表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
今世はもう我慢しません!家を捨てて、精霊たちの森で自由に生きます。  作者: ちょこだいふく


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/24

18.やってみるか

ルヴァンは店の中を一通り見渡してから言った。


「……ここから先は、あなた次第だな」


リシェルは窯を見つめたまま、小さく頷く。


「ええ」


短い返事。


それで十分だった。


ルヴァンは踵を返す。


「また来週、見に来る」


それだけ言って、外へ出る。


扉が静かに閉まる。


店の中に、再び静けさが戻った。



……ひとりだ。


リシェルはしばらく、その場に立ったままだった。


さっきまで誰かがいた空気が、ゆっくりと薄れていく。


音がない。


人の気配もない。


あるのは、古い木の匂いと、わずかな埃の気配だけ。


けれど──


(……なんか良い)


不思議と、そう思えた。


屋敷にいた頃の“静けさ”とは違う。


ここには、押しつぶされるような重さがない。


ただ、空いているだけ。


「……ほんとうに、穏やか。1人きりなのね…」


そう呟くと、足元で小さな気配が動いた。


精霊が、いつの間にかカウンターの上に乗っている。


こちらを見ていた。


「1人じゃないよ」


リシェルは少しだけ目を丸くして、それから笑った。


「……そうだったわね」


ゆっくりと店の中を見回す。


カウンター。


棚。


窯。


何も変わっていないはずなのに、さっきよりも少しだけ近く感じる。


(…ここが私の居場所になるのね)


そう思うと、胸の奥がじんわりと温かくなった。


リシェルはゆっくりと窯の前に立つ。


手を伸ばして、そっと触れる。


冷たい石。


まだ何も始まっていない温度。


「……どうしようかしら」


ぽつりと呟く。


精霊がカウンターから飛び降り、足元まで来た。


「やくの?」


「そうね……」


少し考える。


(材料は……まだ少ない)


ルヴァンが置いていったパンと干し肉。


それだけでは足りない。


けれど──


「……火くらいは、見ておきたいわ」


精霊が尻尾を揺らす。


「火、すき」


「あなたはそうでしょうね」


小さく笑う。


店の奥に目を向ける。


薪は、思っていたよりもきちんと積まれていた。


(……トマスが用意してくれていたのかしら)


ひとつ手に取る。


乾いている。


軽い。


「……大丈夫そうね」


窯の前にしゃがみ込む。


薪を組む。


手は少しぎこちない。


でも、止まらない。


「こうして……」


記憶を辿る。


どこかで見たことがある。


おそらく前世のどこかで見た記憶。


組み終えると、少しだけ息を吐いた。


精霊が、すぐそばまで寄ってくる。


じっと見ている。


「……失敗するかもしれないわよ?」


「いいよ」


即答だった。


リシェルは小さく笑った。


「そうね」


火打ち石を手に取る。


ほんの一瞬だけ、手が止まる。


(…ここから、始まるのね)


屋敷を出て


名前を捨てて


ここまで来て


ようやく──


“何かを始める”その場所に立っている。


ゆっくりと息を吸う。


そして、火花を散らした。


————


かまどが使えることはわかった。



棚には、古い道具が並んでいる。


木のボウル。

金属のヘラ。

布。

そして棚の奥の方には、小さな冊子があった。


革の表紙は少し色あせている。


けれど、丁寧に扱われていたことが分かる。


「……これは」


そっと手に取る。


軽く埃を払うと、細かな文字が浮かび上がる。


リシェルはゆっくりと頁を開いた。


中には、日付とともに短い文章が並んでいた。


(……日記?)


最初の頁を読む。


「本日もパン生地は硬いまま。水分を増やしても変わらない」


「卵を泡立てて使う方法は軽いが、どうしても日持ちしない」


「もっと、違うやり方がある気がするのだけれど」


少しだけ、柔らかい書き方。


記録と独り言が混ざっている。


頁をめくる。


「果実の皮を水に入れてみる。理由は特にない」


「甘味を少し加える。変化があれば良いのだけれど」


さらに進む。


文字が少しだけ乱れている。


「……失敗。匂いが強すぎる」


「泡が出た。これは良いのかしら」


リシェルの指が止まる。


「……泡」


そのまま読み進める。


「やはり失敗のよう。捨てようと思う」


そこで一度、文が途切れている。


その下に、少しだけ書き足されていた。


「精霊が“混ぜろ”と言う」


リシェルは思わず息を止めた。


頁の端には、小さく書き添えられている。


「仕方なく混ぜてみる」


その次の行。


インクがわずかに滲んでいた。


「……驚いた」


「これまでにないほど膨らんだ」


「とても柔らかい。軽い」


「こんなことがあるの?」


少しだけ文字が大きくなっている。


その先は、また落ち着いた筆跡に戻る。


「しかし、再現できない」


「同じことをしているはずなのに、結果が違う」


「時間か、温度か……何かが足りない」


そして最後の行。


少しだけ、震えたような字。


「あと少しで分かる気がするのに」


そこで、日記は終わっていた。


リシェルはしばらく頁を閉じなかった。


ただ、その言葉を見つめていた。


(……あと少しだったのね)


胸の奥が、静かに熱くなる。


精霊が足元に来て、日記を覗き込む。


「それ、まえもやってた」


リシェルはゆっくり顔を上げた。


「……そう」


そして、小さく呟く。


「これは、失敗じゃない」


指先で頁をなぞる。


「成功の途中よ」


精霊が首を傾げる。


「とちゅう?」


リシェルは、少しだけ笑った。


「ええ」


そして、静かに言った。


「これ……酵母だわ」



言葉にした瞬間、すべてが繋がった。


果実の皮。

甘味。

時間。

泡。


前世の記憶が、ゆっくりと形になる。


(……そういうことだったのね)


リシェルは日記を閉じ、そっと棚に戻した。


そして、店の中を見渡す。


視線は自然と、材料の方へ向かう。


棚の下に、小麦粉の袋がいくつか置かれていた。


ひとつ持ち上げる。


ずしりと重い。


「……これは」


袋を少し開く。


粉を指先でつまむ。


ざらりとした感触。


ギュッとしても砂のようにサラサラと崩れる。


(強力粉みたいなものかしら…)


もうひとつの袋を見る。


こちらは指で触れると、しっとりとしている。

ギュッと握ると塊になった。


(…こっちは薄力粉に近いみたいね)


精霊が覗き込む。


「ちがうの?」


「ええ」


リシェルは少しだけ笑った。


「同じ小麦でも、性質が違うの」


記憶を辿る。


前世の知識が、少しずつ浮かび上がる。


(寒い土地で育つ小麦の品種は、強力粉)


(温かい土地のものは、薄力粉…だったわよね)


袋を見比べる。


「……なるほど」


小さく呟く。


「この世界でも、ちゃんと小麦粉は分かれているのね」


精霊は興味なさそうに尻尾を揺らす。


リシェルは続ける。


「きっと、こっちは保存食用」


重い方の粉を軽く叩く。


「水と合わせて焼けば、しっかりした生地になる」


もう一方を見る。


「こっちは軽すぎて……膨らませないと多分物足りない」


少し考える。


そして、ふっと息を吐いた。


「……でも」


ゆっくりと顔を上げる。


「発酵させれば、話は別よ」


精霊が顔を上げる。


「ふくらむ?」


「ええ」


リシェルは小さく頷いた。


「この世界にはなかっただけで……できないわけじゃない」


視線が、日記のあった棚へ戻る。


(母は、そこまで来ていた)


あと少し。


ほんの少しの違いで、辿り着けなかった場所。


(……なら)


リシェルは静かに息を吸った。


「私が、完成させる」


大げさな言葉ではない。


けれど、はっきりとした意思だった。


精霊が嬉しそうに尻尾を揺らす。


「やる?」


「ええ」


リシェルは周囲を見渡す。


瓶。


水。


果物。


「まずは……」


小さく呟く。


「酵母を起こさないとね」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ