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第29章 三上の覚悟


会社を出た紗江は、夏の余韻を残す夕暮れの街を歩きながらDolce Mareへと向かった。オレンジ色の光がアスファルトを染め、遠くのビルの窓が淡く光を反射する。風が軽く吹き、髪を揺らすたびに、心の奥で田島の回復への不安と、三上への微かな想いが交錯した。


扉を押すと、店内は温かい光に包まれ、海の笑顔がすぐに紗江の目に飛び込んできた。


「……朝比奈さん」


微笑みながら歩み寄る海の姿に、紗江はふっと肩の力を抜く。


「今日は試飲じゃなくて…お客様として来ました」


店内は程よい賑わいを見せ、カウンターの光がガラスに反射してキラキラと揺れている。海が紗江を案内する。


「店内は混雑していますのでカウンター席で大丈夫ですか?」


「はい、大丈夫です」


席に着き、紗江はバッグから封筒を取り出し、海に差し出す。


「これ、三上さんに渡してもらえますか?」


「かしこまりました」


海は丁寧に封筒を受け取り、厨房へ戻る。しばらくすると、グラスに注がれたワインが運ばれてきた。


「本日のワインはナイアガラスパークリングです。北海道産の白ワインで、果実味のある甘口となっております」


香りを確かめ、口に含むと、芳醇なブドウの香りが舌の上で優しく広がった。


続いて運ばれてきたのは、前菜9種類のスペシャルテ、石窯で焼き上げたバケット、カブとアサリのポタージュ、メインのヒラメのムニエル【アメリケーヌソース】、一口サイズのショートケーキ3個、そして竹炭焙煎のコーヒー。どれも三上のこだわりと情熱が随所に宿る、完璧なコースだった。


紗江がワインのおかわりを頼むと、厨房から三上がワインを手に現れた。


「紗江さん…貴方をイメージしてディナーコースのメニューをリニューアルしました。如何でしたでしょうか?」


「えっ…わ、私をイメージしたんですか?」


三上は少し照れたように微笑み、持っていたワインを注いだ。その瞳は、言葉では表せない想いを秘めていた。


「ええ。前菜やスープは紗江さんと一緒に仕入れに行った農家の野菜を使っています。ヒラメには、紗江さんがお気に入りだったアメリケーヌソースを合わせてみました」


「どれも完璧です。何も言うことがありません」


「良かった…お客様の評判も上々です」


「流石ですね、三上さん」


「僕には信頼できるフーディーが付いていますから」


三上の言葉と共に、微かな笑みと光が紗江の心に優しく触れる。その瞳の奥に、強い覚悟と温かさが光っていた。


「紗江さんに、お話しがあります。閉店まで呑みながらお待ち頂けませんか?」


「……分かりました」


——閉店後——


海に案内され、紗江は窓際のソファー席に腰を下ろす。外では街灯に照らされる青々しい緑がスポットライトのように輝き、店内の温かい灯りと溶け合って、静かな時間が流れていた。


「お待たせしてすみません。あの時、紗江さんが試飲したオレンジワインを二人で呑みたくて…。」


紗江は無言でグラスを手に取り、手紙の内容を思い浮かべた。紗江の努力と苦労、伝えたかった想いが静かに三上に伝わる。


「あの手紙…僕は納得できない」

三上の瞳が少し揺れる。

「紗江さんが自分の気持ちに素直になりたいというのは分かる。でも、僕を信頼してくれることと、バンドマンの彼…僕も悩んでいるんだ」


「三上さん…私は自分の気持ちに

正直でありたいんです」


ー間が空くー


「それは…僕も同じです」


ー間が空くー


三上はしばらく黙ったままグラスを見つめ、ゆっくり息をつく。

「…でも、ずっと考えていたんです。料理人とフーディー、それならお互いに責任も果たせるし、やっていける。それなら問題ないでしょ?」


「……分かりました。でも週末のパーティーはご遠慮します。こぅいうタイミングなので…。」


「残念ですが…分かりました。」


オレンジワインを二人で静かに呑み干した後、紗江は席を立ち、会計を済ませる。


「ご馳走様でした」


海は扉の前で静かに言葉をかける。


「家のシェフは不器用なので、言葉で表現できません。その分料理で心を伝えています。それだけは分かってあげて下さい」


紗江は海の肩に手を置き、柔らかく微笑む。


「頭を上げて。お料理も、私も裏切らないから安心して」


店を後にし、夜空を見上げると三日月が淡く光り、振り返ると小さく三上が立っているのが見えた。


胸の奥が熱くなり、自然と涙が頬を伝う。二人の思いが、静かに、そして確かに重なり合った瞬間だった。

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