第194話 星空と初詣
その日の夕食は定哉、紗江と一緒だった。もちろん和樹もだ。
紗江は使用人という立場だったことから、実は白雪は一緒に食事をしたことがなかったのだが、もちろん今日に関してはそんなことはないので、一緒に食事が出来る。
白雪達は宿の用意されたエリアで京都の懐石料理に舌鼓を打った。
どれも驚くほど美味しいと同時に、白雪は自分でもいつかここまでになれるだろうか、とも思ってしまう。
食事の場での話題は、主に白雪の大学生活の話に終始した。
定哉は孝之や美雪が同じ大学であることは知らなかったようで、それには大層驚いたようだ。
「斎宮院家の跡取りが東京の学校に進学したとは聞いていたが、まさか白雪と同じ学校だったとはなぁ」
「それに関しては私も驚きました。しかも斎宮院さん、新入生代表挨拶までなさってましたから」
「そりゃすごい。さすが斎宮院の倅だ」
玖条家と斎宮院家はどちらも西日本を拠点とする名家。
その勢力も同じくらいで、それはつまり定哉と同様、若い頃に共に苦労していた間柄でもあるのだろう。
定哉の言葉には、孫を思うような雰囲気もあった。
「しかし春日の娘もついていくとはな。しかも白雪と同じ学部か」
「ええ。なので普段から仲良くさせていただいてます」
「そりゃ何よりだ。しかしそうなると、月下殿もかかわりがあるのか?」
「ええ、多少。春日さんも例のプロジェクトのアシスタント的な役回りもこなしてくれていますしね」
「はは。世の中広いようで狭いもんだ」
それに関してはその通りだが、それぞれの動きはある種必然めいたものではある。
孝之が修めたかったのは法律学で、央京大学はそれに関しては随一の名門校だ。
そして情報学においても先駆者的な学校だったので、それで白雪も進学を希望した。家が近かったのももちろんある。
美雪は孝之についてきて、興味ある分野がやはり情報だったというわけである。
「お嬢様がとても楽しそうに学生生活を送ってるということが分かったのが、今回一番の収穫です。定哉さま、本当にありがとうございます」
「なに。玖条家に十五年近く勤めて、白雪を支えてくれたんだ。感謝してる。今回のはそのささやかな礼だ。それに実質寿退社だしな。めでたいめでたい」
「あ、ありがとうございます」
紗江は高校卒業と同時に玖条家の使用人になっている。
母が重い心臓病で、母一人娘一人の家だったので、なんとしてもお金が必要だったらしい。とはいえそこで玖条家の使用人になれたというのは、紗江の並外れた才能と努力の成果だろう。
実際、白雪も紗江がいなければもっと早く玖条家で心が折れていたと思う。
それだけに、彼女が玖条家を去るのは寂しくもあるが、いい話を先ほど聞けたのでとても嬉しくも思っている。
その後は食事を終えて、それぞれの部屋に――と思ったが、ふと思い立って白雪は宿のエントランス付近に行くと――。
「あれ、白雪?」
「和樹さん。どうされました?」
「いや、折角こんな場所だしな、と思ってちょっと寒いが散歩に行こうかと」
見ると、宿の部屋着――最近は浴衣より作務衣の方が多いらしくここもそうだった――を着ているが、その上にコートを羽織っている。
時刻を見ると夜の十時前。
真冬の夜であり、気温はおそらく低いだろうが――。
「私もご一緒してもいいですか?」
「え。いや、寒いぞ?」
「大丈夫です。私もちょっと外に出たいので」
もし凍えてしまったら、もう一度部屋で温泉に入ればいいだけだ。
それより、和樹と出かけられる方が嬉しい。
「せめて上着を取ってきたらどうだ。さすがにそれでは寒すぎるだろう」
それなら和樹のコートに入れてもらいたい、と一瞬言いそうになったが、さすがにそんな大胆なことは言えなかった。第一、それでは歩きにくいことこの上ないだろう。
「分かりました。ちょっと待っててくださいね」
部屋に戻り急ぎコートを取り出す。
紗江はちょうど誰かと電話していたみたいで、白雪は小声で「ちょっと散歩に行ってきます」とだけ言うと紗江も頷いてくれたので、部屋を後にした。
誰と話していたのだろうと少し気になったが。
「お待たせしました、和樹さん」
「ま、寒いから短時間だがな」
「はい」
宿のすぐ隣は公園になっていて、おそらく昼であればかなり多くの人がいるのだろうが、さすがにこの時間は人はほとんどいなかった。
さすがに一月。寒さは相当なもので、コートを着ていても体の芯が冷えてくる。
「さすがに寒いか」
「そ、そうですね……」
何よりも手がかじかむ。
ただ、それに関してはふと顔を上げた瞬間、白雪には最適の解決策が思いついて、迷わず和樹の手を取った。
「白雪?」
「手を繋いでいれば、手は冷えないかと」
「まあ、いいが」
実際、繋いだ手が暖かい。
二人はそのまま河沿いの道を歩いた。
昼間だとここも観光客が多いのだろうが、今は全くいない。
街灯が申し訳程度にあるので真っ暗闇ということはないが、十分な明るさとは言えなかった。ただそれゆえに、明るさに遮られないで美しい星空が見えた。今は月も出ていないので、本当によく見える。たまに雲がある程度だ。
「きれいですね……」
「そうだな。さすが冬の空というか。寒いのを我慢した甲斐があるな」
「はい。ちょっとだけ……望みが一つ叶いました」
「望み?」
「はい。修学旅行で見た、石垣島の美しい星空。あれとは違いますが、和樹さんと満天の星空を一緒に見たいって思ってたので」
「……なるほど」
やや戸惑ったような和樹に対して、白雪はその握る手にわずかに力を籠める。
そこから気持ちが伝わればいいのにとも思うが、伝わったら伝わったでとても恥ずかしい気がした。
(大好きって……言えれば、とても簡単なのですが)
今言ってもやはり和樹は家族としてだと思うだろうか。
そうではない可能性が少しでもあれば嬉しいと思ってしまう。
そのまま二人は、白雪が寒くなってくしゃみをしてしまうまで、ただ星を眺めていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌朝、事前に定哉に言われていて、和樹も白雪も日が昇る前に起きて着替えていた。目的は初詣だ。
定哉から、せっかくだから玖条家の氏神の神社へ詣でてはどうかと言われ、白雪も反対する理由はなく、和樹も応じてくれたのである。
場所は宿から車で十五分ほどだ。
「玖条家の本邸は東にあるのですけどね。なぜか氏神は西の端なんですよね」
何気に白雪が初詣を許容した理由もである。
玖条家本邸は京都の東の山間にあるのだが、氏神は西。
なのでうっかり玖条家の誰か――具体的には伯父――と鉢合わせる心配はほとんどない。
玖条家の氏神は何でも平安以前からある由緒ある神社らしく、初詣客もそれなりにいる。
通常であれば、元旦早朝に赴くのが習わしで、その際には一般参拝客を足止めする。白雪も中学までは詣でていたが、高校進学以降で来るのは初めてだ。
玖条家本邸となぜここまで離れてるのかといえば、なんでも百五十年くらい前はこの辺りに住んでいたらしいが、皇政復古と東京遷都の混乱の中で、玖条家も影響を少なからず受けた結果、今の場所に移転したらしい。
ただ、千年ほども氏神であったため、今更変えるということにはならず、今も玖条家の氏神はこの神社だという。
到着したのは午前六時半。
さすがに正月三日の早朝ということもあり、ほとんど人はいなかった。
定哉によると昼頃にはかなりの人でにぎわうらしいが。
「すごいな。歴史が古いってわかる」
和樹が少し感動したように周りを見ている。
確かに、この神社は京都にある神社の中でもかなり古いものだ。
「建立から千二百年くらいは経ってるらしいからな。ま、古いなりのありがたみはあるだろうさ」
信心深いとはとても言えない定哉の言葉に一同は苦笑いしつつ、境内に入っていき、本殿に詣でた。
白雪も静かに手を合わせる。
(願い事――なんかもう、全部叶ってますね)
一年前。
和樹と共に鶴岡八幡宮に行った時に願ったのは、和樹とこれからも会うことができること。ただそれは――おそらく叶っている。
それどころか、それ以上の形で実現してしまっていた。
ただ、人間貪欲なもので、こうなるとさらに願いたくなる。
そしてその願いは、日に日に強くなるのを白雪自身自覚していた。
(和樹さんとこの先もずっと、ずっとずっと、一緒にいたい)
願わくば、死がふたりを分かつまで。
白雪は本気でそう、願い続けていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後、宿に戻った一行は昨夜の夕食に負けず劣らぬ朝食に舌鼓を打ち、そのあとは宿でくつろいでいた。
定哉は食事が終わった後は用事があるらしく、これから本邸に戻るらしい。
紗江もそれについていくという。
「おじい様。今回はこんな素敵な時間ありがとうございます」
「何、気にするな。孫に何もしてやれなかったじじぃの罪滅ぼしだ」
「そうはいっても、私までこのような歓待を受けて、本当にありがとうございます」
和樹も深々と一礼する。
「それこそ孫が世話になっている礼だからな。一応今の法だと成人らしいが、まだ未熟な娘だ。これからも頼む。仲良くしてやってくれ」
「はい」
「紗江さんも、会えて嬉しかったです。次は紗江さんの結婚式でしょうか」
「そうかもしれませんね。その時は是非」
「はい。紗江さんもお元気で」
「お嬢様も」
そう言ってから、紗江は白雪に顔を近付けた。
「がんばってくださいね、お嬢様。お嬢様の結婚式も楽しみにしていますから」
「紗江さん!?」
その言葉に、白雪は一瞬フリーズしてしまった。
気付くと紗江は定哉を伴って迎えの車に乗るところだ。
二人は車に乗ってもう一度会釈すると、車は走り去っていった。
「前に会った時も思ったが、すごい人だな。ちょっとだけ、祖父を思い出した」
「前にお聞きした、和樹さんの柔道の師だったっていう?」
「ああ。ちょうど同じくらいの年齢だろうしな。矍鑠とした人だったからそれでイメージが被る」
もっとも実際には持病を抱えていて、それで早くに亡くなったという。
和樹が中学生の頃の話で、まだ七十歳を少し過ぎたばかりだったらしい。
「と、湿っぽくなったな。今日は……と言っても、あとは帰るるだけか」
「そうですね。少し買い物をする時間くらいはありますが」
新幹線は昼過ぎ。
今の時刻が午前九時過ぎだから、あと三時間ほどは余裕がある。
駅までは車で送ってくれるらしいので、三十分あまりで着くはずだ。
「それじゃあ、早めに行って、土産物を物色するか。お昼ごはんは……なんかあんな美味しい朝食の後だと、どうしたものかだが」
「でも、新幹線の中でお腹すきますから、駅周辺で食べましょう」
「よし。ここは地元の白雪の推薦を期待しよう」
「う……微妙にハードル上げてきましたね」
実のところ、京都の美味しい店などは全く知らない。
ただそれでも、和樹と二人きりでいられることに、白雪は少なからず心踊っていた。




