38章 告白の行方
波乱の夜から一か月。残暑が名残を惜しむかのようにまだ秋の空気に溶け込む中、紗江は慌ただしい日常に追われていた。オフィスのデスク周りには資料や企画書が積まれ、時折電話が鳴る。隣で澤口は、さも何事もないように軽口を叩いているが、その言葉は一瞬にして社内の噂となった。
「朝比奈くん……結婚するんだって?」
上司が訊ねる。
「何の話ですか?」
紗江は答えを探すように視線を彷徨わせる。
「社内で、君が結婚するって話になってるよ」
上司が笑みを浮かべる。
「……知りません」
紗江の声は小さく、しかし心の中では――
――澤口〜っ――
と呟いた。
一方、田島は足の怪我もようやく回復し、リハビリと新曲制作に専念していた。しかし頭の片隅にはあの夜の光景が残る。隣で紗江がプロポーズされる瞬間を目撃した記憶は、胸の奥でじわじわと影を落とした。
ーー俺はどう動けばいいのかーー
問い続ける日々の中、マネージャーから一本の電話が入る。半年後のライブの件――引き受けるか断るか、判断を求められた。身体の自信はまだ完全ではなく、曲も思うように進まず、メンタルと肉体が追い詰められる日々が続いていた。
そして三上。紗江からの返事を待ち続ける時間に、料理を作る手も乱れ、塩と砂糖を間違える始末だった。傍らの海が心配そうに声をかける。
「……紗江さんに連絡してみたらどうですか?」
その一言に三上は背中を押されるように頷きスマートフォンを取り出す。
ーーおつかれさまです。最近お仕事忙しいですかーー 三上
ーー最近落ち着いてきましたーー 紗江
ーーお元気そうで良かった。突然なんですが、明日は定休日なので飲みに行きませんか?ーー 三上
間が空く。
ーー明日、大丈夫ですーー 紗江
ーーありがとうございます。じゃあ、また紗江さんの会社の近くの駅前で…待ち合わせで大丈夫ですか?ーー 三上
ーー了解しました。明日に又…連絡しますーー 紗江
ーー了解致しました。よろしくお願いしますーー 三上
LINEを閉じ、三上は海に向かって小さくGoodサインを送る。海は微笑み返し、三上は胸の奥で安堵を感じた。再び厨房に戻った三上は、いつもより少し張り切った動きで調理に集中する。海はそんな姿を見つめ、目を細めるのだった。
ーー翌日ーー
仕事を終えた紗江は、そっと三上に電話をかける。
「もしもし…紗江ですが、これから会社を出ますね」
「もう着いてますよ。駅前にいますので、声をかけてください」
「分かりました。では…後ほど」
駅前に到着すると、三上は手を振りながら微笑んだ。
「紗江さんっ! こっち」
「三上さん…早いな」
息を切らせながら、紗江は答える。
「今日はね…ちゃんとお店決めて来ましたよ」
浮かれた笑みを浮かべる三上に、紗江も少し緊張をほぐされる。
「えっ? どこに?」
「こっちです」
三上が手を取り、そっと導く。その瞬間、紗江の胸はギュッと締め付けられるような感覚に襲われた。夕暮れの柔らかい光が二人を包み、三上の背中はなぜか男らしく広く、頼もしさを感じさせた。街のざわめきも、沈みゆく夕日に溶けるように静まり返る。
二人の足取りは自然と近づき、言葉は少なくとも互いの存在が確かに心に響く――そんな、穏やかで特別な時間が流れていた。




