第180話 プロジェクト正式始動
八月の残りの期間は、白雪も和樹もさすがにどこにもいかなかった。
基本的に白雪はアルバイトに精を出し、和樹はプロジェクトの対応だ。
九月九日にプロジェクトが正式に発足、スタートすることが決まっている。そのための準備に大忙しで、和樹は土日も仕事をしていることが多い。
白雪もバイトが結構忙しかった。
白雪のバイト先一番のベテランは美佳なのだが、どうやら美佳は夏休みのこの時期、つまり学生がシフトを増やせる時期に、逆に休みを取ることが多いらしい。
本人によると海外を飛び回っているらしいが、詳しいことは聞いていない。
その分他の学生はシフトを増やすというわけだ。
そんなわけで今年は海に行くなどもすることはなく、気付けば九月に入っていた。相変わらず夏の暑さはきついが、大学はまだ夏休みである。
夏休みが終わるのは九月半ばだ。
無論、夏季課題のレポート提出などはあるが、それらはすべて終わらせているので、白雪的はアルバイトをこなしつつ、和樹の仕事の手伝いをしていた。
和樹は友人と遊びに行ってはどうかと行ってくるが、実のところそれはそれなりに行っている。
美雪と孝之は九月半ばまで京都にいるが、雪奈や佳織とは週に一度は会っていた。
ちなみに九月頭までは俊夫も実家にいたらしいので、折角だからと彼も交えて元生徒会で揃ったが――ほぼほぼ雪奈と白雪による佳織と俊夫のいじり大会と化した。
これは、その前に雪奈と佳織と白雪だけで集まった際には白雪が散々いじられた――話せることなどほとんどなかったが――ことへの佳織に対する報復でもある。
この点に関しては雪奈一人がひたすらダメージを受けない展開だったのだが……。
「うう……雪奈ちゃんだけ全くそういう話にならないのがずるいっ。大学生なんだし、彼氏くらいいないの!? 叔母さん恋人いないの、とか愛那ちゃんに言われるよっ」
という追い詰められた佳織(なお俊夫はすでに顔を真っ赤にして撃沈)のやけっぱちの言葉が、実は胸を抉っていたらしい。
なんでも、実家にいったら姪である愛那がもう床をはいはいできるようになっていて、その成長の速さに驚きつつ――姉が自分のことを『叔母さん』と呼ぶように教え込むつもりだと聞かされてショックを受けてたのである。
「ねえ、私まだ十代よ!? なんでそれで叔母さんとか呼ばれるのーっ!!?」
カラオケに響いた雪奈の絶叫は、残念ながら他に理解者はいなかった。
そんなこんなでいよいよ夏休みも終わる頃、ついに和樹らが所属するプロジェクトが正式にスタートすることになった。
プロジェクトの正式名称は『研究《Research》知識《Knowledge》共有《Sharing》基盤構築《Infrastructure》機構《Organization》プロジェクト』で、英名の略称としてReKSIOプロジェクトと呼ばれることなったそうだ。ちなみに命名は大藤教授らしい。
そちらは記者会見などもあるらしく、それと同時に有名企業などがいくつも参加を表明する。研究の中心は央京大学で変わりはないが、大藤教授などはさらに忙しくなるという。
「まあ、俺は基本今までとそう変わらない予定だが」
和樹はそういうが、全体としては百人近い研究者が関わるプロジェクトらしいので、その中心にいる和樹が余裕があるかと言えば――ないと思える。
より大変になる彼を支えるためにも、これまで以上に頑張らねばと思うと同時に、一緒に住んでいることで一番近くで確実に支えられることは、白雪にとってはとても嬉しく思えた。
そして九月九日、記者会見まで行われてプロジェクトの開始が発表された。会見自体はテレビ放送などがされる程ではなかったが、それでもネットのニュース記事などでは取り上げられていて、新しい日本の研究基盤の開発に注目が集まっていると書かれていた。
それに携われていることは、白雪にとっても少し誇らしい。
そして、無事会見が終わった週の金曜日。
最寄り駅近くの居酒屋に、白雪はもちろん、央京大のプロジェクトメンバー、および追加メンバーとなった美雪や他に学院性数人が揃っていた。
無論、中心にいるのは大藤教授だ。
他にもかなり人は増えていて、プロジェクト発足に伴う追加メンバーとの懇親会も兼ねている。
ちなみに美雪も正式にアシスタントとして参加が決定したので、この場に白雪と一緒にいた。
「さて。ついにプロジェクト始動となったわけで、これからますます皆には協力してもらう必要がある。各々立場や分野の違いはあるが、このメンバーなら一つの成果を達成できると思って集まってもらったみんなだ。今後に期待する。そのためにも、今日は大いに楽しんで、明日からの英気を養ってもらいたい」
「あー、教授がこういってるが、全員ほどほどにな。明日から連休とはいえ、二日酔いはろくなことにならんからな」
教授の言葉の後に、即座に和樹が言葉を挟み、教授がなんとも言えない表情になっていた。
ただ、和樹を咎めるような感じではないので、おそらくこれがいつもの事なのだろう。
「ふむ、まあともかく。プロジェクトの開始を祝って――乾杯!」
「かんぱーい」
「かんぱいー」
各自の声が響く。
とはいえ、当然だが白雪と美幸の手にあるのは、お酒ではなくノンアルコール飲料だ。
一昔前ならともかく、今はこういうところにも厳しいらしい。
もちろん白雪も法律違反としてまでお酒を飲みたいという気はない。
興味がないわけではないが。
ちなみにこの席はいくつかのテーブルに分かれていて、和樹のいるテーブルとは違うテーブルだ。
和樹のテーブルにいるのは他に教授と、あと二人は今回からプロジェクトに参加した院生と学部生。名前は中村陽太と渡辺智一。学部生である渡辺智一も、すでに院に進むことが内定しているらしい。
白雪のテーブルにいるのは隣に美雪、正面に木下京子、佐山あかねだ。
あかねは今年いっぱいで修士号を取得して院を卒業することは決まっているのだが、それまでの間だけ手伝うことになったらしい。
「しかし二人ともすごいわね。一年生で手伝うなんて」
「私は……その、月下さんのアシスタント的な意味合いが強いですし」
「私はその白雪ちゃんのさらにアシスタントって感じですけどね。でも、一日も早く戦力になるよう頑張ります」
「私もです」
京子とあかねが顔を見合わせて楽しそうに笑う。
「頼もしいわね。本当に」
ちなみにこの席は全員ノンアルコールだ。
京子はお酒が苦手らしい。
そしてあかねは――。
「渡君、多分飲み過ぎて帰り怪しくなるからね」
「え。あの……おうち近いんですか?」
「近いっていうか、今はほとんど一緒に住んでるのよ」
「え?!」
美雪が驚いた声を出して、白雪も口を押えていた。
「ああ、住み始めたのはこの夏から。渡君、プロジェクトに本格的に参加するから、生活に余裕もなくなる一方、私はもう修士論文も概要は見えてるし、それほどきつくないからね。そうでなくても渡君、普段の生活だらしなかったから」
話によると、二人はどちらも親元から離れて一人暮らしをしているらしい。
元々はお互い当然別々に住んでいたのだが、家は近かったのだが、特にここ最近の渡の忙しさとそれに伴う生活レベルの低下を見かねて、あかねから提案したという。
なお、親公認らしい。
「ほえー。なんか大人って感じですね。そういう意味では、私としては木下さんはどうなのか気になるんですが」
「残念ながらいないわねぇ。研究一筋だったから、男っ気なくて。というか女とみられてなったんじゃないかってくらい」
「それはない」
美雪が断言し、他二人も深く頷いた。
実際、京子は文句なしに美人だといえる容姿だ。
強いて言えば、白雪同様一部の女性らしさが控えめなくらいか。
「まあ前は地元だったから、ちょっと敬遠されてたところもあったからね」
その言葉に、一同が同時に首を傾げる。
「元々地元の大学に行っていたんだけどね。うちってちょっとした名家なのよ。地元限定だけど。なのでちょっと遠巻きにされてたというかね。その後院に進んでからは研究一筋だったし」
「そうなんですか……」
これに関しては白雪と美雪は複雑な気持ちになる。
白雪はすでに実質勘当されているとはいえ、一般人でも名前を知る名門玖条家の人間。美雪も少し詳しい者なら知る名門春日家の令嬢だ。
なまじそういう世界が近くにあったので、そういう風にみられることは納得は出来るが、同時に他者に対して家を理由に隔意を抱くことは、少なくとも二人にはない。
「ま、首都圏まで来てれば、もう関係ないし……っと、そうだ」
京子はノンアルコールワインを飲みほして、サラダをつまんだ後に白雪に向き直った。
「あの、玖条さん。貴女のハンバーグのレシピを元々知っていたというお祖母さんの名前、教えてもらってもいい?」
「え? あ、はい。えっと、北上恵です」
「北上……それはお祖父さんの姓?」
「だと思います。旧姓は私も知らないです」
さすがに祖母の旧姓など普通は知らない。
そうでなくても、祖母は白雪が小学校に上がる前に他界しているので、記憶すらほとんどないのだ。
すると京子は少し考え込むようになった。
「あの、木下さん?」
「……ちょっとね。あのハンバーグの味が気になって、実家に行った時に母に聞いたんだけど」
「ああ……」
京子が覚えがある味だと言っていたが、それほど珍しかったのだろうか。
「あのハンバーグとほぼ同じ味のものを母も作ってくれるのだけど、そのレシピって私の母が、祖母から教わったらしいの。そして――母には姉がいたらしいの。私も会ったことがないというか、私が生まれるよりも前に家を出て駆け落ちして以後音信不通になったそうで。名前は――木下恵。もし今生きていたら、六十歳だそうなんだけど……」
「……木下……恵?」
同じような味のハンバーグのレシピと、名前の一致。
それだけで偶然の一致と片づけられる気がするが――。
「祖母が亡くなったのは、私が五歳の時……だったはずです。確か、母とは二十四歳差と聞いたことがありますが……」
指折り計算してみる。
すると。
「……生きていたら、今年、五十九歳か六十歳……くらいですね」
ぼそりと呟いてから、白雪は驚いて顔を上げた。
あらためて京子を見る。
確かに、そこにはわずかに母の面影がある。
もしそうなら、京子は母から見れば叔母の子、つまり従妹に当たる可能性があるのか。
「さすがにそれだけだと断定はしづらいけどね。なんかそういう可能性もあるのかもしれないって気がして」
「……そう、ですね……でも……」
調べようと思えばそれは不可能ではない。
祖母は少なくともこの地域に住んでいたのは間違いないし、この地で結婚している。戸籍があるのはこの街だろう。だとすれば、市役所に行けば戸籍謄本を取得できるだろうし、そうすれば調べられる。
今まで、父方である玖条家についてはもうこれ以上ないほど色々知っていた。
ただ、母方である北上家の縁は全くと言っていいほどに情報がなくて調べようと思ったことすらなかったが――。
もしそうであるなら、あるいは思わぬ繋がりが自分にもあるのかもしれない。
「もしそうなら、ちょっと……素敵な気がするわね、玖条さん」
「はい。そうですね」
しかしもしそうだとしたら、白雪にとって京子は親の従妹となる。確か呼び方は従叔母だったか。
とはいえ、さすがにその呼び方は失礼な気がして、思わず白雪は小さく首を振ったのだった。




