第178話 帰宅、そして思わぬ連絡
翌朝。
朝食の終わった白雪、和樹、美雪は、和樹の父である祐樹が運転する車で駅まで送ってもらい、帰る予定だった。美幸も見送りたいからと駅までは一緒に行くらしい。
それ自体は予定通りなのだが――。
「ちょ、ちょっと……待ってくだ、さい、和樹、さん……」
「もうちょっと……ゆっくり……」
白雪が辛そうにぎこちなく歩く。隣の美雪も同じような感じだ。
二人とも盛大に筋肉痛で苦しんでいた。
それほど運動不足というつもりはないはずだった。
そもそも央京大学は斜面にあるため、普段から通学時には坂の上り下りがある。なので自然それなりに運動するとはいえ、さすがに昨日の滝巡りは、舗装されたわけでもない、しかも起伏の激しい道を何キロも歩いたのだ。
昨日帰った後からちょっと疲労が激しいと思ったが、朝になって歩くとすさまじく痛かったのである。
隣で起きようとしていた美雪も、同じように悲鳴を上げていた。
それでも何とかリビングに降りると、すでに和樹と美幸は起きていた。
二人も同じように歩いたはずだが、どちらも平然としたものだ。
鍛え方が違うのだろうか。
それでもどうにか車に乗ると、すぐ駅に到着する。
あとは予定通り帰るだけである。
「本当にお世話になりました、月下さん。ありがとうございます」
「急にお邪魔したのに、とても楽しかったです」
白雪と美雪が共に頭を下げる。
「美幸さんも、あの時偶然とはいえお会いできて、おかげでこんな素敵な滞在が出来て楽しかったです」
「同じ名前というのも驚きましたが、本当にありがとうございました」
「うんうん。私も楽しかった。またそのうちね。私も普段はあっちにいるから、行けたら遊びに行くから」
「はい、ぜひ」
その場合はこちらの家に来るのだろうか。
昨日同居してることは話してしまっているし、それ自体を知られたことは和樹にも共有したと聞いているので、彼女が家に来てもらう分には問題はない。
さすがにご両親が来たら困るどころではないが。
(でも……そういつまでも誤魔化せないというか、誤魔化すべきではないですよね……)
この場合、一番無難なのはもちろん白雪が家を出ることだ。
あの、貫之に事実上の勘当を言い渡された時には動転してどうすればいいか分からなかったが、今なら一人暮らしをするために何をすべきかもある程度分かる。
そしてその程度の貯えも十分にある。
ただ、白雪自身が今の生活を失いたくない。
好きな人と一緒に暮らせるこの生活を自分から捨てる理由はあるのだが、捨てたくないという感情の方が強いのだ。
この気持ちだけはどうしようもない。
そして和樹が「無理に出てかなくてもいい」とは言ってくれてるので、つい甘えたくなってしまう。
それをありがたいと思うと同時に、その厚意を裏切ることはしたくない。
先日の美雪や美幸の話ではないが、だからこそ男女間の間違いなどは起こしてはならないと思っているのだ。
その衝動がなかったとは言わないが。
「それじゃあ和樹も元気でな。ちゃんともう少し定期的に帰って来いよ」
「分かってるよ、父さん」
「白雪ちゃんもね。あ、年始もおいでよ。私も帰ってるし。帰省するなら別だけど」
「えっと……そうですね。和樹さんが良ければ」
実際、年始だろうがおそらく京都に帰省することはない。
そうなると、和樹が帰省するとあの家に一人になってしまうが――和樹はそうしないために帰省しないという手段も取りそうだ。
美幸の言葉は、むしろそれを見越している気がする。
「あのな……まあ、都合が合えばな」
これに関しては事情を知らない祐樹が少し不思議そうな顔になっていたが、そのあたりで電車が来てしまった。
「それじゃあ父さん、また。美幸も家でだらけ過ぎるなよ」
「兄さんは私のお母さんかいっ」
美幸の言葉に一同笑いつつ、手を振って改札を抜け、電車に乗る。
すぐ隣の駅なので、すぐに到着した。
ここからは新幹線だ。
「そういえば、お土産買う時間くらいあります?」
「ああ、斎宮院さんへ?」
「うん」
「私も、アルバイトの先の人には少し買っていきたいですね。元々、ここで買う予定でしたし」
「まああまり歩かない範囲で、だな」
「はい……」
二人が力なく頷く。
まだまだ、全身の筋肉痛は治まる気配はなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後はすんなり新幹線に乗って一路帰宅となる。
新幹線とはいえ、京都と東京よりもはるかに近いので、乗っていたのは一時間程度。
昼過ぎには東京について、ここからは在来線で最寄り駅まで。
最寄り駅に到着したのは午後二時前というところだ。
そして、駅を出た三人の第一声は――。
「暑い……」「暑いですね……」「あっつーい」
同じ日本とは思えない。
東京駅で新幹線を出た時も一瞬思ったが、駅を出て炎天下に出ると痛感する。
すると近付いて来る人影があった。
白雪も和樹も見覚えがある人物だ。
「美雪、帰ったな」
「孝君ただいまー。暑いよー」
「そりゃあ避暑地から帰ってくればそうもなる。大丈夫か?」
「うん。お迎えありがと、孝君」
「まあ、到着時間報せてもらえばな」
そうしてから孝之は和樹の方を振り返る。
「なんか急にお邪魔したようで。ありがとうございました、月下さん」
「ああ、いや。どちらかというと妹が勝手に巻き込んだ感じだったからな。本人は楽しんでくれたようなので何よりだが」
「そうらしいです」
孝之はそういうと少し苦笑いしてから、美雪を振り返る。
「じゃあ帰るか」
「うん」
美雪は頷いてから白雪と和樹に振り返った。
「それじゃあ私はここで。月下さん、本当にありがとうございます。合宿含めて、とても楽しかったです」
「それは何よりだ。それじゃあ、気を付けて」
「みゆさん、またそのうち。今回来てくださって、本当に楽しかったです」
「うん。白雪ちゃんもまたねー」
美雪と孝之は二人で帰っていった。
わずかに「ほんとこっち暑すぎー」という美雪の声が聞こえてくる。
「さて。私達も帰りますか?」
「なんだが……荷物があるが、買い物して帰らないか。正直一度帰ったら買い物に出る気力がなくなりそうだが、家に何もないだろう」
そういえばその通りだった。
少なくとも日持ちしない食材は全部使い切ってから合宿に行っている。
ある程度は買い物しないと、今日の夕食も心もとない。
「そうですね……ちょっと大変ですけど、頑張りましょう」
「昼は軽くそこらで済ませよう。実際ちょっと休みたい」
「はい、わかりました」
そういって、二人は昼は駅の近くので済ませると、帰りにスーパーに立ち寄る。
とりあえず今日の夜の献立を考えて、最低限の買い物をしつつ――。
「あ、そうだ。和樹さん、私、バイト先にお土産渡してきちゃいます。多少日持ちするものとはいえ、早めに渡したいですし」
「そうか。じゃあそっちの荷物は俺が持っていくよ」
「えっと……じゃあ、お願いします」
大きなバッグを和樹に渡す。
和樹はそれを両肩に下げると、坂道を登って行った。
それを見送って、白雪はバイト先に足を向ける。
「いらっしゃ……あれ、玖条さんじゃん」
いたのは同じバイトでよく一緒になる小鳥遊美咲だ。
そういえば、この時間は普段シフトに入ってることが多い時間帯でもある。合宿などがあるから休ませてもらっていたが。
「はい。お久しぶりです。帰ってきたのですけど、これ、お土産です。皆さん持って行って下されば」
日持ちのする個包装のお菓子である。
「おー。ありがとー。あ、バックヤード入っていいよ。今竜崎さんが休憩してるし」
「えっと……じゃあ失礼します」
レジの脇から入って、裏側の職員が休憩するバックヤードに入ると、言われた通りの人物が椅子に座っていた。
「お久しぶりです、竜崎さん」
「あら、玖条さん。合宿に行ってたんじゃ?」
「帰ってきたんです。それでお土産を、と思って」
お菓子の包装を解いて棚に置く。
それに付箋紙で『お土産です。玖条』と書いて貼りつけた。
「楽しんできたの? ……筋肉痛みたいだけど」
「う……わ、わかりますか」
だいぶ痛みは引いてきたのだが、それでもまだ少し痛いのである。
「その、ちょっと昨日かなり歩いたら……運動不足ですね」
「もう回復してるなら大丈夫よ。じゃ、一ついただくわね」
「はい、どうぞ」
美佳は頷いてお菓子を一つ手に取り、包装を開いてお菓子を口に放り込んだ。その顔が少し緩む。どうやら美味しかったらしい。普段あまり表情が変わらない人なので、こういう表情もするのだ、とちょっと見てしまっていた。
「なに?」
「あ、いえ。なんでもないです。それでは、失礼しますね。明後日はシフト入りますから、よろしくお願いします」
確か美佳と二人のシフトだったと記憶している。
「ええ。じゃあよろしくね、玖条さん」
白雪はお辞儀をしてバックヤードを出て、そのまま店を出ると、腕時計で時間を確認しようとして――わずかな振動音に気付いた。スマホのバイブレーションだ。
何かと思って画面を見ると、メッセージ着信のお知らせ。
しかも通常のメッセージアプリではなく、メールだ。
これを知り合いで使う人はまずいない。
「一体……え?」
そこにあった差出人の名前は、玖条和佳奈。
伯父である玖条貫之の妻、つまり白雪にとっては義理の伯母に当たる人物からだった。




