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第11章 通勤バスの偶然


朝の冷たい空気の中、紗江は満員の通勤バスに揺られながら会社へ向かっていた。窓の外では街路樹が朝日に照らされてきらめき、人々の足音や車の音が遠くから混ざり合う。バスが出発して10分ほど経った頃、押し合うように人混みがざわめき、部下の澤口が乗り込んできた。


「課長、おはようございます。今日のランチなんですけど……例のレストランに行こうと思っていて」


「えっ?例のレストランって、Dolce Mareのこと?」

「はい……。」


そんな話をしていると、どこかで見覚えのある人が紗江の方を見つめ、微笑んでいるのに気づいた。目が合った瞬間、心臓が一瞬跳ねる。――Dolce Mareの三上だった。紗江が思わず顔を下ろすと、三上は人混みをかき分け、自然な足取りで紗江たちに近づいてくる。


「おはようございます、朝比奈さん」

「おはようございます、三上さん。どうしてこのバスに?」


三上は少し照れくさそうに微笑み、紗江を見つめながら答えた。

「この辺に住んでいまして。これから店に出勤なんです」


澤口が横から口を挟む。

「今日のランチはDolce Mareにしようと相談していたんです」


三上の目が柔らかく光った。

「いつもご来店いただきありがとうございます。今日は新鮮なスズキが入っていますので、それがメインです」


紗江と澤口は即答で声を揃えた。

「ランチに伺います!」


程なく三上は微笑みながらバスを降り、静かに去って行った。澤口が小声で「課長、あの方……」と言いかけると、紗江はそっと手を置き、遮るように言った。

「それ以上言わなくていい」


心の奥で、紗江は心の奥で、もう気づいていた。三上が、自分に好意を抱いていることを――。


ーーお昼休みーー


紗江は澤口ともう一人の部下を伴い、Dolce Mareへと足を運んだ。ランチタイムの店内は予想以上に賑わっている。ホールの海が軽やかに近づき、笑顔で席まで案内してくれた。窓際の席には青々しい緑の植物が並び、差し込む光が温かく、静かな心地よさを感じさせる。


奥のキッチンに目を向けると、三上は真剣な表情で料理に集中していた。海が水とメニューを運び、手際よく料理の説明をする。紗江たちは三上に聞いていたスズキのムニエルを注文し、待つ間に口に含んだフルーツウォーターの爽やかな味に心が和む。


15分ほどで運ばれてきたスズキのムニエル。口に運ぶたび、スズキの繊細な味とワインを煮詰めたソースの香りが五感を刺激する。三上の料理には、人の心を動かす力があることを、紗江は改めて実感した。部下たちも満足そうに頷き、柔らかな笑顔を浮かべている。


会計を済ませ、海と立ち話をしていると、キッチンから三上が顔を出した。

「朝比奈さん……あなた好みのワインが入りましたので、よろしければ会社帰りに寄りませんか?」


紗江の胸はほんのりと高鳴る。

「喜んで寄らせていただきます」


海は微笑みながら言った。

「ではディナータイムにお待ちしておりますね」


束の間のランチタイムを楽しんだ紗江たちは、店を後にした。帰り道、澤口が口を尖らせて言う。

「課長ばかりずるーい」


紗江は微笑みながら肩をすくめた。

「私はVIPだからね〜」


心の奥では、不思議なほど平然としていた。

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