第6章:広がる噂と、高まる外堀
「おい……聞いたか?」
「ああ……冷酷無比と恐れられる摂政閣下に、ついに……」
「まさか、あの第九皇子殿下を離宮にお囲いになるとは……」
――数日後。
広大な大華帝国の宮廷内は、ある一つの「すさまじい噂」で持ちきりになっていた。
『あの冷酷な摂政・李耀天が、不遇の第九皇子・李蓮鳳を自らの離宮に引き入れ、四六時中片時も離さず溺愛している』
文官も武官も、果ては後宮の宮女たちまで、顔を合わせればその話題で持ちきりだ。
「昨夜も同じ寝台でお休みになられたそうだぞ……」
「それどころか、朝食まで摂政閣下自ら蓮鳳殿下のお口へとお運びになっているとか……!」
「なんという……なんという『断袖の愛』なのだ……!」
――当の本人である私は、離宮の回廊の陰でその噂を耳にし、壁に頭を打ち付けていた。
(終わった……! 私の『無能で無害な弟として静かに臣籍降下して隠居する』という完璧な人生計画が、木っ端微塵に砕け散った……!!)
ただ生き残ろうとしただけなのだ。
毒殺されかけたから権力者に助けを求めたら、なぜか「健気なアプローチ」と勘違いされ、同居させられ、逃げ場を失い、挙句の果てに宮廷中に「摂政閣下の愛しい男寵(※実の弟)」として噂が爆走している。
「はぁ……はぁ……もうダメ、胃に穴が空く……」
「どうされたのですか、蓮鳳殿下。顔色が優れませんが」
振り返ると、そこに立っていたのは、耀天の側近であり、宮廷屈指のキレ者文官として知られる趙 雲輝だった。
いつも冷徹な眼鏡の奥の瞳を光らせている彼だが、私を見る目はどこか……そう、「温かい(そしてちょっと生温かい)」目をしている。
「趙殿……! あの、宮廷に変な噂が広まっているようなのですが、臣下の方々から否定していただけないでしょうか……っ! 私と皇兄様は、ただの兄弟の絆で――」
「殿下、お気になさる必要はございません」
趙雲輝は実に穏やかな、そして完璧な笑みを浮かべて私の言葉を遮った。
「閣下がこれほど誰かに情を傾け、お心をお開きになったのは生まれて初めてのことにございます。……我々側近一同、閣下が人間らしい感情を取り戻されたことに、心より感謝しているのです」
「いや感謝されても困る!! 方向性がおかしいでしょ!?」
「どうぞ、遠慮なさらず閣下の寵愛をお受けください。お二人の仲を邪魔する愚か者がいれば、我々が全力で排除いたしますので」
「外堀が! 外堀が味方によって完璧に埋められていくーーーーーッ!?」
助けを求めたはずの側近にまで「公認カップル」のような扱いを受け、私は崩れ落ちた。
この国において、「断袖の交わり」は歴史的にも珍しくないとはいえ、相手は国のトップ・摂政閣下だ。周りが引くどころか「閣下がお幸せならそれで良し!」と一致団結して後押しする流れになっているのが一番恐ろしい。
その時、回廊の奥から重厚な足音が響いてきた。
「――何を騒がしくしている、蓮鳳」
黒地に金の龍が舞う朝服を纏い、圧倒的な覇気を纏った耀天が歩み寄ってくる。
彼が私を見つけた瞬間、その冷たい仮面のような表情が、ふっと柔らかく甘いものへと変化した。
(あ、また噂を補強するような顔してる……!)
「皇兄様……! 宮廷中に変な噂が広まっています! 男同士でどうのこうのと……早く否定してください!」
私が必死で訴えると、耀天はふむと顎に手を当て、私をじっと見つめた。
「噂、か。……事実を言われているだけだが、何が不満なのだ?」
「事実じゃないです!! 全然事実じゃない!!」
「ほう? 朝食を食べさせたのも、同じ寝台で抱きしめて寝たのも、お前が私の前で顔を真っ赤にしてプルプルと震えていたのも……すべて私の幻覚だったと?」
「うっ……! そ、それはそうだけど、そういう意味じゃ――」
耀天は楽しそうに目を細めると、周囲の目を一切気にせず、私の手首を掴んで自分の方へと引き寄せた。
「言わせておけば良い。……むしろ、宮廷中の者がお前を『私のもの』だと認識すれば、二度とお前に毒を盛ろうなどという愚か者は現れまい」
耳元で囁かれる、低く甘い声。
そして、周囲の侍従や側近たちが「ああ……なんと素晴らしい……」と感動の眼差しで見守っている空気。
(ダメだ……八方塞がりだ……!!)
逃げようとすればするほど愛しさのツボにハマり、抵抗すればするほど周囲の勘違いが加速していく。
男として平穏に逃げ切るはずだった私の人生は、完全に「冷酷摂政の逃げ場なき溺愛ルート」へと突入してしまっていた。




