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第23章 富士山と桜に包まれて…


週の中日。

紗江は、いつものようにデスクに積まれた書類に淡々とチェックを入れていた。コピー機の音、キーボードを叩く音。変わらない日常。そのはずなのに、胸の奥は妙にざわついている。


ふと手を止め、何気なくスマートフォンを見ると、LINEの通知が入っていた。


——誰からだろう。


画面に表示された名前を見て、指先が一瞬、止まる。


——田島。


《今週の日曜、時間ができた。よかったら山梨の山中湖に行かないか》


不意打ちのような誘いだった。


《随分急だね。でも大丈夫》


送信してから、ほんのわずかに後悔する。

——私は、全部許したわけじゃない。

そう自分に言い聞かせる。


《了解。じゃあ9時くらいにマンションに迎えに行く》

《分かった。また連絡してね》

《了解しました》


短いやり取り。

それだけなのに、胸の奥が落ち着かない。

仕事に戻ろうとしても、ペン先がわずかに震えた。


——日曜日。


紗江はいつもより早く目を覚まし、キッチンに立った。

卵を焼き、レタスを洗い、ハムとチーズを挟んだサンドイッチを作る。

そしてボトルには、少し濃いめに淹れたホットコーヒーを注ぐ。


——何やってるんだろう、私。


自分で自分に問いかけながら、身支度を整える。


その時、スマートフォンが鳴った。


「今、着いたよ」

「了解。今降りるね」


エントランスを抜けると、田島の車が停まっていた。

助手席に乗り込むと、スピーカーから流れてきたのは——oasis。


「……懐かしい」

「ドライブの定番」


エンジンがかかり、車が走り出す。


「出発〜」紗江

「ラジャ〜」田島


思わず笑ってしまう。

この瞬間だけ、二人の間に、以前と同じ温度の空気が戻った気がした。


高速に入ると、紗江は持ってきたサンドイッチを取り出した。


「はい」紗江

「……あーん?」田島


ハンドルを握ったまま口を開ける田島を見て、思わず眉をひそめる。


「子供か…」


そう言いながらも、口に運ぶ。


「うまい!」

「でしょ。コーヒーもあるよ」


知らないうちに、田島のペースに引き戻されている自分に気づき、胸の奥が少しだけ苦くなる。


やがて山中湖に到着した。

湖面は春の光を受けてきらきらと輝き、振り返ると、富士山の裾野に咲く桜が淡く重なっている。


車を降り、二人並んで立つ。


「……綺麗だね」

「だな」


春の風が、二人の間をすり抜けた。


紗江はスマートフォンを構え、写真を撮り始める。

そしてバッグから自撮り棒を取り出した。


「ね、二人で撮ろうよ」紗江

「一枚五百円になります」田島

「金、取るんかい⁉︎」紗江


思わずツッコミを入れると、田島が笑った。


桜と富士山を背に、何枚かシャッターを切る。


「LINEに送るから、大事にしてね」

「ラジャー」


その後、二人は山中湖近くのログハウス風のカフェへ移動した。

店内には暖炉があり、木の温もりが広がっている。


「冬に来たかったな」

「……また来ればいい」


その言葉に、紗江は何も返せなかった。


スイーツセットを待つ間、紗江はバッグから小さな箱を取り出した。


「ツアーの合間に買ったの。渡そうと思って」

「……サプライズ?」


箱を開けた田島の目が、少しだけ大きくなる。


「oh〜wonderful!」

「なんで英語⁉︎」


黒いレザーのキーカバー。

田島はすぐに車のキーにつけた。


「一生大事にするよ。ありがとう」

「それを見たら……私を思い出してね」


運ばれてきたスイーツは、白い皿に彩られていた。

オレンジソース、ミント、ケーキ、マカロン、アイス。

ポットにはハーブティー。


富士山を望むカフェで、二人は静かに向き合いながら、

チグハグになってしまった歯車を、そっと戻そうとしていた。


それが“本当に噛み合うのかどうか”——

まだ、誰にも分からないまま。

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