土と汗と、筋肉痛という名の現実
亜麻色の髪の少女――後で村の子供から聞いた話では、彼女の名前は『アンナ』といい、村で唯一のパン屋の娘らしい――とのファーストコンタクトを、完璧な『商取引』で乗り切った俺は、改めて、目の前に広がる荒れ地に向き直っていた。
広さ、一ヘクタール。
数字で聞けば、大したことがないように思えるかもしれない。だが、実際に目の前にすると、その広さは絶望的ですらあった。
地面は、長年放置されていたせいで、石のように固く、腰の高さまである雑草が、これでもかと生い茂っている。大小さまざまな石が、まるで地雷のように、土の中に埋まっていた。
「……さて、と。やるか」
俺は、気合を入れ直し、村の農具小屋で借りてきた、年季の入った一丁の鍬を、固い大地に振り下ろした。
ガキンッ!
鈍い音と共に、手に、痺れるような衝撃が走る。
鍬の刃は、地面に弾かれ、ほんの数センチしか、食い込まなかった。
「……マジか」
思わず、乾いた声が漏れる。
これが、ファンタジー世界の補正もない、ただのモブの、リアルな農作業。前世で、ゲームのコントローラーを握ることしかしてこなかった俺にとって、それは、想像を絶する重労働だった。
だが、俺は、ここで諦めるわけにはいかない。
俺の理想のスローライフは、この、一ヘクタールの荒れ地を、豊かな畑に変えることから、始まるのだから。
俺は、再び、鍬を振り上げた。
一度、二度、十度、百度。
汗が、滝のように流れ落ち、額から、顎から、地面へと滴り落ちる。
腕は、鉛のように重くなり、肩は、焼けるように熱い。
それでも、俺は、無心で、鍬を振るい続けた。
ザクッ、ザクッ、と、少しずつ、土が掘り起こされていく。
時折、鍬の先に、ガツン、と硬い感触が伝わる。石だ。俺は、鍬を置き、両手で、その石を掘り起こす。中には、赤ん坊の頭ほどもある、大きな石もあった。それらを、一つ一つ、畑の外へと運び出す。
気が遠くなるような、地味で、単調な作業。
昼になり、アンナのくれたパンをかじり、ミルクで喉を潤す。普段なら、味も素っ気もない黒パンだが、汗を流した後のそれは、驚くほどに、美味かった。
午後も、作業は続く。
夕日が、西の丘に傾き始める頃には、俺の体力は、完全に限界に達していた。
今日一日で、俺が耕せたのは、広大な荒れ地のうち、ほんの、畳三畳分ほどの、僅かな面積だけ。
全身は、泥と汗にまみれ、服は、絞れるほどの汗を吸っている。
「……ははっ。こりゃ、先が思いやられるな……」
俺は、その場に、大の字で寝転がった。
空は、燃えるようなオレンジ色に染まっている。
体の、節々が、悲鳴を上げていた。筋肉という筋肉が、断末魔の叫びを上げている。
これが、スローライフの、現実。
物語のように、チートスキルで一瞬で開墾、なんてことは、起こらない。
ただ、ひたすらに、自分の体を使って、汗を流し、土と格闘する。
だが、不思議と、嫌な気はしなかった。
むしろ、この、全身を包む心地よい疲労感と、ほんの僅かだが、自分の手で切り開いた、黒々とした土の匂いが、俺に、確かな『達成感』を与えてくれていた。
「……明日も、やるか」
俺は、そう呟くと、軋む体を無理やり起こし、オンボロの我が家へと、足を引きずるようにして、帰っていった。
その夜、俺は、泥のように、眠った。
夢も見ないほどの、深い眠り。
そして、翌朝。
俺を待っていたのは、人生で経験したことのないほどの、凄まじい『筋肉痛』だった。
ベッドから起き上がることすら、困難なほどの、全身を襲う激痛。
「……いっ……てぇ……!」
作者よ、見ているか。
これが、お前の筋書きから逃れた、俺の、リアルな日常だ。
死亡フラグも、ヒロインも、魔王もいない。
あるのは、ただ、この、栄光ある筋肉痛だけだ。
俺は、呻きながらも、なんとか体を起こし、壁に立てかけてあった、あの鍬を、再び、手にした。
さあ、二日目の、戦いの始まりだ。
この、一ヘクタールの荒れ地が、俺の畑になるまで、あと、何回の筋肉痛を、乗り越えなければならないのだろうか。
俺の、本当のスローライフは、まだ、始まったばかりだった。




