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第24章 三上の優しさ


山中湖でのドライブのあと、田島はフェスの準備に追われる日々に入った。

それでも、二、三日に一度は紗江のもとに短い連絡が届く。

それだけで胸がざわつき、同時に、心が浮き立つ自分がいた。


その頃から、Dolce Mareに足を運ぶ回数は自然と減っていた。


昼休み。

デスクに戻ろうとした瞬間、スマートフォンが鳴った。


「三上ですが……最近、お忙しいですか?」


落ち着いた声。

それだけで、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。


「ええ……残業もあったものですから」


嘘ではない。

でも、すべてでもなかった。


「会社が終わったら、お店に来られますか?」

「大丈夫ですが……遅くなりますよ」

「その方が都合がいいです。お待ちしていますね」


丁寧で、押しつけのない言い方。

電話を切ったあと、紗江はしばらく動けずにいた。


——三上の安心感。

——田島の楽しさと、ノリの良さ。


どこに向かっているのか分からない自分が、少し怖かった。


残業を終え、会社を出たのは二十時過ぎ。

春の夜風が、火照った頬をやさしく撫でる。


Dolce Mareの扉を開けた瞬間、厨房から顔を出したのは三上だった。


「いらっしゃいませ」


その一言に、思わず心がほどける。

——ああ、帰ってきた。


海が「閉店も近いので、ソファー席へどうぞ」と窓際の席に案内する。

外には青々とした植物がライトアップされ、春の月明かりと溶け合っていた。


店内に残る客は、あと一組だけ。


やがて海がワインを運んでくる。


「ジョルジュ・ヴェルネ ヴィオニエ・ル・ピエ・ド・サンソン。

フランス産の白ワインです。お楽しみくださいませ」


グラスに口をつけると、

アプリコットやモモのフレッシュな香りがふわりと広がり、

まろやかでエレガントな余韻が残った。


続いて三上が、自家製のエゾ鹿ジャーキーと、

チリパウダーとグラナパダーノをまとったポテトフライを運んでくる。


「紗江さんに気に入っていただけるよう、心を込めて作りました」


「いただきます」


一口食べた瞬間、思わず目を見開く。


「……三上さん、神ですね」


「そう言ってもらえると嬉しいです。

 厨房を片付けたら合流しますので、ゆっくりしていてください」


そう言って、三上は静かに厨房へ戻った。


その後、海がそっと近づき、小声で囁く。


「そのエゾ鹿ジャーキー、紗江さんのために一ヶ月ほどかけて仕上げた、渾身の一皿なんですよ」


「……三上さん、責めてきますね〜」


冗談めかして言いながらも、胸の奥が熱くなる。


ワインを飲み干す頃、最後の客が店を後にした。

静まり返った店内に、三上がワインボトルを持って現れる。

片手には、自分用のグラス。


紗江の空いたグラスと、自分のグラスにワインを注ぎ、

二人は春の月明かりに包まれて乾杯した。


「最近……心境の変化、ありました?」


穏やかな声。

でも、見透かすような眼差し。


「な……何もないですよ。

 仕事で疲れていただけです」


「……そうですか」


——間が、空く。


海が手早く店内を片付け、二人に向かって軽く会釈する。


「お疲れさまでした」


「お疲れさま。また明日もよろしく…。」


海が帰ると、三上がグラスを傾けた。


「紗江さん……今日は、遠慮なく飲みましょう」


「分かりました。いただきます」


グラスが触れ合う音が、静かに響く。


罪悪感は、いつの間にか薄れ、

代わりに、深い安堵感が胸を満たしていく。


その間にも、田島からLINEは届いていた。

けれど紗江は、画面を見ることなく、そのままスマートフォンを伏せた。


今はただ、この静かな優しさに身を委ねていたかった。


——それが、どんな意味を持つのかを、

紗江は考えてはいなかった。


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