辺境の村と、一人の少女
王都を出てから、揺られること、十数日。
俺は、ようやく目的地の『ポプラ村』にたどり着いた。
そこは、俺の想像以上に、何もない場所だった。
緩やかな丘陵に、十数軒の素朴な家々。村の周りには、のどかな畑と、どこまでも続く草原が広がっているだけ。ギルドも、大きな商店も、もちろん、怪しげなダンジョンもない。完璧だ。完璧なまでの、モブの村。
俺は、村の入り口で、人の良さそうな村長に挨拶し、少しばかりの金を渡して、村はずれの、打ち捨てられていた古い家と、その裏に広がる荒れ地を、安く譲ってもらうことに成功した。
その広さ、およそ一ヘクタール。
ここが、今日から、俺の城であり、俺の戦場(畑)だ。
「さて、まずは、この荒れ地を耕すところからだな……」
俺が、意気込んで、鍬を手に取った、その時だった。
「……あの」
背後から、か細い、声がした。
振り返ると、そこには、一人の少女が、おずおずと立っていた。
亜麻色の髪を三つ編みにした、そばかすの可愛い、村娘。その手には、小さな籠が握られている。
(……まずい)
俺の脳内に、警報が鳴り響く。
ヒロイン登場イベントだ。間違いない。
ここで関われば、「実は彼女は、村に隠された秘密を……」とか、「助けてください、悪い代官が……」みたいな、面倒なクエストが発生するに違いない。
俺は、即座に、仏頂面を作り、ぶっきらぼうに言い放った。
「……なんだ。見ての通り、取り込み中だ。用がないなら、あっちへ行ってくれ」
「あ……ご、ごめんなさい! その、新しい人が来たって聞いたから、お母さんが、これを……」
少女は、怯えたように、しかし、健気に、持っていた籠を差し出した。
中には、焼きたてのパンと、新鮮なミルクが入っていた。
差し入れ、というやつか。
俺は、一瞬、迷った。
これを、受け取るべきか、否か。
受け取れば、それは、彼女との『繋がり』が生まれることを意味する。フラグ建築の第一歩だ。
だが、断れば、村での人間関係が悪化するかもしれない。それは、平穏なスローライフを送る上で、致命的だ。
悩んだ末、俺は、一つの結論に至った。
「……ああ、どうも」
俺は、籠を受け取った。ただし、少女の顔は見ない。目も合わせない。
そして、懐から、銅貨を数枚取り出すと、それを、籠と引き換えに、少女の手に握らせた。
「……え?」
少女が、驚いたように、声を上げる。
「俺は、施しは受けない主義だ。これは、そのパンとミルクの『代金』だ。ちゃんと、お母さんに渡しておけ」
「で、でも、そんな……!」
「いいから、持っていけ。じゃあな」
俺は、そう言い捨てると、少女に背を向け、再び、荒れ地に向き直った。
そして、一心不乱に、鍬を振るい始めた。
これは、ただの『取引』だ。それ以上でも、それ以下でもない。
俺は、彼女との間に、恋愛フラグでも、友情フラグでもない、『商売』という名の、最もドライで、安全な関係を築いたのだ。
背後で、少女が、しばらく戸惑ったように立っていたが、やがて、小さな声で「……ありがとうございます」とだけ言うと、走り去っていった。
ふぅ、危ないところだった。
俺は、額の汗を拭うと、さっくさっくと、土を耕し続ける。
作者よ、残念だったな。
俺の、この鉄壁のフラグ回避術の前には、どんなヒロインも、ただの『パン屋さん』でしかないのだ。
俺の農業スローライフは、まだ、始まったばかりだ。




