第17話:最高(で絶望)の食卓と、波乱の予感
サロンでのいたたまれない静寂の後、母・シルヴィアは約束通り、趣味の料理の腕を振るうため鼻歌まじりに厨房へと向かった。
そこは、元王宮トップシェフである料理長が統べる聖域だ。
プロ集団の真っ只中で、母・シルヴィアは「あら、このハーブはもう少し刻んだほうが香りが立ちますわよ?」と、プロ顔負けの手際の良さで調理を進めていく。 若手料理人たちは「あの方は……ただの趣味と仰っているが、一体何者なんだ……」と、その規格外の腕前に戦慄していた。
◆◆◆
一方、食堂では。
執事のノーマンとメイドのマーサが、淀みのない動作で前菜を運んでいた。
「まずは冷菜、摘みたてハーブと彩り野菜のサラダでございます」
マーサが小気味よい動作で皿を並べると、続いてノーマンが、白い陶磁器のスープ皿を静かに置いた。
「スープは、完熟トマトと赤パプリカのポタージュでございます。素材の旨みが凝縮された、鮮やかなオレンジ色のひと皿に仕上げております」
(……その鮮やかさが、今の父上にとっては胃壁を激しく刺激する「警告色 (アラートカラー)」にしか見えないんだろうな……)
「うおーっ! このスープ、濃厚だけどサッパリしてて最高だな!!」
次男のヴァンス兄さんは、まるで喉越しを楽しむようにスープを飲み干し、サラダを山盛りで頬張っていく。
ライナスは、高スループット(処理能力)で次々と料理を片付けていくヴァンス兄さんの姿を、呆れ半分で眺めていた。
ちょうどその時、エプロンを外して身なりを整えた母・シルヴィアが、満足げな笑みを浮かべて食堂に戻ってきた。
「少しお待たせしてしまったかしら? さあ、ここからが本番よ」
彼女が優雅に席に着くと同時に、メインディッシュがうやうやしく運ばれてくる。
「本日のメイン、『王冠大鯛の芳醇ハーブ・香草パン粉焼き』でございます。料理長自慢の逸品に、奥様が香草の彩りを添えられました」
ノーマンが銀の蓋を開けた瞬間、食堂はバターと焦がしニンニクの芳醇な「香りの暴力」に包まれた。
「サイドには、三種のチーズとポルチーニのリゾットを。隠し味に濃厚な鶏のコンソメを贅沢に使用しております」
ノーマンの簡潔ながらも核心を突く説明が、父・コンラッドの耳には死刑宣告のように響く。
「うわー、でっけー魚!! なあ母上、俺、今度料理長と釣りに行きたい! 一緒について行ってもいいかな!?」
巨大な鯛を前に目を輝かせるヴァンス兄さんに、母・シルヴィアがふんわりと微笑みながら答える。
「料理長が良いとおっしゃるならね。でも、わがままを言って困らせてはダメよ?」
「はい、母上! あとで料理長に頼んでみるよ!」
(次男よ……それ、絶対に剣の稽古より釣りの方が楽しくなっちゃうパターンでしょ。完全にリソースの割り振りを間違える未来が見えるよ……)
「……美味しい! このリゾット、すごくお肉 (コンソメ)の旨みがぎゅっとしてて、チーズとぴったりだね。僕、これならいくらでも食べられそうだよ!」
僕が目を輝かせてリゾットを頬張ると、母上は「まあ、嬉しいわ」と頬を染め、それを見た父上はいよいよ泣きそうな顔になった。
「……いい匂いだ……間違いなく、人生で最高の一皿だ……」
父・コンラッドは、震える手でスプーンを握りしめたまま、胃のあたりを必死に押さえている。
「……だが、……だが私の胃が、この濃厚な『幸せの暴力』を受け付けないんだ……っ!」
(わかるよ父上……それは、美味しすぎる情報の過密による『DDoS攻撃』を胃袋に受けているようなものなんだ。申し訳ない、元はと言えば僕のせいなんだけど……)
隣では、長男のクレスト兄様が魂の抜けた目で、リゾットを無意識にスプーンで練り続けている。 完全に「思考停止 (フリーズ)」のプロセスに陥り、無限ループに入っていた。 一方、ヴァンス兄さんは「うめえええええ!!」と、巨大魚の半身を一人で平らげる勢いだ。
そんな男たちの惨状など、母・シルヴィアには一切関係ない。 彼女は優雅にラズベリーのシャーベットを口に運びながら、にっこりと微笑んだ。
「あら貴方、食べないの? じゃあ、いつ王宮から書状が届いてもいいように、明日からはもっとお腹に優しくて『スタミナ』がつくお料理を研究しておかなくちゃね。王宮通いは体力が勝負(ハードウェアの強化)ですもの!」
(母上、通う前提で話を進めないであげて! 父上のHPはもうゼロだよ!)
(頼むから……永遠に、書状よ届かないでくれ……っ!)
父上の悲痛な心の叫びは、誰に届くこともなく夜の静寂に吸い込まれていった。
◆◆◆
食後。自室に戻ったライナスは、窓から遠くに見える王宮を眺めていた。
(共同研究か……。もうすでに面倒なことになっているけど、この家族を守るためなら、僕の『前世の知識(特権管理者のチート)』、少しは本気で使ってみるか……)
エンジニアとしての、そしてこの家の息子としての静かな決意。
しかし、その直後だった。
「うあああああ、胃が……っ! 胃が燃えるようにキリキリするんだ……っ!!」
静まり返った屋敷のどこからか、父・コンラッドの本日何度目かわからない絶望の叫び声 (アラート)が響き渡り、僕の決意はあっけなく失笑へと変わった。




