川のせせらぎと、初めての漁業
初めての収穫祭りが、大成功に終わってから、村での俺の立場は、少しだけ変わっていた。
以前は、「都会から来た、ちょっと変わった兄ちゃん」という扱いだったのが、今では、「腕のいい、若き農業の匠」として、村人たちから、一目置かれる存在になっていたのだ。
道ですれ違えば、気軽に声をかけられるし、時には、「うちの畑も見てくれんか」と、農業の相談をされることさえあった。
俺は、自分の知識が役立つことが、素直に嬉しく、知っている限りの土作りの方法や、作物の育て方のコツを、村人たちに教えて回った。
見返りなど、求めていない。ただ、この村全体が、豊かになれば、俺自身のスローライフも、より安定し、豊かなものになるだろう、という、極めて合理的な、モブ的思考からだ。
そんな、穏やかな日々が続く、ある夏の日のこと。
俺は、村のすぐそばを流れる、清らかな小川のほとりに立っていた。
畑仕事でかいた汗を、冷たい水で洗い流しながら、俺は、水面を、じっと、見つめていた。
キラキラと輝く水の中を、時折、銀色の魚影が、素早く横切っていくのが見える。
「……魚か」
俺たちの村の食事は、どうしても、野菜と、たまに獲れる森の小動物が中心になりがちだ。
タンパク質が、不足している。
魚が食卓に加われば、栄養のバランスも、食事の楽しみも、格段に向上するはずだ。
(……よし、やってみるか)
俺の、新たなる挑戦。
『漁業』の、始まりだった。
しかし、問題は、どうやって魚を獲るか、だ。
この村には、釣り竿や、網といった、本格的な漁具は存在しない。村人たちは、たまに、ヤスで突いて獲るくらいで、漁業という文化そのものが、根付いていなかった。
俺は、再び、前世の知識の引き出しを、漁り始めた。
原始的な、魚の獲り方。
そうだ、『罠』だ。
俺は、村の子供たちに、銅貨数枚の駄賃を払い、森で、丈夫なツルや、しなやかな若木を集めてきてもらった。
そして、川岸の、少し流れが緩やかになっている場所に、せっせと、罠を仕掛け始めた。
俺が作っていたのは、『魚籠』に似た、原始的な罠。
川の流れに対して、入り口を広く、奥に行くほど狭くなるように、木の枝を、V字型に、何本も、打ち込んでいく。
そして、その一番奥に、ツルで編んだ、目の細かい籠を、設置する。
魚は、一度、この籠に入ってしまうと、流れと、籠の構造上、簡単には、出られなくなる、という仕組みだ。
俺が、川の中で、泥だらけになりながら作業をしていると、またしても、アンナが、心配そうな顔で、様子を見にやってきた。
「ミナセさん、今度は、何をされているんですか?」
「見ての通りだ。魚を獲るための、罠作りだよ」
「魚、ですか……。でも、この川の魚は、すごくすばしっこくて、なかなか、捕まえられないんですよ?」
「だから、罠を使うんだ。俺たちが、追いかけるんじゃない。魚の方から、入ってきてもらうのさ」
俺は、自信満々に、そう言った。
罠の、一番奥の籠には、パンの切れ端や、潰した木の実を、餌として入れておく。
これで、準備は、万端だ。
「……まあ、うまくいくかは、明日になってみないと、分からんがな」
俺は、そう言って、笑った。
その夜、俺は、明日、籠の中に、魚が入っている光景を、想像しながら、眠りについた。
それは、まるで、遠足の前日の、子供のような、ワクワクとした、気持ちだった。
そして、翌朝。
俺は、まだ薄暗いうちから目を覚まし、アンナも誘って、川へと向かった。
もし、一匹も獲れていなかったら、格好悪いな、などと、少しだけ、思いながら。
俺たちは、息を殺して、そっと、罠を仕掛けた場所に、近づいた。
そして、籠の中を、覗き込む。
そこには、
銀色に輝く、腕ほどの大きさの魚が、三匹。
そして、手のひらほどの、小さな魚が、十数匹。
さらには、大きなハサミを持つ、川ガニまでが、数匹、入っていた。
「……す、すごい……!」
アンナが、感嘆の声を上げる。
俺も、思わず、ガッツポーズを取っていた。
「やった……! 大漁だ!」
俺とアンナは、顔を見合わせて、笑った。
朝日が、川面を、キラキラと照らし始める。
その光の中で、アンナの笑顔が、いつもより、ずっと、輝いて見えた。
俺たちは、獲れたての魚を、村へと持ち帰った。
その日の、ポプラ村の食卓には、香ばしい、魚の塩焼きの匂いが、立ち込めていた。
農業に、漁業。
俺のスローライフは、少しずつ、だが、確実に、豊かになっていく。
それは、誰かに与えられたものではない。
俺自身の、知恵と、汗と、そして、ささやかな挑戦によって、勝ち取った、豊かさだった。
俺は、次に、何をしようか、と考えた。
そうだ、今度は、鶏でも飼って、卵を手に入れてみるのも、いいかもしれないな。
俺の、辺境の村での、挑戦と、発見の毎日は、まだまだ、続いていく。
それは、世界で一番、地味で、退屈で、そして、最高にエキサイティングな、冒険だった。




