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第29話:アジフライ防衛戦と、不規則なノイズ

 研究室の喧騒を離れ、たどり着いた食堂の隅。執事・ノーマンが丁寧に広げた包みの中から、食欲をそそる香りが立ち上がった。


「今日は坊っちゃまの好きなアジフライでございます。それと、おかかのおにぎりです」


「ありがとう。ノーマン、いただきます」


 ライナスはお礼を言いながら差し出されたおにぎりを受け取った。


「冷めてもサクサクするように揚げておきました。と料理長より言付かっております」とノーマンが言い添える。


 まずはしみしみのナスの煮浸しをフォークで取りパクっと食べながら、(バグ (ミレイユ)は食べたけど、まだ残ってるな……)と無意識に考えるライナス。


 次はアジフライをサクッ、と小気味よい音がライナスの口の中で響く。続けておにぎり。

 朝からの高負荷な魔導演算で、メモリが枯渇しかけていた脳に、醤油の香ばしさと脂の乗ったアジの旨味が染み渡っていく。


「……おい。ライナス、一人で旨そうなものを食べているな」


 背後から響いた、聞き慣れた――そして最高に尊大な声に、ライナスはおにぎりを口に含んだまま振り返った。


 そこには、昨夜の寝落ちから完全復活したらしいアルマ殿下が、不機嫌そうな顔で立っていた。

 おかか醤油のおにぎりは一番安心する味だなと噛みしめていた。殿下と側近のカイルさんが横でピリピリしていても、おにぎりを頬張るライナスを見ているうちに、二人も毒気を抜かれたようだ。


 ライナスは口の中のおにぎりを一度に飲み込むと、事もなげに声をかけた。


「ごきげんよう、アルマ殿下、カイルさん」


「ふん、庶民の食い物か……」と言いつつ、ノーマンが差し出した予備のおにぎりを(カイルさんが止める間もなく)奪って食べ、「……悪くない」とムスッとしながら完食する殿下。


「殿下、毒見もせずに……! 申し訳ありません、ライナス様、この通り殿下は昨夜の『寝落ち』を取り戻そうと必死なのです」と、ライナスに深々と頭を下げるカイルさん。


(へぇーそうなんだぁ……。で、カイルさんは寝てないんだろうに、うん、目の下の隈が深刻だ)


 カイルさんを見る目にも哀れみが増す。


「そうなんですね」ライナスの気のない返事がこぼれる。


 殿下におにぎりを取られても動じず、大好きなアジフライをしっかり守りながら、「アルマ殿下、食べたらちゃんと会議に出てくださいね?」と、ライナスはちゃっかり釘を刺す。


 サクッ、サクサクッ……。


 ライナスが一切の容赦なく、黄金色に揚げられたアジフライを咀嚼する。


「……。……ライナス、それは……随分と、食欲をそそる音をさせるではないか」


 殿下が、並べられた豪華な王宮料理 (ポタージュやテリーヌ)を前にしながら、チラチラとライナスの手元を盗み見てくる。


「これですか? アジフライです。あげませんよ?」


「っ、誰がそんな庶民の揚げ物を欲しがっていると言うのだ! 私は、この厳選された食材による王宮料理を……カイル! なぜ私の前には、その『あじふらい』とやらがないのだ!」


 ライナスのサクサクのアジフライを指さしながら大きな声でまくしたてた。


「殿下、無理を仰らないでください。……ライナス様、その、すみません。殿下は朝からずっと、ライナス様の報告――というか、ライナス様がやっと共同研究に参加してくれると思っておりまして、その、楽しみにしておられるんです」


 カイルさんの言葉に、殿下はすかさず「変なことを言うな!」と耳まで赤くしてスープを啜りだした。

 仲の良い(?)会話に割って入ってきた不届き者が登場した。


「やあ、アルマ殿下。こんな油臭い場所にわざわざ足を運ぶなんて、側近殿も人がいいよね。僕のパパが『教育のために現場を見てこい』ってうるさいから来てみたけど、吐き気がするよ」


 殿下とカイルさんの目つきが鋭くなる。


(うわぁ、いるよなぁ。自分は何もしてないのに、立ち居振る舞いだけは一丁前な奴。前世の会社にもいたわ……。つうか、飯ぐらい静かに食わせろや)


「へぇ、ここが平民たちの餌場エサばか。……おや、そこにいるのは没落くんじゃないか」


 上から目線のいけ好かない男と取り巻きだろうか、後ろから3人の男がついてきた。


「げっ、何その茶色い塊 (アジフライ)? 没落するとそんな卑しいものを食べなきゃいけないの? アルマ殿下、そんな変な匂いのするものの側にいたら、お体に変調をきたしますよ。僕のパパが雇った王宮料理人のテリーヌを一口分けてあげましょうか?」


 エリオットは、嫌悪感を露わにライナスの手元を指さし、勝ち誇ったように鼻で笑った。


「グラントの息子か。……相変わらず声がデカくて耳障りだな」


 殿下とカイルさんは嫌な顔を隠すこともなく表に出した。


「さすがグラント宰相のご令息、エリオット様! 本物を知るお方は、やはり言うことが違いますね!」


 エリオットの右隣の男があからさまにヨイショする。


「そうですよ、没落くん。そんなゴミみたいな食事 (アジフライ)、よく喉を通りますね」とエリオットの左隣の男が追い打ちをかける。


 さらにその左に居た男に至っては、鼻で笑いながら、周囲の職員を見下すような視線を送る。


(……グラント(権限付与)か。名前負けして、他人の食事の邪魔をする権限まで持っていると勘違いしてるのか、このバグ野郎は、あとこの取り巻き、どいつもこいつもポンコツか、右隣が太鼓持ち、左が便乗系とスカし系と命名しておこう)


「ああ、没落くん。君もそんなゴミみたいな食事はやめて、僕のパパの料理人による『本物の味』のおこぼれでも預かりたいかい?」


 エリオットの人を見下す視線が落ちてくる。


 ライナスにとって、母や料理長が作ってくれた愛情弁当は、前世の記憶も相まって聖域である。

 それをこともあろうか頭の悪そうないけ好かない、いかにもなボンボン野郎がバカにしてきた瞬間。


「あー、そういうの興味ないんで。……お育ちのいい人は、他人の食事に難癖をつけたりしないようにって、パパに教わらなかったんですか?」


 冷徹な煽りモードにスイッチが入った。

 そしてエリオットが、顔面を真っ赤にしてフリーズ(停止)した。


「あ?」男の眉が吊り上がる。


 食堂には職員がお昼どきとあって100人以上が居合わせている、しかし今は、フォークがカチッと鳴る音すら聞こえるほどの静寂。


「私はこれが食べたいんだ(というか、さっきから欲しかったんだ)!」


 絶妙すぎるタイミングで、殿下が割って入る。


(うわっ出たな本音、そういやぁあいつも……。佐藤 巧だったころの俺の弟、あいつも食い意地はってたなー)


 感慨深げに殿下に視線を戻す。

 ライナスはゆっくりとアジフライを一口食べ、「サクッ……」といういい音を響かせる。

 それからお茶を飲んで一息つき、静かに。


「……で、なんのご用ですか? 宰相閣下のご子息ともあろうお方が、わざわざ僕の『お弁当メニュー』のチェックに来たわけじゃないですよね?」と切り出した。


 エリオットが言い返せずに顔を赤くしている横で、便乗系が「おい、生意気だぞ!」と手を出そうとした瞬間。

 カイルさんがそっと剣の柄に手をかける。


「あ、アルマ殿下の前で暴力ですか? 騎士道精神もパパに教わらなかったんですか?」


 ノーマンも表情には出さないがいつでも臨戦態勢だ。


「お前もそのうち僕を崇めるようになるんだ、その時に後悔しても知らないからな!」


 踵を返し一目散に食堂を後にする。

 その後ろを金魚のフンのごとく3人の取り巻きたちはバタバタと追いかける。


「「「あっ、お待ちください。エリオット様」」」


 嵐が去った後のような静寂。


「……ぷっ」


 誰かがたまらず吹き出した。それを合図に、こらえきれなかった笑いが波紋のように食堂全体へ広がっていく。


「……彼は、いつもああなのか? 宰相も苦労しているだろうな」


 カイルさんも「ふぅ」と小さく息を吐いて、心を鎮める。


「はい、最近ますます、目に余る言動が増えておりますね」


 どっと疲れた表情を浮かべるカイルさん。


(いや、捨て台詞がダサすぎて逆にこっちが恥ずかしいわ。……足は速いんだな、あいつ)


 ライナスはのんきなことを思いつつ食事の続きである。


「……あいつ、バカだけど『何か』妙に自信ありげだったな」


 一瞬だけライナスは真剣な表情になった。


「さて、アジフライの続きいただきますか。アルマ殿下も、一口どうです? 毒見……はカイルさんがうるさいからダメですかね」


 その言葉を待ってましたと言わんばかりに紫の瞳がキラキラしだした。


「ライナスがそこまで言うならもらってやってもいいぞ!!」


「申し訳ありません」


 カイルさんが諦め顔で頭を下げる。


「はい、はい、ノーマンお願い」


 苦笑しながら、ノーマンに殿下の分を取り分けてもらう。


「かしこまりました」


 皿に取り分けられたアジフライに殿下は無言で飛びついた。

 サクッといい音がする。サクサク、サクサク。もう止まらない。


「美味いなこれは、けしからん」


「ふふ、それは良かった」


「坊ちゃま、少し多めにご用意してございます。もしよろしければ、他も取り分けて差し上げても?」


 お弁当の量は確かに僕一人では食べきれない。


「あぁ、そうだね、アルマ殿下、どうです? 他にも気になるおかずがございますか?」


 アルマ殿下のアジフライはもうお腹に収まっていた。


「ライナスがそこまで言うなら、一通りもらってやってもいいぞ!」


「ノーマン、お願い」


 ノーマンが「では、少々お待ちを」と頷き了承する。

 続けて、味が染みたナスの煮浸しを取り分けた。

 別の皿には、ホクホクしたジャガイモのポテトサラダに、出汁の香る黄金色の卵焼き。

 さらに、香ばしいブロッコリーの胡麻和え、シャキシャキとした人参の甘酢和え、つやつやとしたミニトマト。


 それぞれが少量ずつ、手際よく丁寧に殿下の前へ並べられていく。


「食後のフルーツに、瑞々しいオレンジもございますがいかがでしょうか?」


 ノーマンの問いに殿下は「もらおう」と短く返した。


「カイル、貴様も今のうちに食事を取れ。私はしばらく、この……色とりどりの料理を堪能する」


 すっかりご機嫌な殿下は、ノーマンが取り分けたナスの煮浸しや卵焼きを、興味津々で口に運び始めた。


「……承知いたしました。では、私も今のうちに失礼して」


 カイルさんはようやく、冷めかかっていた自分のトレイ(王宮料理)を引き寄せた。


(食事はこうでなくちゃな、これでゆっくり食べられる。うんうん)


 自分たちの食事を始めた二人の様子を横目に、ライナスは「これで午後のリソースも確保できたな」と、自分を納得させるように頷いた。


(それにしても、なんだったんだ?あいつ……まさか厄介なフラグ立ってないよな?これ?)


 ――その「フラグ」が、予想以上に早く訪れることを、この時のライナスはまだ知らない。

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