第41章 3人の行方
数週間後——
紗江と田島は、久しぶりに Dolce Mare でディナーをする約束をしていた。
定時を少し過ぎたオフィスで、紗江はバッグに荷物を詰め、急ぎ足で帰り支度をしていた。
その背後から、控えめな足音が近づく。
「課長……転勤になるって、本当ですか?」
振り向くと、澤口がいつもの柔らかい笑みを浮かべて立っていた。
「え……えっと……」
言葉を選ぶ前に、澤口は一歩距離を詰める。
「私を置いて行かないでくださいよ〜」
冗談めかした口調だったが、視線は真剣だった。
「澤口……」
「私、課長がどこへ行っても着いて行きますから」
紗江は一瞬、息を詰める。
しかし時計に目をやり、曖昧に笑った。
「ごめん、今ちょっと急いでるの。また後で話そう?」
それだけ言って、部署を後にする。
背中に、
「課長〜っ!」
という声が追いかけてきたが、振り返らなかった。
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Dolce Mare の重厚な扉を押すと、穏やかな照明と、海の香りと静かなホールが広がる。
「こんばんは、紗江さん。お連れ様はすでにお待ちです」
海に案内されたテーブルでは、田島がロックグラスを手にしていた。
氷が静かに音を立てる。
「お酒、飲んで大丈夫なの?」
「今はリハビリ中だから、ほどほどにね」
そう言って微笑む表情は、以前より少し穏やかだった。
「元気そうで良かった」
「君が来る前に、コースは頼んでおいた」
ホールスタッフの海が近づき、飲み物のオーダーを取る。
「今日のおすすめのワインを」
紗江
「かしこまりました」 海
厨房へ戻る背中を見送りながら、紗江は周囲を見渡す。
「相変わらず、混んでるわね」
「ああ。ここ、ミシュラン取るかもしれないって噂だ」
「え……ミシュラン?」
その言葉に驚いたタイミングで、海が戻ってきた。
「本日は、山形県高畠町の《嘉》というスパークリングワインです。コクのある味わいです」
グラスに注がれ、二人は静かに乾杯する。
⸻
料理が来る前、田島はポケットから封筒に入った二枚のチケットを取り出し、テーブルに置いた。
「来年の三月、東京スタートでツアーをやる。……これ、渡したかった」
「え……二枚?」
「一人じゃつまらないだろ。誰か誘えよ」
「誰かって……」
「ライブ後、スタッフを迎えに行かせる。楽屋に、来れるか?」
「楽屋……?」
その瞬間、厨房の扉が開き、三上が姿を現した。
「本日はありがとうございます」
三上
「わざわざ来なくてもいいのに」
田島
紗江は一瞬迷い、ふと思いついたように言った。
「三上さん、音楽は好きですか?」
紗江
「え?」 田島
「今、チケットをもらいまして……一緒に行ってくれないかと思って」
紗江
三上は目を丸くする。
「マジかょ…。」 田島
「いつですか?」 三上
「…三月です」 紗江
「……分かりました。ご一緒します。彼の音楽、興味ありますし」
三上
「えっ……?」
紗江と田島の声が被る。
「じゃ…、よろしくお願いします」
紗江
三上は戸惑いながらも頭を下げ、厨房へ戻っていった。
⸻
「……なんで、あいつを誘うんだよ」
料理が運ばれる前、田島は低い声で言った。
「一番お世話になってる人だし、あなたの音楽、聴いてほしかったから」
「……調子狂うわ。」
天井を見上げ、田島は深く息を吐く。
紗江は、転勤の話を切り出せないまま、グラスを傾けた。
田島もまた、
まさか恋敵と同じ会場に立つことになるとは思わず、胸の奥に小さな焦りを抱えていた。
そして厨房では、三上がホールの二人を気にしながら、
いつ来るか分からない“評価の瞬間”に備え、黙々と料理に向き合っていた。
三人の視線は交わらないまま、
それぞれの行方だけが、静かに動き始めていた。




