秘密の工房と、究極の『第二の皮膚』
ポプラ村に、冬の足音が、聞こえ始めていた。
草原を渡る風は、日増しに、その冷たさを増し、村人たちは、厚手の外套を、羽織り始める。
畑の収穫も、ほとんど終わり、村は、長い冬に備える、静かな季節へと、入ろうとしていた。
俺たちの生活は、豊かになった。
食料は、十分に備蓄されているし、スライム製品のおかげで、家の中は、快適だ。
だが、俺には、まだ、解決したい、一つの『課題』が、残っていた。
それは、『衣服』の問題だった。
この村の服は、主に、麻や、動物の毛皮で作られている。
丈夫ではあるが、ゴワゴワとして、動きにくい。そして何より、冬の寒さを、完全に、防ぐことはできなかった。
畑仕事で、汗をかけば、すぐに冷えて、体を冷やしてしまう。
(……もっと、快適な服はないものか)
俺は、いつものように、自分の工房――かつては、ただの物置だった、家の離れ――で、思考に、耽っていた。
そして、俺の視線は、自然と、実験用に飼育している、水槽の中のスライムへと、向けられた。
ひんやりとした、夏の枕。
衝撃を吸収する、盾。
極上の弾力を持つ、クッション。
この、万能すぎる素材は、あるいは、衣服の問題さえも、解決してくれるのではないか?
俺の、探究心に、再び、火が付いた。
だが、今回は、これまでのように、村人たちを巻き込むことはしなかった。
これは、俺個人の、秘密の、そして、少しばかり、リスキーな、挑戦だったからだ。
俺は、工房に、鍵をかけた。
そして、誰にも、見られることなく、たった一人で、『究極の衣服』の開発に、着手した。
課題は、山積みだった。
まず、スライムの、あの、ぷるぷるとした、半液状の体を、どうやって、布地のような、安定した素材に、加工するのか。
俺は、試行錯誤を、繰り返した。
薄く、薄く、限界まで引き伸ばし、特殊な薬草でなめし、天日で干し、燻製にする。
何十回という失敗の末、俺は、ついに、紙のように薄く、絹のようになめらかで、そして、ゴムのような、驚異的な伸縮性を持つ、『スライム・レザー』とでも言うべき、新素材の開発に、成功した。
次の課題は、『保温性』だ。
スライムは、本来、ひんやりとした素材。これを、どうやって、冬の寒さを防ぐ、温かい衣服に変えるのか。
答えは、その『構造』にあった。
俺は、二枚の、極薄のスライム・レザーの間に、洗浄して、細かく刻んだスライムを、挟み込んだ。そして、それを、特殊な樹脂で、圧着する。
こうすることで、スライムの層の間に、無数の、微細な『空気の層』が、生まれる。この、空気の断熱効果によって、外の冷気をシャットアウトし、体温を、内部に、閉じ込めることができるのだ。
これは、前世の、ダウンジャケットや、ハイテク断熱材と、同じ原理だった。
そして、最後の、そして、最大の課題。
それは、『見た目』の問題だった。
スライムは、元々、半透明の素材だ。
これを、そのまま衣服にすれば、それは、もはや、服とは呼べない、ただの、変態的な、何かになってしまう。
俺は、村の染物職人の老婆に、教えを乞い、植物由来の、染料について、学んだ。
そして、炭や、ある種の木の皮を、煮出して作った、漆黒の染料を、開発した。
その、真っ黒な染料で、スライム・レザーを、何度も、何度も、染め上げていく。
数週間にわたる、孤独な、研究と、試行錯誤の末。
ついに、俺の工房で、一着の、衣服が、完成した。
それは、全身を、ぴったりと覆う、継ぎ目のない、漆黒の、ボディスーツだった。
手にしたそれは、驚くほど、軽く、そして、しなやか。
俺は、おそるおそる、その、究極の衣服に、袖を、通してみた。
その、着心地は、衝撃的、としか、言いようがなかった。
肌に、吸い付くように、フィットする。しかし、締め付けられるような、窮屈さは、一切ない。
驚異的な伸縮性のおかげで、腕を回しても、足を上げても、全く、動きを、妨げない。
まるで、もう一枚の、自分の『皮膚』を、まとっているかのようだ。
そして、何より、温かい。
工房の中の、冷たい空気を、完全に、遮断し、自分の体温だけで、体が、ぽかぽかと、温まってくるのが、分かった。
「……できた……。できてしまった……」
俺は、自分の姿を、鏡に映し、呆然と、呟いた。
そこにいたのは、辺境の村の、しがない農夫ではない。
まるで、近未来の、特殊部隊の隊員か、あるいは、闇に生きる、アサシンのような、洗練された、漆黒のシルエット。
俺は、この、究極の衣服を、どうするべきか、考えた。
これを、商品化すれば、莫大な富を、生むことは、間違いない。
だが、これは、あまりにも、高性能すぎる。下手に、世に出せば、軍事利用されるなど、ろくでもないことに、巻き込まれる、可能性がある。
(……これは、俺だけの、秘密にしておこう)
俺は、そう、決めた。
これは、俺が、俺自身の、快適なスローライフのために、作り出した、究極の『作業着』。
冬の、厳しい畑仕事も、これさえあれば、快適そのものだ。
俺は、完成した、スライムスーツの上に、いつもの、みすぼらしい、麻の服を、羽織った。
見た目は、いつも通りの、ただのモブ。
だが、その内側には、誰にも知られることのない、オーバーテクノロジーが、隠されている。
満足げに、頷いた、その時。
工房の扉が、コンコン、と、ノックされた。
「ミナセさーん、いますかー? 夕食の、シチューが、できましたよー」
アンナの声だ。
俺は、少し、慌てて、扉を開けた。
「お、おう。今、行く」
「わあ、ミナ.セさん、なんだか、今日は、姿勢がいいですね! それに、顔色も、なんだか、ぽかぽかして見えますよ?」
アンナが、不思議そうに、首を傾げる。
俺は、「そ、そうか?」と、とぼけながら、心の中で、ほくそ笑んだ。
作者よ、見ているか。
俺は、お前の知らないところで、お前の世界の、テクノロジーレベルを、遥かに超越した、とんでもないものを、作り上げてしまったぞ。
たとえ、世界から、忘れられた、モブであろうとも。
俺の、スローライフの、探求は、まだまだ、終わらない。
そして、その探求が、時として、世界の理さえも、歪めてしまうことを、まだ、誰も、知らなかった。




