第22章 敵対する心
Amber Moonでの夜を境に、紗江は仕事終わりにDolce Mareへ立ち寄ることが増えていた。
理由を言葉にする必要はなかった。ただ、そこに行けば三上がいる。それだけで心が少し整う気がした。
三上もまた、紗江が店に現れるたび、胸の奥に静かな喜びを覚えていた。
必要以上に言葉を交わさず、ただ同じ空間にいる。それだけの関係が、今は心地よかった。
その夜も、店は穏やかな時間を迎えていた。
紗江はカウンターに腰を下ろし、運ばれてきた
ジョン・デュヴァル・ワインズ プレキサス ルーサンヌ・マルサンヌ・ヴィオニエ 白ワイン
にそっと口をつけようとしていた。
そのとき、入口の扉が静かに開いた。
一人の男が入ってくる。
サングラスを外した瞬間、紗江の動きが止まった。
——田島。
反射的に、紗江は立ち上がっていた。
心臓が嫌な音を立てる。
「……もう一度、話がしたい。頼む」
低く、どこか掠れた声。
ホールにいた海は状況を察し、すぐに厨房へ引き返した。
紗江は田島をまっすぐ見ることができなかった。
それでも、横の席を指して小さく言う。
「……どうぞ」
田島は座ると、深く頭を下げた。
「すまなかった。君を傷つけたこと、反省している」
「……え? 何のこと? 何を謝っているの?」
その瞬間、厨房から三上が現れた。
ワインボトルとグラスを手に、静かに田島を見据える。
「紗江さんと同じもので、よろしいですか?」
一瞬の沈黙。
「……はい」
グラスが置かれ、ワインが注がれ再び間が落ちる。
三上は、はっきりとした声で言った。
「先日、私は紗江さんに交際を申し込みました」
田島の目が大きく見開かれる。
「あなたは、紗江さんには相応しくない」
それだけ言い残し、三上は厨房へ戻った。
紗江は、彼の真剣な眼差しを、ただ黙って見送ることしかできなかった。
「……あのシェフと、付き合うのか?」
田島が低く問う。
「あなたに、口を挟まれたくない」
田島は焦ったように言葉を重ねる。
「どうして距離を置いた? どうして、何も言わずに消えた?」
紗江は静かに答えた。
「あなたのマンションの前で、知らない女性があなたにキスして、タクシーに乗るのを見たの」
田島は一瞬、言葉を失う。
「あれは……」
その瞬間、紗江は田島の口元に指を当てた。
「黒よ。男の言い訳って、みっともないからやめて」
「……別れるのか?」
沈黙。
「俺は君が必要なんだ。別れたくない。頼む……許してくれ」
その必死な姿を見ながら、紗江の心は、逆に冷えていくのを感じていた。
紗江は、グラスの中の淡いワインを見つめ
「……詫び飯じゃ、済まないわね」
「何でもする。頼む」
「あなた次第で、考える」
それ以上は言えなかった。
余韻だけを残して。
田島は海にウイスキーのロックを注文した。
厨房で三上は、自分が“宣戦布告”をしたことを実感していた。
怖さよりも、不思議な誇らしさが胸に残っている。
紗江と田島。
二人の間には、まだ断ち切れない、目に見えない絆が確かに存在していた。
そしてその絆こそが——
静かに、確実に、三人の運命を敵対へと導いていくのだった




