第21章 Amber Moonでの告白
紗江は、相変わらず田島のいない空虚な毎日を送っていた。
休日はソファに身体を沈めたまま、テレビもつけずに時間をやり過ごす。仕事の日も定時になると、まるで何かから逃げるように会社を後にした。
そんな平日の午後、スマホが静かに震えた。
LINEの通知。画面に表示された名前を見て、胸がわずかに跳ねる。
――三上。
「……試飲の件、かな」
そう思いながらメッセージを開く。
――おつかれさまです。今日のご都合はいかがでしょうか?
紗江は一呼吸置いてから、返事を打つ。
――空いていますよ。
すぐに返信が来る。
――ご迷惑でなければ、飲みに行きませんか?
その一文を見つめたまま、しばらく指が止まる。
飲みに誘われるのは、初めてだった。
――三上さん、お店は?
――定休日なので、お誘いしました。
――了解しました。ご一緒します。
――では、18時に朝比奈さんの会社の最寄り駅で大丈夫ですか?
――了解しました。会社を出る時に連絡しますね。
やり取りを終えたあとも、胸の奥が落ち着かなかった。
紗江は化粧室に立ち、鏡の前でそっと口紅を直す。トレンチコートを羽織り、髪を整えながら、自分に言い聞かせた。
――いつもの私で、いい。
会社を出る頃には、少しだけ浮き足立っている自分に気づく。
時計を見ると、ちょうど18時。駅前へ向かうと、
「朝比奈さんっ」
声に振り返ると、三上が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「僕も、今着いたところでした。急にお誘いしてすみません」
「いえ……私も、ゆっくり話したかったので」
歩き出しながら、三上が尋ねる。
「どこか、いいお店知っていますか?」
「私……詳しくなくて。Amber MoonっていうBARしか知らないんです」
「じゃあ、そこに行きましょう」
そう言われ、紗江の胸がわずかにざわつく。
Amber Moon――田島との思い出が染みついた場所。
駅から少し歩くと、黒い扉が見えてきた。
「隠れ家みたいですね」
「……ええ、まあ」
扉の向こうには、JAZZとSoulが溶け合う柔らかな音。間接照明がグラスを宝石のように照らしている。
一瞬、田島の横顔が脳裏をよぎり、胸がきしんだ。
二人はカウンターに腰を下ろす。
紗江はオレンジハートムーン、三上はクラフトビールを注文した。
「乾杯」
グラスが静かに触れ合う。
「そういえば……三上さんがお酒飲んでるの、初めて見ました」
「僕、あまり得意じゃなくて」
「それなのに、飲みに誘ったんですか?」
「……朝比奈さんがお酒、好きだから」
照れたように視線を落とす三上に、紗江は思わず微笑む。
「僕は…料理人なので、普段はお酒もタバコもしません。舌の感覚を鈍らせたくなくて」
「なるほど……納得です」
ナッツをつまみながら、三上は静かに続けた。
「僕の師匠は、三國清司という方でした。名前を盾にするな、実力で上を目指せと……」
「……情熱大陸に出てた方?」
「はい」
「すごい……三上さん」
しばらく沈黙が流れたあと、三上が意を決したように言う。
「時々……こうして二人で会えますか?」
「それは、どういう意味で……?」
「僕は、朝比奈さんと距離を縮めたい」
言葉のあとに、静かな間が落ちる。
紗江はグラスを見つめ、ゆっくりと答えた。
「……分かりました。お互い、色々お話ししましょう」
紗江はオレンジハートムーンをおかわりする。
三上は安堵したように、ハイボールを頼んだ。
「明日の仕事、大丈夫ですか?」
「今日は……特別です」
その夜、Amber Moonの灯りは静かに揺れ続ける。
紗江は、三上の隣に確かな安心感を見つけていた。
傷ついた心を、そっと癒しながら——




