何も起こらない、と言う名の幸福
俺たちが、名もなき大草原に『開拓村』を築いてから、季節は二つ巡った。
ここには、何もない。
金も、権力も、情報もない。あるのは、地平線まで続く草原と、吹き抜ける風、そして、100名を超える元・魔物の少女たちとの、慎ましくも穏やかな生活だけだ。
ノワールズは、その腕力で畑を耕し、家を補強する大工仕事を担当している。スライムガールズは、その体を変化させて井戸を掘ったり、綺麗な水だけを通す濾過装置になったりと、生活のインフラを支えていた。ルナは、持ち前の優しさで、畑仕事の傍ら、みんなの食事の世話や、幼い子たちの面倒を見ていた。
そして、俺は、と言えば。
村長という名の、ただのニートだ。
一日中、丘の上の大きな木の下で昼寝をしたり、少女たちが作った拙い料理に文句をつけたり、たまに、村の周りをうろつく野生動物を狩って、食料の足しにする。
かつて王都の裏側を牛耳っていた情報網も、莫大な資産も、全て捨てた。だが、不思議と後悔はなかった。むしろ、この『何もしなくていい』という状態こそが、俺が三つの章をかけて、ようやく手に入れた、本当の『宝物』だった。
(作者も、もう諦めたかな)
この、あまりにも物語性のない、退屈な日常。これこそ、作者にとって最大の毒だ。もう、俺たちに干渉してくる気力も失せただろう。
俺は、そんな甘い希望的観測を抱きながら、うつらうつらと微睡んでいた。
その平穏が、終わりを告げる足音は、本当に、静かにやってきた。
ある晴れた日の午後。
地平線の彼方から、一つの人影が、まっすぐに、俺たちの村を目指して歩いてくるのが見えた。
村の見張りをしていたノワールが、警戒の声を上げる。
「マスター! 不審な人影です!」
その声に、村中が緊張に包まれる。畑仕事をしていた者たちは鍬を手に取り、家の中にいた者たちは、いつでも戦えるように身構えた。
だが、俺は、その人影の正体に、すぐに気づいていた。
赤いドレス。金色の髪。そして、一人で、護衛もつけずにここまでやってくる、無謀なまでの行動力。
「……全員、武器を降ろせ。……お客さんだ」
俺の言葉に、村の少女たちは戸惑いながらも、その警戒を解いた。
やがて、その人影――王女アリシアは、息を切らしながら、俺の目の前にたどり着いた。彼女は、旅の汚れでドレスをくすませ、その額には汗が滲んでいたが、その瞳は、かつての憎悪ではなく、何かを決意したような、強い光を宿していた。
「……ようやく、見つけたぞ。ミナセ」
「何の用だ、姫様。こんな、物語の隅っこみたいな場所まで。あんたの軍勢はどうした?」
俺の皮肉に、アリシアは力なく首を振った。
「……国は、もうない」
「……は?」
予想外の言葉に、俺は思わず、間抜けな声を上げた。
アリシアは、絞り出すような声で、信じがたい事実を語り始めた。
「……貴様たちが姿を消した後、全てが狂い始めた。王都の上空に、巨大な『黒い太陽』が出現したのだ。それは、この世界そのものを喰らい尽くす、本物の『災厄』……。人々はそれを、『神の嘆き』と呼んだ」
『神の嘆き』。
その言葉を聞いた瞬間、俺は全てを悟った。
作者だ。
俺という主人公が物語から退場し、その物語が強制的に終了したことに逆ギレした作者が、ついに、この世界そのものを『削除』するという、最終手段に打って出たのだ。
ビジネスも、権力も、俺の築き上げた全てを無に帰す、究極の『ちゃぶ台返し』。
「私の軍も、民も、皆、あの黒い太陽に飲み込まれて消えた……。生き残ったのは、私と、ほんの一握りの者たちだけだ。……なあ、ミナセ。これも、お前の言う『物語』なのか? これが、お前が望んだ結末なのか?」
アリシアの問いに、俺は答えることができなかった。
俺は、物語から逃げた。だが、その結果、物語そのものが、世界を道連れに、最悪のバッドエンドを迎えようとしている。
これは、俺が、この物語の登場人物として、最後に、向き合わなければならない『責任』なのかもしれない。
《最終章:世界の終わり(ゲームオーバー)》
《このシナリオから、貴様は、もう、逃げることはできない》
脳内に響く、もはや嘲笑としか思えない、作者からの最後のメッセージ。
俺の、長くて退屈だったはずの平穏は、世界そのものの終わりという、最悪の形で、終わりを告げた。




