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第30話:深層のバグと、狂った演算

 王宮騎士団の管轄下にある地下獄舎。そこは、清潔な研究室とは対極にある、冷たく湿った石造りの世界だった。


 ミレイユは独房の隅で、膝を抱えて震えていた。豪華な身なりは汚れ、かつてのプライドは見る影もない。彼女の頭を支配しているのは、逮捕された屈辱ではなく、底知れない「恐怖」だった。


「……あの識別番号(ID)、間違いない。……『あの方』の、特別な識別コードだ……」


 彼女は髪をかきむしりながら、ぶつぶつと虚空に呟く。バートンのデスクに魔道具と手紙を置いたあの日。彼女はただ、少しばかりの報酬と「あの方」の理想に加担できる優越感に浸っていた。


 しかし、不正侵入 (ハッキング)事件の最中に目撃してしまった証拠 (ログ)の片鱗。それが、計画の失敗を意味していた。


「……バートンが捕まった。手紙を置いた私まで辿り着くのは時間の問題。……いや、騎士団ならいい。……怖いのは、あの人たちが『証拠隠滅 (デリート)』に来ること……」


 ガチガチと歯を鳴らしながら、彼女は石壁を見つめる。


「……あんな、たった8歳の子供に計画を壊されるなんて……。こんなはずじゃ……あの方の計画に、あんな『イレギュラーな変数』は存在しなかったはずなのに……!」


 彼女はもう、自分が助かる道など考えていなかった。ただ、システムから「不要なデータ」として消去されるのを待つ、壊れた端末のように震え続けていた。



◆◆◆



 地上では、賑やかな昼食時が終わり、午後の気怠い空気が漂い始める、一日で最も張り詰めた空気が緩む時間が流れていた。

 エリオットは、取り巻きの「金魚のフン」たちを「パパに呼ばれた」という適当な嘘で解散させると、一人で離れの古い塔へと向かった。


 その地下には、宰相である父すら知らない、彼だけの「隠し部屋」が存在する。


 かつて王宮の極秘プロジェクトで使われ、打ち捨てられた古い研究施設。エリオットは子供の頃にそれを見つけ出すと、誰にも知られぬよう心血を注いで、自分専用の実験場へと再構築 (リビルド)したのだ。


 部屋の中央で、過負荷 (オーバークロック)による不気味な赤黒い光を放つのは、彼が密かに組み上げた『私設魔導核 (プライベート・コア)』だ。王宮の『王宮基幹魔導核 (メインサーバー)』のような洗練さはないが、力技で演算を回すために連結された黒い魔導水晶は、さながら異形の心臓のようであった。


「ふふ……ふふふ……ああ、美しい。この出力、このノイズ。これこそが僕にしか到達できない、真の魔導工学だ」


 彼は愛おしそうに私設魔導核をなでた。


「王宮の研究員どもが『公式』だと崇めているあのシステムなど、僕から見ればただの欠陥品だ。僕だけが、この国の根底を流れるマナを、真に支配する資格を持っている……」


 そこには食堂でのマヌケな表情は消えていた。


「ライナス・フォン・フォール……。君の演算処理 (ロジック)は、没落の泥を被ってもなお、実に見事な輝きを放っているね」


 エリオットは冷徹な理系の瞳を輝かせ、採取した魔力波形 (パケット)を『権限偽装印 (スプーフィング・シール)』へと流し込んだ。装置が不気味に明滅し、ライナスの魔力波形を完璧に読込 (トレース)し始める。


「……これだよ、この清らかな波形だ。王宮基幹魔導核のセキュリティすら、君の波形なら『正当な管理者 (ユーザー)』として迎え入れてくれる。君がどれほど優秀でも、その才能(権限)を僕が自由自在に使えるということに、君はいつ気づくのかな?」


 彼は、自分の魔力がライナスの波形に書き換えられていく様子を眺め、恍惚とした表情を浮かべた。


「……王もパパも、この国の奴らは誰も気づいていない。この国がどれほど脆弱なシステムの上で踊らされているか。この『魔導傍受陣 (マナ・スニッファー)』に映るマナの奔流こそが、この国の真の姿だというのに。愚かな国民ども……。君たちが明日も魔法の恩恵を受けられるかどうかは、僕の指先一つにかかっているということを、いつかその膝を折って理解させてあげるよ」


 エリオットはワイングラスを片手に、空中に展開された『投影魔法陣 (インターフェース)』を眺めた。


 それは世の一般的な魔導師が使う単層のものとは一線を画す、無数の術式が複雑に絡み合った多層構造の塊だ。彼が指先でくうをなぞれば、膨大なコードの海から必要な魔法陣が瞬時に呼び出され、編集・実行されていく。


 その光の膜に映し出された王都の広大な街並みと、そこを流れるマナの光景を、地下室にいながら見下ろすその瞳には、不気味な光が宿っていた。


「……みんな勘違いしているんだ。この国を動かしているのは王家でも『パパ』でもない。地脈を流れる膨大なマナ、その『権限』だよ」


 彼は髪をかき上げ、特製の魔道具をかけ直す。


「……僕はただ、挨拶(Hi)をして、それを僕のポケット(Jack)に入れ替えるだけさ」


 不敵な笑みを浮かべ、誰もいない闇に向かって囁く。


「さあ、国民諸君。君たちの運命は、僕が『ライナス』として侵入 (ログイン)した瞬間に決定する。僕の最高傑作、この『私設魔導核』に、この国のすべてを同期 (シンクロ)させてあげよう……」


(エリオットは両手を広げ、狂おしいほどに笑みを深めた)


「……ひれ伏せ。僕という真の支配者の前に!」


 地下室には、彼だけの歪な悦びに浸る不気味な笑いが、いつまでも響き続けるのであった。

【作者より:今回のIT用語(?)ネタ】


エリオットが放った「Hi」と「Jack」のセリフですが、実は「ハイジャック」の語源の一つと言われている説を元にしています。


昔の密造酒強盗が「Hi, Jack!(やあ、ジャック!)」と親しげに声をかけて油断させ、銃を突きつけたことから来ているという説があるんです。


エリオットも、ライナスの魔力を「挨拶するように」スマートに奪い、自分の懐に入れるという意味を込めてあのセリフを吐かせました(笑)。

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