ゴブリンの群れと攻撃力『5』の絶望
俺がスライム狩りという地道なリハビリを始めてから、三ヶ月が経った。
空に浮かぶ『黒い太陽』は、もはや空の半分を覆い尽くし、世界は常に薄暗い夕方のような光に包まれている。世界の終わりは、もう目前に迫っていた。
作者は、俺のささやかな抵抗が、よほど気に食わなかったのだろう。
その日、俺たちの村に、新たな『試練』を送り込んできた。
グルルルル……
地平線の彼方から、土煙が上がる。その正体は、緑色の肌をした、醜悪な小鬼の集団――ゴブリンの群れだった。その数、およそ100体。中には、通常よりも一回り体の大きな、ゴブリンリーダーの姿も混じっている。
村に、緊張が走る。
「ゴブリンだ! みんな、戦闘準備!」
ノワールズが、スライムガールズが、そしてアリシアやルナまでもが、武器を手に取り、村を守るために立ち上がろうとした。
「――待て。全員、手を出すな」
その、凛とした声を上げたのは、俺だった。
俺は、錆びついた剣を一本だけ手に、村の入り口に、たった一人で立ちはだかった。
「ミナセさん!? 無茶です! 今のあなたの体では……!」
ルナが、悲痛な声を上げる。
その通りだ。
俺のステータスは、今も、あの日のままだ。
《キャラクター:水無瀬》
《職業:モブ レベル:1》
《HP:30 / MP:10》
《攻撃力:5 / 防御力:5 / 素早さ:5》
攻撃力『5』。
それは、子供が振るう木の棒ほどの威力しかない。
ゴブリン一体のHPが50だとすれば、単純計算で、10回も攻撃を当てなければ倒せない。しかも、それはこちらの攻撃が全てクリーンヒットした場合の話だ。
一方、ゴブリンの攻撃力は、およそ20。俺のHPは30。
つまり、俺は、ゴブリンの攻撃を二発食らえば、死ぬ。
100体の群れを相手に、攻撃力は5、二発殴られれば即死亡。
誰がどう見ても、絶望的な状況。作者が用意した、あまりにも分かりやすい、公開処刑の舞台だった。
「マスター……!」
ノワールが、俺の背中に向かって叫ぶ。
「これは、俺の戦いだ」
俺は、振り返らずに答えた。
「お前たちが手を出せば、作者は、次にもっと強力な駒を送り込んでくるだけだ。こいつらは、俺が、一人で片付ける」
俺の、あまりに無謀な宣言に、誰もが息を呑んだ。
ゴブリンの群れが、雄叫びを上げながら、一斉に俺に向かって突撃してくる。
作者よ、お前は、この光景を見て、笑っているんだろうな。
最弱のモブが、圧倒的な数の暴力の前に、無様に蹂躙される姿を。
だが、お前は、まだ、何も分かっていない。
この三ヶ月間、俺が、ただスライムを狩り続けていただけだと、思っているのか?
俺は、静かに、剣を構えた。
ステータスじゃない。レベルでもない。
俺がこの三ヶ月で手に入れたのは、そんな、お前が作ったシステムの数値に縛られない、全く別の『強さ』だ。
「……かかってこいよ、雑魚ども」
俺は、迫りくる100体のゴブリンの群れに向かって、静かに、一歩、足を踏み出した。
絶望的な戦いの火蓋が、今、切って落とされ
ゴブリンの群れの先頭が、俺の間合いに入った。
そいつは、汚らしい棍棒を振り上げ、俺の頭蓋を叩き割ろうと、一直線に殴りかかってくる。
速い。
今の俺の、ステータス『5』の素早さでは、到底避けきれる速度じゃない。
だが、俺は、避けなかった。
棍棒が振り下ろされる、そのコンマ数秒の世界。
俺の目には、ゴブリンの動きの全てが、まるでスローモーションのように見えていた。
(……肩の入りが甘い。踏み込みが浅い。重心が、右に3ミリずれてる)
この三ヶ月、俺は、何千、何万という数のスライムを狩り続けた。
その過程で、俺は、自分の非力な体を、どうすれば最も効率的に動かせるかを、骨の髄まで叩き込んできた。
そして、それと同時に、俺は、相手の動きの『クセ』や『予備動作』、そして、ほんのわずかな『隙』を、完璧に見抜く『目』を手に入れていたのだ。
俺は、振り下ろされる棍棒を、最小限の動きで、体をわずかにひねるだけで回避する。棍棒が、俺の頬を、紙一重で掠めて空を切った。
そして、がら空きになった、ゴブリンの脇腹。
そこに、俺は、錆びた剣の切っ先を、吸い込ませるように、正確に、突き立てた。
プツリ、と、小さな手応え。
俺が狙ったのは、皮膚でも、筋肉でも、骨でもない。
ゴブリンの、数ある神経の中でも、最も痛みと麻痺を引き起こす、『急所』。生物が、最も攻撃されたくないと、本能で理解している、ただ一点。
「……ギ……?」
ゴブリンは、悲鳴を上げることすらできず、白目を剥いて、その場に崩れ落ちた。
攻撃力『5』。
その、致命傷には程遠いはずの一撃は、ゴブリンの戦闘能力を、完全に奪い去っていた。
俺は、倒れたゴブリンには目もくれず、次々と襲いかかってくる群れに向き直る。
右から来るやつの、膝の関節。
左から来るやつの、首の頸動脈が通る、皮膚の薄い部分。
後ろから回り込もうとするやつの、アキレス腱。
俺の剣は、決して、致命傷を与えない。
だが、その一撃一撃が、確実に、敵の動きを奪い、戦闘不能にしていく。
それは、もはや、戦闘というよりも、『解体作業』に近かった。
俺は、踊るように、ゴブリンの群れの中を駆け巡る。
俺の体は、一度も、敵の攻撃に触れることすらない。全ての攻撃を、最小限の動きで見切り、カウンターのように、的確に、急所だけを打ち抜いていく。
背後で、俺の戦いを見ていた村の少女たちが、信じられないものを見るような目で、呟いていた。
「……すごい……。マスターの攻撃、一発も、無駄な動きがない……」
「あれは、強さじゃない……。『技術』だ……」
そう、これこそが、俺が手に入れた、新しい力。
作者が作った、ステータスという名の『絶対的な数値の暴力』。
それを、覆すことができる、唯一の力。
それは、『圧倒的な技術』。
作者よ、お前は、俺から力を奪ったつもりだろう。
だが、そのおかげで、俺は、本当の『強さ』の意味を、知ることができた。
お前の作った、くだらないシステムの、さらにその『上』を行く力をな。
俺の、たった一人での反撃は、まだ、始まったばかりだ。




