第9章:決意の足音と、向き合う覚悟
自分の部屋の扉を開け、私は真っ直ぐに廊下へと歩き出した。
胸の奥が、熱い。
静まり返った離宮の回廊に、私の足音だけがカツン、カツンと規則的に響く。
(私……ずっと逃げてたんだ)
身体が男になったから。相手が義兄だから。宮廷の目が怖いから。
そうやって「保身」の言い訳を並べて、自分の胸のときめきからも、あの人が向け続けてくれていた真っ直ぐな熱量からも目を背けていた。
でも、あの「事故」の瞬間を見た。
耳まで真っ赤にして、私を拒絶するように突き放したあの人の震える手。
「理性を保たせるな」と絞り出した、あまりにも切ない声。
冷酷な摂政として孤独に頂点に立つ彼が、どれほどの葛藤を抱えながら、どれほどの思いで私を守り、甘やかしてくれていたのか。
(もう、誤魔化さない。自分の気持ちにも、あの人の思いにも)
耀天の執務室の前に辿り着く。
扉の前に立っていた護衛の武官たちが、私の姿を見て慌てて頭を下げた。
「蓮鳳殿下……。ですが、現在は閣下から『誰も入れるな』と厳命が——」
「通してください」
自分の声とは思えないほど、凛とした声が出た。
武官たちが息を呑むのが分かる。いつものおどおどした「逃げ腰の第九皇子」ではない私に圧倒されたのか、彼らは顔を見合わせた後、静かに扉を開けた。
「……感謝します」
一礼し、私は重厚な部屋の中へと足を踏み入れた。
部屋の中は、昼間だというのにどこか暗く、静まり返っていた。
紫檀の机の奥、耀天は椅子に深く腰掛け、片手で顔を覆っていた。
「……誰も入れるなと言ったはずだ」
地の底から響くような、低く掠れた声。
彼が顔を上げると、その黄金色の瞳には激しい疲労と、まだ収まりきっていない灼熱のような葛藤が揺れていた。
だが、私だと気づいた瞬間、耀天の表情が凍りつく。
「……蓮鳳? なぜ来た。あれほど『視界から消えろ』と言っただろう」
「……逃げるのを、やめたからです」
「なに……?」
私は静かに歩みを進めた。
一歩、また一歩。
いつもなら耀天が距離を詰めてくるのに、今は私が彼との距離を縮めていく。
「……来るな!」
耀天が立ち上がり、机を叩いた。威圧感に気圧されそうになるけれど、足は止めない。
「私を試すような真似はよせ……! 今のお前が近づけば、私はもう……自分を抑えきれん! 男だろうが弟だろうが、力づくでお前を——」
「いいですよ」
「……なに?」
耀天の言葉がピタリと止まった。
私は机を迂回し、彼の目の前まで辿り着いた。
息が届くほどの至近距離。
怖くないと言ったら嘘になる。けれど、逃げたくはなかった。
私は、プルプルと震える自分の手を伸ばし、耀天の頬にそっと触れた。
「ひっ……」
私に触れられた瞬間、耀天が弾かれたように息を呑み、全身を強張らせる。
彼の手が私の手首を掴んだ。力が入っているけれど、決して痛くはない、ギリギリの優しさ。
「……蓮鳳、お前……自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「分かっています」
真っ直ぐに、彼の黄金色の瞳を見つめ返す。
「ずっと……自分のことばかりでごめんなさい。皇兄様がどれだけ葛藤して、どれだけ私を大切にしてくれていたのか、気づかないフリをしていました」
「お前……」
「男だからとか、兄弟だからとか、そういう言い訳はもうやめます。私……皇兄様のことが、好きです。だから、もう苦しまないでください」
静かに告げた言葉。
その瞬間、耀天の目が見開かれ、掴まれていた手首から伝わる彼の体温が、一気に跳ね上がった。
「……お前、今……なんと言った?」
「好きです、耀天様」
照れくささと恥ずかしさで顔が熟したリンゴのように熱くなるけれど、視線だけは逸らさなかった。
耀天の喉が大きく上下する。
次の瞬間、私の視界が激しく揺れた。
ガバッ!
強い力で抱き寄せられ、私は彼の胸の中に完璧に埋もれていた。
「……あ」
背中に回された腕の力は、骨が鳴るほどに強く、荒い呼吸が首筋に吹きかかる。
けれど、そこにはもう「冷酷な摂政」の面影はなく、ただ一人の恋する男の、あまりにも深く切ない愛おしさが満ちていた。
「……もう、絶対に逃がさんぞ、蓮鳳」
耳元で囁かれた低く熱い声に、私はそっと彼の背中に手を回し、ぎゅっとしがみ返した。
男として平隠に生きるはずだった第二の人生。
けれど、この甘く危険な腕の中こそが、私の本当の居場所なのだと、私は初めて心から受け入れたのだった。




