第166話 研究室の合宿
八月の二週目。
世間的にもお盆直前というタイミングに、和樹の属するプロジェクトは合宿と称して長野の避暑地に赴いた。
二泊三日の日程で、宿泊場所は大藤教授の知り合いが経営するペンションだ。
それは問題はないのだが、その場所が和樹にとってはやや問題だった。
実家のある街そのもの。最寄り駅にいたっては同じだ。
今年は夏休みの予定が分からないのと、この合宿があるのもあって、夏は行くのを見送ることにしていたのだ。
それがまさかの場所。
さすがにこれで立ち寄らないのは不義理にもほどがあるとは思えるが、和樹は立場上プロジェクトチームの次席にあたるので、引率者としての責任もある。
大学のプロジェクトチームは院生が主とはいえ、今回の合宿では他にも数人、学部生もいる。和樹としては色々やることも多い――教授がこういうのはずぼらだからだが。
とはいえ、さすがに行かない選択肢はないので、合宿後に行く話はしてある。
合宿後は数日そろって休みということになっていて、各自帰省したりする予定だから、引率者としての役割はないのだ。
合宿の参加メンバーは大藤教授をはじめとしてプロジェクトメンバーである和樹、白雪、奈津美、渡、京子、美雪。それにメンバーではないがアシスタントとして佐山あかねと、ほかに三人、研究室の院生と学生が一緒に来ていて、合計十一人の大所帯だ。
メンバー外の三人は中村陽太という修士課程一年が一人、あとは渡辺智一、渕明という学部生で、それぞれ四年生と二年生だ。
メンバー外とはいえ、中村陽太は今取り組んでいる研究テーマが一区切りしたところでプロジェクト合流予定で、渡辺智一も来年、院に進むと同時に参画予定である。
渕明は非常に優秀な学生で、去年から研究室に出入りしている、いわば教授の秘蔵っ子だ。もっともその意味では、白雪や美雪もそれに該当するが。
「うわぁ、涼しいですね、本当に」
その追加メンバーの一人、明が電車を降りた直後、感動したように大きく手を広げて驚いてた。
他のメンバーもめいめい、同じような反応だ。
「本当に涼しいですね……都市部とは全然違うというか」
白雪も感動したようにしている。
今日の白雪の服装はクリーム色のブラウスにジーンズという活動的な出で立ちだ。
東京まで出た後、新幹線と在来線で一時間あまり。時間的距離で行くとかなり近いとは思えるが、やはり距離はあるとは思う。
ただその分、本当に涼しいのは事実だ。
「この辺りは標高が高いからな。それで涼しいんだ」
和樹の言葉に、白雪がなるほどとうなずいている。
「久しぶりだけど、やっぱいいよね、ここは」
「みゆさん、来たことあるんですか?」
「うん。この近くにうち、別荘があるの。さすがに京都からここまでは結構大変だから、中学以降は来たことなかったけど」
さすがは名家出身。
実際この地域は避暑地としては古くからよく知られているので、そういう家が別荘を持っているのは不思議はない。
確か皇家も別宅を持っていると聞いたこともあるほどである。
「さて、ここからは迎えに来てくれるという話だが……」
教授がきょろきょろとあたりを見回すと、『ペンション石清水』とボディに描かれたマイクロバスがロータリーに入ってきた。
和樹らが集まってる前で止まると、車内から五十歳前後と思われる女性が顔を出す。
「お久しぶりですね、大藤さん。今回はどうも」
「いやいや。こちらこそ予定を入れさせてもらえて助かった。よろしくお願いします、杉谷さん」
下りてきた女性は教授の知り合いらしい。
女性に促されて、一行はぞろぞろとバスに乗り込み、全員の着席を確認したら、バスはゆっくりと発進した。
そのルートは、さすがに和樹の実家の方向とは違うので、和樹は内心安堵する。
これですぐ近くだった日にはいろいろと面倒になる気しかしない。
バスはそのまま十五分ほど走り、やや傾斜のある地域にたどり着いた。
周りは緑が多く、夏の日差しを受けて鮮やかに輝いて見える。
その坂の途中、『ペンション石清水』と書かれた看板のところの道を入り、バスは停止した。
「はい、到着です。皆さんお降りください」
女性の言葉で各自荷物を持ってバスを降りる。
そこにあったのはどこかスイスの山奥などにありそうなお洒落な山荘風の建物。
その入口に、教授と同じくらいの年齢の男性が立っていた。
「ようこそ、ペンション石清水へ。私がオーナーの杉谷です」
「久しぶりです、杉谷さん。今回お世話になります」
どうやら教授とオーナーは本当に旧知の間柄のようで、なにやら話がはずんでいる。和樹をはじめ、他のメンバーはどうしたものかと立ち尽くしてしまっていたが、それに気付いたオーナーの杉谷が女性の方に目配せすると、女性が和樹たちの方に来た。
「さて、それじゃ、お部屋にご案内しますから、どうぞこちらに」
女性の案内でペンションの中に入ると、中は外から想像できる通りの木をふんだんに使った内装で、どこか落ち着く様な、わくわくするような感じがする。
ペンションは三階建てて、一回はホールに食堂、お風呂などの共有設備。
二階と三階は客室で、客室にもシャワーはついているようだ。
部屋割りは事前に決められていて、和樹は渡と相部屋。
白雪は美雪、あかねと相部屋で、京子と奈津美、メンバー外の男子三人は一部屋である。
和樹の部屋はベッドが二つとテーブル、それにテレビがあるが、軽く調べると無線環境は整っているようだ。
窓からは緑に彩られた街並みが見えて、いかにも避暑地に来た、という気分にさせられた。
一応空調はついているが、そこまで暑くないので、当面は必要なさそうだ。
一階に大きめの共有スペースがあって、すでにそこには大きな机が運びこまれていた。
ここで色々作業をする予定なのだろう。
とりあえず荷物を置いてから一階に戻ってくると、教授も話が終わって部屋に荷物を置いてきたところらしい。
「さて。まあ移動で疲れただろうから……今十時半か。お昼までは自由時間としよう。その後、午後からは打ち合わせと各自の作業分担などを決める」
「分かりました。……俺も自由行動でいいので?」
このプロジェクトでは、事実上和樹が教授に次ぐ立場にある。この後に何かするなら、先に打ち合わせをしておくべきかという気持ちはあるのだ。
「私も疲れたからな。ただそうだな……昼食が十二時半かららしいから、十二時に会議室に来てくれ。少しだけ先に打ち合わせよう。それまで休むなり好きにすると良い」
「分かりました」
和樹はそういうと、一行を振り返る。
早速外に出る相談をしてるのは男子三人だ。
渡はあかねと相談している。
白雪を見ると、こちらは美雪と話していた。
研究室では白雪は過剰に和樹とは接触しないようにしている。元々白雪が和樹の教え子であることは知られてはいるが、余計な勘繰りを避けるためだ。
なのでこういう場面では無理に白雪に、少なくとも和樹から声をかけることはしないようにしている。
とりあえず白雪と美雪は近くを散歩するつもりらしい。
「先輩」
さて自分はどうしたものかと思っていたところで、声をかけられて振りむいた先には奈津美がいた。
「どうした」
「あ、いえ。先輩はどうするのかと思って」
「特に……考えてない。部屋でのんびりするのもいいかと思うところだが」
正直に言えば疲れてる気はする。
二十代前後の若い学生達と比べると、こういう時の体力の低下はどうしても感じてしまうのだ。
「なんか年寄りみたいなことを……」
「若いつもりはあっても、疲れたと感じるは否めないんだよ」
「でもせっかくこんなところまできて、部屋で休んでいたらもったいないですよ。少し散歩にでも行きませんか?」
奈津美の誘いに、和樹は一瞬だけ迷った。
気にしたのはうっかり自分の家族と鉢合わせないかということだが――駅前まで行くならともかく、ここは駅から逆側なので、そういう心配はまずないだろう。
「……まあ、いいけどな」
「じゃ、行きましょう、先輩っ」
奈津美がそういうと、和樹の手を取って引っ張り出す。
「まて、ちょ、一人で歩ける」
そう言っても奈津美はずるずると和樹を引っ張っていくので、和樹としては転ばないようにそのままペンションを出ていくしかなかった。
なので、その背後で白雪が少し面白くなさそうな表情になっていたのには、全く気付いていなかった。




