第28話:冷凍保存された証拠
昨日の騒動――バートンが不正を起こしたという衝撃的な事実は、既に王宮研究室の全研究員に周知されていた。しかし、詳細は「調査中」。誰もが不安と疑念を抱えながら、重苦しい空気の中で仕事に就いていた。
だが、その中で一人、違う意味で焦燥に駆られている人物がいた。
「……困ったわ。どうしたのかしら、これ」
バートンの元の席に近いデスクで、女性研究員ミレイユが困惑した声を上げた。
彼女は仕事が丁寧で物腰が柔らかく、研究室の「癒やし」とも評される存在だ。彼女が困っているのを見て、周囲の同僚たちが自然と集まってくる。
「どうしたの、ミレイユさん。魔導共有核 (モバイル・ターミナル)の調子が悪い?」
「ええ、そうなの。朝来たら急に動かなくなってしまって……予備の魔導水晶を入れ替えても、全く反応がないのよ」
ミレイユは眉を下げて溜息をつく。その内心では、激しい動揺が渦巻いていた。
(……おかしい。あの方からは、証拠隠滅のために『焼き切れる』と聞いていたのに。なぜ見た目が無傷なまま沈黙しているの?)
壊れて灰にさえなっていれば、単なる機材トラブルで押し通せた。しかし、手元にあるのは、奇妙に冷え切った、ただの石の塊のような物体だった。
「主任に相談して、交換してもらったほうがいいよ。ほら、ちょうど主任が……」
同僚の一人が入り口を指差した瞬間、研究室の温度が数度下がった。
幽霊のように顔色の白いクロード主任。そして、重装鎧を纏った警備兵 (ガード)が数名、ガチャガチャと威圧的な音を立てて現れたのだ。
その最後尾。主任から「危ないから執務室で留守番してなさい」と言われたはずの8歳の少年、ライナスが、警備兵の影に隠れてこっそりと忍び込んでいた。
「しゅ、主任……? 警備兵まで、一体何事ですか?」
ミレイユは努めて明るく、不思議そうに問いかけた。
「……ミレイユ。君の魔導共有核に異常があると聞いた」
主任の声は、凍りつくほど冷たかった。ミレイユは一瞬身をすくめたが、すぐに柔和な笑みを浮かべる。
「はい、ちょうど今、故障かしらとご相談しようと思っていたんです。困りましたわ」
「ああ。それは故障じゃないですよ、ミレイユ先輩」
警備兵の影から、ライナスがひょいと顔を出した。ミレイユが「あなたは?」と訝しげな表情を作るのを無視して、ライナスは淡々と告げる。
「僕がそれ、『冷凍保存 (フリーズ)』したんです。勝手に中身を書き換えられたり、壊されたりするような『おかしな信号』が届いたので」
「……えっ?」
「昨夜、これを『中継地点(踏み台)』にして悪いことをしようとした人たちがいたんです。その人たちが、最後にこの魔導共有核へ自壊を促すような魔法陣を送り込んできたみたいですけど……その直前に僕が強制停止させて、その『信号』ごと固めときました」
研究室が、サーバーダウンした直後のような静寂に包まれる。
「な、何を言っているの? 私には何のことだか……。第一、子供のあなたにそんなことができるなんて、誰かの嫌がらせか不正侵入 (ハッキング)じゃないかしら」
「できますよ。だってこれ、僕が組んだ防護陣 (セキュリティ)ですから。あ、今からその『おかしな信号』の正体を出力しますね。……ほら、これ」
(なになに、なによこれ、なんなのよ! どうなってるの? なんで私が責められてるのよ……あり得ないわ!)
ミレイユの喉が、引きつったように上下する。
(あぁ、でも大丈夫……大丈夫よ。私には『あの方』がついているもの。落ち着け、落ち着くのよ私。取り乱しては負けよ。私は、あの無能なバートンとは違うのだから……!)
ライナスが指先で魔導共有核をなぞると、空中に青白い光の文字が浮かび上がった。そこには、昨夜の深夜2時、外部の回線から届いた暗号化命令が克明に刻まれていた。送信元の識別番号(ID)は、見覚えのない文字列だったが――。
『――工作失敗。証拠隠滅のため、当該共有核を焼き切れ――』
その識別番号を見た瞬間、ミレイユの瞳が絶望に揺れた。
「……っ!」
「……なるほど。『証拠隠滅』、ですか。ご丁寧な指示 (コマンド)が残っていましたね」
ここで初めて「証拠隠滅」という言葉が確定する。ライナスの冷ややかな声が、逃げ場を失ったミレイユに突き刺さった。
どんどんミレイユの顔から血の気が引いていく。周囲の同僚たちも、信じられないものを見る目で彼女から距離を置いた。
「ミレイユ。……場所を変えてゆっくり聞かせてもらおうか」
主任が静かに告げると、警備兵が逃げ場を塞ぐように彼女の脇を固めた。
(うそ、うそ、うそ! なんで? どうなってるの……!?)
「私じゃないわ、はめられたのよ!」というミレイユの叫びも虚しく、彼女は連行されていく。
「……そうか。ではその『はめられた』という言葉の真意も、ゆっくりと聞かせてもらおうかな」
主任は、温度を感じさせない冷徹な口調で応じた。だが、その瞳には、隠しきれない寂しさが宿っていた。
大人たちが思考停止 (フリーズ)したような沈黙の中で、ライナスだけが「さて、これで不具合修正 (デバッグ)完了かな」と、内心で(よし!)とガッツポーズをしながら、動かなくなった魔導共有核をポンと叩くのだった。
直後、研究室は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。連行されるミレイユの叫び、そして残された同僚たちの激しい動揺。
クロード主任は青白い顔のまま、集まった研究員たちへ向けて短く告げた。
「――すまないが、今日の午前の業務はここまでだ。各自、一度頭を冷やしてくれ。午後の指示は追って出す」
主任はそれだけ言い残すと、重い足取りで警備兵たちの後を追っていった。
騒がしくなった現場を離れ、ライナスが一人廊下へ出ると、そこにはいつものように静かに控える執事、ノーマンの姿があった。
「坊っちゃま、お疲れ様でございました。ちょうどお昼どきでございます。いつものように食堂でお昼にいたしませんか?」
ノーマンはそう言って、大事そうに抱えていた、丁寧に包まれたお弁当箱を少し持ち上げて見せた。その穏やかな声と見慣れた光景に、ライナスはふっと肩の力を抜く。そういえば、朝から頭をフル回転させていたせいか、急に空腹を感じた。
「……ありがとう、ノーマン。お願いしようかな」
ノーマンの後に続いて廊下を歩きだしたが、ふと、ライナスは窓の外を眺めて足を止めた。
昼下がりの明るい光が王宮の庭を照らしている。そのあまりの平穏さが、かえって不気味に感じられた。
(……ずいぶん、あっさりと見つかったな)
昨日あれほど巧妙に「足跡」を消そうとしていた連中が、なぜあんなにはっきりと証拠を残したのか。まるで、ミレイユという「不具合 (バグ)」をわざと僕に見つけさせ、そこで調査を終了させようとしているかのような……。
(もし、これがただの『切り捨てられた駒』だとしたら……)
背筋に冷たいものが走る。
24人いた容疑者のうち、片付いたのはたった一人。まだ、23人も残っているのだ。
ライナスは無意識に、自分の指先をぎゅっと握りしめた。




