吐き、異形の心臓のごとく不気味な脈動を繰り返している。
「ふふふ……ライナス。食堂での君の煽り (ロジック)は見事だった。だが、君というオリジナルの権限を、この僕が支配していることにいつ気づくかな?」
彼は『権限偽装印 (スプーフィング・シール)』を指先でなぞり、王都の魔導インフラの設定ファイルを書き換えた。
「さあ、国民諸君。まずは街の灯りから消してあげよう。――『ライナス』の署名 (サイン)を使ってね」
エリオットが光の魔法陣を力強く叩いた、その瞬間。
◆◆◆
研究室にけたたましい警報 (アラート)が鳴り響く。
――ドンドンドン!
クロードの執務室の扉が、勢いよく叩かれる。
「何ごとだい?」
主任が扉越しに声をかける。
「クロード主任! 大変です! 王宮基幹魔導核より緊急警報! 王都北区の全魔導灯が強制シャットダウンされました!」
カチャリと扉の魔法陣が開かれる。
「それは、本当ですか? 誤報ということは?」
主任の問いに、報告に来た研究員が青い顔で矢継ぎ早に告げる。
「いえ、誤報ではありません! 実行管理者 (ユーザー)は……『ライナス・フォン・フォール』様です!」
執務室の全員が驚愕に目を見開いた。
◆◆◆
警報音が鳴り響き、バタバタと人に囲まれる中、ライナスの目の前の空中に表示される真っ赤な警告文字が踊る。
守ろうとした世界から、自分が「国家の敵(反逆者)」として指し示された瞬間だった。




