雑魚モブへの堕落
アリシアがもたらした、絶望的な報せ。
王都の上空に浮かぶ『黒い太陽』。それは、日に日にその大きさを増し、じわじわと、しかし確実に、この世界の全てを無に帰そうとしていた。
作者による、世界の強制削除。
この、あまりにも理不尽なゲームオーバーを前に、俺は、初めて自分の無力さを噛み締めていた。
そして、作者の悪意は、それだけでは終わらなかった。
その日の夜、俺の身に、決定的な異変が起こる。
「……ぐっ……!?」
眠りについていた俺を、全身を駆け巡る激痛が襲った。まるで、体中の骨がきしみ、筋肉が悲鳴を上げているかのよう。
隣で寝ていたルナが、異変に気づいて飛び起きる。
「ミナセさん!? どうしたんですか、顔が真っ青ですよ!」
俺には、わかっていた。これが、作者による、最後の『嫌がらせ』であることを。
《キャラクター『水無瀬』のステータスを、初期化します》
《職業:モブ》
《レベル:1》
《全ての能力値を、一般村民の平均以下に再設定しました》
《スキル:『メタ知識』は、世界の終わりをただ傍観するためだけに、残しておきます》
脳内に響く、無慈悲なシステムメッセージ。
俺から、これまで培ってきた戦闘技術も、身体能力も、その全てが、ごっそりと抜き取られていく感覚。
かつて、物語の強制力でチンピラを伸し、ゴブリンキングを瞬殺した力は、もう、どこにも残っていなかった。
俺は、本当の意味で、ただの『モブ』になってしまったのだ。
それも、最弱の。
翌朝、俺は、自分の体のあまりの非力さに絶望した。
剣を振れば、腕が重さに耐えきれずに震える。
走れば、すぐに息が切れる。
もはや、野生のウサギ一匹狩ることすら、困難になっていた。
「……ははっ。徹底的に、やるじゃないか、作者」
俺は、乾いた笑いを漏らすしかなかった。
強大な敵を前に、主人公を、最弱のモブへと転落させる。これ以上の絶望はないだろう。俺に、何もさせない。ただ、無力に、世界の終わりを見届けろという、作者からの悪意に満ちたメッセージだ。
村の少女たちも、俺の異変に気づいていた。
「マスター、顔色が……」
「ミナセさん、無理しないでください!」
彼女たちは、俺を気遣い、これまで以上に俺を守ろうと、村の警備を固めてくれた。
だが、俺は、このまま終わるつもりはなかった。
俺から全てを奪ったつもりだろうが、作者よ、お前は一つ、見落としている。
俺が、ただのモブとして、諦めるタマだとでも思ったか?
俺の武器は、ステータスやスキルじゃない。
この、理不尽な物語を、絶対にクリアしてやるという、この『反骨心』だけだ。
俺は、ふらつく足で立ち上がると、一本の、錆びついた古い剣を手に取った。
それは、かつてゴブリンを倒していた頃に使っていた、一番安い量産品の剣。
今の俺には、これ一本ですら、ひどく重く感じられた。
「……見てろよ、作者。俺は、ここから、もう一度、成り上がってやる」
俺の、本当の意味での、最後の戦いが、今、始まった。
それは、世界を救う英雄譚じゃない。
ただのモブが、神に一矢報いるためだけの、泥臭い、足掻きの物語だ。
俺が、最弱のモブとなって最初にしたこと。
それは、あまりにも地味で、あまりにも非効率な『リハビリ』だった。
俺は、村の近くに生息する、最も弱い魔物――草原スライムを、一日に一体だけ、必ず自分の手で狩ることを、自らに課した。
「……はぁっ、はぁっ……!」
初日。
俺は、ただ一体のスライムを倒すのに、三時間もかかった。
錆びた剣は重く、狙いは定まらない。スライムの、弱々しい体当たりですら、よろけてしまう始末。全身は泥だらけになり、息は絶え絶え。最後は、ほとんど体当たりするように剣を押し付けて、ようやく、その一体を仕留めることができた。
その無様な姿を、村の少女たちは、遠くから心配そうに見守っていた。
「マスター……あんなことして、意味があるのでしょうか……」
「ミナセさん、見ていられないわ……」
彼女たちの言う通りかもしれない。
世界の終わりが刻一刻と迫る中で、こんな地道な努力は、無意味に見えるだろう。
だが、俺には、これしかなかった。
二日目。
俺は、昨日より少しだけ、剣を上手く振れるようになっていた。スライムを倒すのにかかった時間は、二時間半。
三日目。
二時間。
四日目、一時間半。
五日目、一時間。
……
俺は、毎日、毎日、来る日も来る日も、ただひたすらに、一体のスライムを狩り続けた。
それは、レベルアップのためではない。ステータスは、作者によって『レベル1』に固定されているのだから、意味はない。
これは、俺の体が、この『最弱』という状態に、抗うための戦いだった。
失われた身体能力を、経験と、反復練習だけで、体に思い出させる。
剣の振り方、足の運び方、力の入れ方。その全てを、ゼロから、もう一度、体に叩き込む。
そして、一ヶ月が経つ頃には、俺は、一体のスライムを、たった一振りで、無駄なく仕留めることができるようになっていた。
相変わらず、ステータスは最弱のまま。
だが、俺の体は、確実に、かつての動きを取り戻しつつあった。
そして、その頃から、俺は、狩るスライムの数を、少しずつ増やしていくことにした。
一日に、二体。
三体。
十体。
俺は、いつしか、村の周辺のスライムを、一人で殲滅できるほどの、『スライム狩りの名人』になっていた。
その姿を見て、村の少女たちの見る目も、少しずつ変わっていった。
「マスター……なんだか、前よりも、動きに無駄がなくなったような……」
「ステータスは変わらないはずなのに、どうして……?」
俺は、彼女たちの疑問に、答えることはなかった。
ただ、黙々と、剣を振るい続ける。
これは、俺と作者との、意地の張り合いだ。
お前が俺を最弱にしたというのなら、俺は、その『最弱』のままで、お前の想像を超える『最強』になってやる。
世界の終わりまで、残された時間は、あとわずか。
俺のリハビリは、まだ、終わらない。




