閑話13 美幸と美雪
「よし、兄さんと白雪ちゃんは出かけたね……」
白雪が和樹と買い物に出たのを見計らって、美幸は斜め向かいの部屋に向かうとその扉をノックした。
「はーい?」
「みゆちゃんいる? 美幸だけど」
「あ、はいはい。どうぞどうぞ」
扉が開かれ、美雪が出迎えてくれた。
「なんでしょうか?」
「ちょっとお話したいだけなんだけど、いい?」
「もちろんです。私も話したいことありますし」
美幸は頷いて部屋に入る。
普段客が来た時に使われる部屋なので、美幸も入ったことはほとんどないが、部屋の構造自体は他とそう変わることはない。
違いといえばベッドが二つあることくらいか。
「せっかくなのでお茶と思ってね」
美幸がポットとコップと示した。
まだ夏の暑い盛りでもあり、入れてあるのは冷やしたジャスミンティーだ。
この辺りの茶道楽は月下家共通である。
「あとこちらは私のお土産」
そういって、まんじゅうをいくつかと、ラスクを出す。
「そういえば……どっか行ってらしたのですか?」
「うん、箱根に行ってたの。サークルの合宿でね」
「サークル……そう言えば何を?」
「強いて言えば……散歩サークル?」
「散歩?」
「うん。あちこち散歩して回るだけのサークル。なんだけど合宿は気合入ってて、箱根古道歩いてきたの」
「そんなのもあるんですね。さすが大学」
「みゆちゃんはなんかサークル入ってないの?」
「私も白雪ちゃんも入ってないですね……その、研究室があるので」
その言葉に美雪が目を丸くする。
「え? 一年生から?」
「あの、ちょっとうちはやや特殊で。まあ、私は白雪ちゃんにくっついて入れてもらったようなものですが」
そう言って、美雪は大藤研究室と、和樹が所属しているプロジェクトについて説明した。
「ほえー。兄さんが大学の仕事してるとは聞いてたけど、そんなことに。というか白雪ちゃん、ガッコでも兄さんと一緒なのね」
「まあ、言うほど一緒ではないですが。月下さんは結構忙しいし、私達も講義がありますしね。まあでも、だから合宿はついてこれたんですが」
「そうそう、それ。ちゃんと聞いてなかったけど、二人がこっちにいるのって、なんで?」
正直、駅のホームで白雪を見た時は他人の空似かと思ったほどだ。
ただ、あんな美少女はそうそういない。
「そういえばちゃんと説明してなかったですね。月下さんが所属するプロジェクトの合宿だったんです。ここだったのは本当に偶然で。まあ私は無理矢理くっついてきたってのが本当のところですが。私は本来、プロジェクトメンバーではないので」
「なるほどねー。でもそのおかげでみゆちゃんと知り合えたし、兄さんと白雪ちゃんの現状も知れたし」
もしあの時白雪だけを見つけた場合でも、無理に引っ張っていったとは思うが、その場合に白雪が口を滑らした可能性はないだろう。
その意味では、美雪が来てくれたことは天祐と言えた。
「ちなみにみゆちゃんは中学からの白雪ちゃんの友達?」
「うーん。正直に言うなら、中学の時に友達だったかと言えば……クラスメイトではあった、というのが正しいかもです。中学の頃の白雪ちゃん、今とは全然違うし」
「それって、さっき話してくれたような事情?」
この美雪のような性格でもそう言わしめるということは、相当な気はするが。
「多分そのあたりもあります。私も詳しくは知らないので。ただ、白雪ちゃんは元々はごく普通の家で育ってたそうです。それが、ご両親が亡くなって急に、いわば貴族的な社会に来ることになって」
「話には聞くけど、やっぱ今でもそういう社会あるんだねぇ」
「だいぶ形骸化してますけどね。でもまだあるといえばあるんです。春日家とかはかなりフランクな方ですが、玖条家なんてかなりガチですからね」
「私でも名前くらいは知ってる家だしねぇ」
玖条家。
家系図を辿れば千年以上は遡れるとされる、皇家とも縁戚関係にあるという名家。
他にもいくつか知られた名家はあるが、その中でも特に有名な家の一つだ。
「世が世なら文句なしにお姫様……なのはみゆちゃんもか」
「どうでしょうねぇ。さっきも言った通り、うちはかなりフランクだから、私はこんなですし。正直、白雪ちゃんの方がよっぽど『お姫様』だとは思う」
「みゆちゃんも十分お姫様っぽいとは思うけどなぁ」
美雪もその容姿や雰囲気は、白雪とは方向性は違うが十分きれいだし雰囲気もあって文句はない。
ただ、あえて言うなら快活なお姫様というところか。
白雪はある意味ではおとぎ話レベルで理想とされる『お嬢様』やあるいは『お姫様』を具現化したような存在だと思える。
名前も相まって、絶対に『白雪姫』と呼ばれてたことは想像に難くなく――。
「あ、はい。そう呼ばれてましたね。ただ、陰口になってたこともあったんですが」
「陰口?」
「その、さっきも言いましたが、今では考えられないというか、私とかはやっと慣れてきたというくらいなんですが、中学の頃の白雪ちゃん、今よりずっと、人に対して冷淡というか冷たい感じで。『氷の白雪姫』なんていわれてたことも」
「……想像できない」
美幸の知る白雪は、とても可愛らしい年下の、兄に恋する女の子だ。
人あたりも良く、礼儀正しい。隔意を感じるようなことは全くない。
年齢離れして料理が得意だったり、所作がとてもきれいだとか色々あるが、それでもごく普通の、明るい女性だと思う。
「私も正直、学校行事で二年振りに再会した時に驚きましたからね。同姓同名の別人かと思うくらいに。でも、あんな美人そうそういるはずないし」
「そんなだったんだ」
「多分今のように彼女が変わった理由の一人は、間違いなく月下さんだとは思います。むしろ違ったら驚くレベル」
「それは妹としては誇らしいなぁ。まあ、こじれまくってるけど」
「ですね……まさかあんな理由だとは……」
何をどうやってもあの年齢差で父親というのは無理がある気はするが、最初に白雪がそう思ってしまったというならそれは仕方ないだろう。
そしてそれを和樹が受け入れてしまったということは、多分その関係が、少なくとも和樹の中では固定されているのは間違いない。
あの兄はそういう性格だ。
ただそれでも、白雪がいることで兄も変わっているのは間違いないと思っている。
少なくともかつての和樹なら、それでも白雪を引き取るまではしなかった。あのことがあって以降、和樹は家族以外を近づけすぎないようにしていたのは間違いない。
だから正直、一生恋人など出来ないのではないかと思っていたくらいだ。
そして、和樹の長年の懸案だった『あの事』がある程度解消したことはすでに両親から聞いている。
そのタイミングと、白雪が和樹と一緒に暮らし始めたタイミングは近い。とすれば、白雪が和樹に対していい変化をもたらしてくれているのではないかと、美幸は見ている。
「やっぱ兄さんと結婚してもらうしないね、これは」
「そこは同意です。というか……白雪ちゃんの気持ちは固まっているんですが」
「あんな関係だとなぁ。兄さん呆れるほど真面目だから、下手すると『白雪ちゃんを幸せに嫁に出す』くらい考えていそう」
「そ、それは老成し過ぎでは!?」
「ちょっと色々あってね……ないとは言えない。むしろ多分ある」
極端なまでに引いた視線で、他人と距離をとることを少なくとも中学三年から十年ほどやっていたのだ。それが染みついているのは間違いない。
それでも白雪を放っておけなかったのだろうが、現状の言い訳として『娘』はある意味最適な理由だ。だとすればその程度考えている可能性が高い。
「むしろ養子縁組提案してても私は驚かない」
「いくら何でもそれはないと思いたい……」
もっとも、仮にあってもそれは白雪側で拒否はしているだろうが。
「やっぱ白雪ちゃんが襲うしか……」
「多分それ逆効果なんだよね……兄さん相手だと」
「あー。わかる気はします。責任取って……なんて白雪ちゃんが一番望みませんね」
美幸は神妙に頷いた。
もし和樹が白雪に手を出してしまった場合、少なくとも現状の関係のままでは、和樹は単にその責任を果たすためだけに白雪と結婚する道を選ぶだろう。
だがそれは、形としては同じだとしても将来的に不幸になる。
それに妹としても、兄にそんな負い目を背負って結婚してほしいとは思わない。
「……なんていうか、めんどくさすぎますね、あの二人」
「まったく。我が兄ながら呆れるばかり」
「そういえば、美幸さんはそういう人いないんですか?」
「う。今のところいないなぁ……残念ながら。婚約者がいたり運命の相手と会えたりはしてない……」
気になった人が過去いなかったわけではない。
高校の時に仲の良かった男子がいたこともあるが、付き合うとまではならなかった。
大学に入ってからそういう出会いも今のところない。
サークルにも男子が半分くらいはいるのだが、そういう話は周りにはあっても美幸自身にはない。
一年の時に不届きな先輩がいたのを投げ飛ばしたのが、やはりまずかったのか。
「美幸さん?」
「あ、うん。なんでもない。そういえば、みゆちゃんの婚約者ってどんな人なの?」
「孝君ですか? そうですねぇ。とっても真面目で、そういうとこは月下さんに似てるかも」
「へぇ。あ、写真ある?」
「もちろんです。ええと……」
その後二人は共通の話題から好きな本やタレントの話からと延々と話していた。
そして白雪達が帰ってきたことにも気付かず、夕食に呼ばれるまで話し込んでいたのである。
美幸も実は柔道黒帯だったりします。




