あっちとこっちな教授の講義 1
「君、大丈夫か?」
誰かが俺を呼ぶ。
頭が痛い。
どれくらい痛いかっていうと、まだガキの頃、道ばたに落ちてた空き缶を蹴ろうとして、逆にカンにつまずいてアスファルトに後頭部ダイブしたとき並な……。
これ、確か前にも使った例えだよな?
まぁいい、俺のボキャ貧は今に始まった事じゃない。
それにあの思い出より、痛みの本質が違う。頭の芯がズキズキする感じ、近いところを探すなら風邪で寝込んだときの感じだな。
「今度は生きているんだろう? 目を開けたまえ」
再び誰かの声がした。
妙に丸く、舌っ足らずな響き。それでいて言葉はしっかりしていて、何ともちぐはぐな声だ。
ヒャッハー語じゃないからヒャハ子じゃないだろう。声の可愛いヒャッハーって、今思えばちょっと新鮮だな。
といってシャイナ……でもないな。あいつのはいつも鼻にかかった気だるいセクシーボイスだ。見た目ゾンビでセクシーボイスってのもおかしな話だが。
シィは主人公ボイスでもリアルボイスでも違う気が……リアル? そういえば、確かさっき――。
「司!?」
飛び起きたら、牢屋だった。
壁、床、天井、全て鋼鉄製。余計な飾り気は一切なく、壁面と天面は滑らかな曲線で結ばれている。正面には扉がある。ノブはなく、のぞき窓は極小で、おまけに水色のエネルギーがもやのように取り巻いている。
ちょっと世間一般の牢屋とは違うが、牢屋で間違いないだろう。
天井にぽつんと照明があって、それが不気味な青白い光で部屋全体を照らしている。ブルーライト自重とか、青色LED眩しすぎとか思ってる俺としては、非常に居心地の悪い空間だ。
居心地といえば妙に寒い。
そう思って身体を見てみれば、寒いのも当然、見事なまでに素っ裸だった。見覚えのない筋肉質なボディに一瞬当惑するが、そう言えば俺フッチーだし、と思い直して納得する。
「そういや誰か、俺を呼んでなかったっけか?」
ふり返ってみるが、牢屋には俺以外に誰の影もない。どうも頭痛がひどくて幻聴でも聞いていたようだ。
そう頭痛。頭の芯でスープ缶を十六ビートで連打しているような、そんなひどい頭痛だ。こうなった要因は一つしか考えられない。
「セネターズのスタン手榴弾だよ」
そうそう、あいつらの人さらいにおける常套手段だ。相手を無力化しておいて、安全に確保する手段……。
「……今、喋ったの、誰?」
耳を澄ませるが、聞こえてくるのは低い騒音と、コン、コン、と規則正しいポンプ音だけ。人の声どころか、息づかいさえ感じ取れない。
前に言っただろう? 俺は幽霊とか大っ嫌いなんだよ!
こんな殺風景な牢屋に幽霊とかそんな、取り殺しマスなコンボじゃねぇの?
立ち上がって壁際に走る。もう怖くて背後とか見ていられない。
「じょ、冗談じゃねぇ! ゲームに取り込まれてわけわかんねぇ目にあって、挙げ句の果てに牢屋で幽霊に会いました、なんてどんだけの事態だよ!」
逃げようにも、壁面には取っかかりどころか溶接のあとすらない。まるで缶詰の内側に入った気分だ。俺は唯一の出口、水色に光るドアに目を向けた。
するとどこからか、微かな声が聞こえてくる。
「おいよせ、滅多なことを考えるな」
ほっといてくれ幽霊さん、俺はあんたと同室なんてごめん被る。
例え一糸まとわぬ素っ裸だったとしても、俺は心の平安を保ちたいんだ。つまり、逃げたいんだよ!
扉へ走り、手が水色のエネルギーに触れた。
ポンッ!
俺は軽い音を立てて吹き飛ばされた。
ただし、俺の身体には全然軽くない。
全身に電撃が走り抜け、髪は逆立ち目は火花を散らし、いつかの夏の日同様、そしてこの世界に来たとき同様、金属の壁に後頭部から叩き付けられた。
「くをっ……」
めまいとも衝撃とも付かない苦痛が脳を打つ。目も開けられない有様で、俺はそのままズルズルとへたり込んだ。
ひたひたと近寄ってくる足音。幽霊に足があるとは……いや、俺が今や死にかけなのか。幽霊の世界では、足がないと不便だろうしなぁ。
などと考えていると、俺の額にひんやりとしたもの当てられ、次いで誰かの息づかいがすうっと迫ってくる。まるで額に手を当て、耳打ちするように。
「落ち着きたまえ。君はどうやら境界線上にいるらしいからな。まずは呼吸を整え、身体の力を抜き、そして……そうだな、自分がどこにいるのかを意識してみるといい」
不思議な幼女ボイスが俺にそう告げた。
幽霊の指示に従うのもどうかと思うが、それ以前に手足がしびれて動きそうにもない。手足からくたりと力が抜けて、俺は壁によりかかった。
俺がいるのはどこだ?
身動きをしなくなると、背中や腰を通して部屋全体がゆっくり揺れているのがわかる。一分間に一往復ぐらいか、僅かな角度を付けて不規則な揺れが伝わってくる。
感覚としては遊覧船とか、フェリーとかの大きな船に近い。
「場所は掴めたか? セネターズの船の中だ」
セネターズの船? ってーと、あれか、ここはエンケラドゥスの船内って事か。
ありえないはずの構造体の中に自分がいる。そう認識した途端、背中に当たる鉄板の感触が変わった。ひんやりしているのは一緒だが、そこにざらついた質感が加わる。
「ほほう、八割方はこちら側といったところか。……よし、もう一押し行くからな? 私がいいと言うまで目を開けるなよ?」
幼女ボイスがそう言って耳元から離れた。
そして俺が何かをする暇もなく、柔らかいものが唇に押し当てられ、何かが口の中に入ってくる。
反射的に閉じようとする歯をこじ開け、奇妙に柔らかく、絶妙に滑らかな先端が舌に絡まり、舌の裏側をくすぐって丹念に解きほぐしていく。
「……!」
驚きで開こうとした俺の目を、小さな手が覆う。
やがて口の中から、小さな舌が引き抜かれた。残ったのは少し生っぽく、それでいて清々しく、一割ほど血の香りがする吐息だけだ。
「んっ。よろしい、目を開けたまえ」
幼い声と共に、目の前の手が取り払われた。
ハッと目を開けた俺の前にいたのは、大きなメガネをかけた幼女だった。
髪型はおかっぱに近いショートなボブ。ブカブカの白衣を羽織り、顔には奇妙な、緑の痣が幾筋か走っている。目の色は暗い赤で、大きな瞳はまっすぐ俺を見ている。そして口元にはにんまりとした微笑み。
「……あんたは、っていうか今のは!?」
慌てて唇に手を当てた俺に、幼女はふふんと鼻で笑いながら答えた。
「人体で一番敏感な部分を刺激してやったまでだ。まさか指でやるわけにもいかんからな、こちらも舌を使わせてもらった。ああ、そうそうgRG細菌は深部体液感染だ。唾液ではまず移らんから安心するといい」
「舌で……それってキスじゃ……それもディープな」
人生初ディープキスの相手が、わけのわからん幼女に奪われた。その事実にあわてふためく俺に、幼女はさもどうでもいいと手を振った。
「ん? 別に親愛の情を表したわけじゃないぞ。変に気に病む必要はない、単なる措置というやつだ」
そう言って、両手で部屋全体を示した。
「それより、以前と違って見える場所はあるかな?」
「違って……あれ?」
部屋を見回した俺は、小さな違和感を覚えた。
どことはいわないが、全体的に部屋が汚れた感じがする。金属壁には染みが付き、オイルか錆の流れたあとがいくつか見える。照明も若干暗くなり、部屋全体に煤けた空気が満ちている。
思わず鼻を啜り、俺は決定的な違いに気がついた。
臭いだ。さっきまでは何の臭いもしなかった空気に、かび臭さや体臭の入り交じった、香ばしくも饐えた風味が混じっている。
顔をしかめた俺に、幼女は不思議そうな顔で問いかけてくる。
「臭いがどうかしたか?」
「いや……何でいきなり、こんなに臭いがしてきたのか……」
「ほほう、臭いの違いか。ふむ、おそらくあっちでは臭いが重要なファクターではないのだろうな。こちらに来るなり臭いを意識する。ふむふむ、興味深い」
そう言ってアゴ手で考え込む幼女。しかしすぐに俺に顔を向け、それからちょっと困ったような笑いを浮かべた。
「それはそうと、君には何か着る物がいるな」
「着る物? ……きゃぁっ?」
気がつけば俺はまだ素っ裸のままだ。
悲鳴を上げて前を隠す俺に、幼女は苦笑しながら着ていた白衣を脱ぎ、それを投げて寄こす。
「よかったら貸すぞ? ま、私は見えてても一向に構わんが」
「俺が構うわ!」
慌てて白衣に袖を通しながらも、そのあちこちに付いた血の染みや、ボロボロの裾が気になる。贅沢は言えないが、着終わってなお下半身の風通しがいいのが何ともいえない。
白衣を脱いだ幼女の服装は、とても奇妙だった。
緑の大人用アーミーパンツのみ。それをめいっぱい引き上げて裾を折り、ボロ布をサスペンダー代わりにオーバーオール風に着ている。チラどころか全開で見えている肩や腋には、顔と同じく緑の痣が、まるで模様のように走っていた。
「それで、あんたいったい……」
「教授、プロフェッサーだ。そう呼べと言っただろう?」
謎の幼女こと教授は、そう言って真っ平らな胸を誇らしげに張ってみせた。




