王女(ヒロイン)の暴走と、モブの最終決断
俺の『くすぐり地獄』作戦によって、『マッスル騎士団』は文字通り壊滅した。彼らは、心に深いトラウマを刻み込まれながらも(物理的には)無傷で解放され、王城へと逃げ帰っていった。
その報告を受けた王女アリシアの反応は、俺の想像を遥かに超えていた。
王城の玉座の間。俺のスパイ網からもたらされた情報によれば、そこでは、アリシアの怒声が響き渡っていたという。
「……ふざけるな! 私の騎士団を……国を、ここまで愚弄するとは! もはや、あの男に、一片の慈悲も不要!」
彼女の瞳から、かつての好奇心や、物語の登場人物としての輝きは、完全に消え失せていた。そこにあるのは、プライドをズタズタにされ、引き返せなくなった者の、剥き出しの憎悪だけ。
作者(神)は、ついに、ヒロインを『暴走』させるという禁じ手に打って出たのだ。
「全軍に告ぐ! これより、『忘れられた迷宮』及び、その周辺一帯の完全殲滅作戦を開始する!」
宰相や重臣たちの制止も聞かず、アリシアは叫んだ。
「魔導兵器の使用を許可する! 奴らのアジトごと、周辺の区画も、そこに住む民間人も、全て焼き払え! あの男に関わる全てのものを、この地上から消し去るのだ!」
……その報せを、ダンジョン最深部の司令室で聞いた俺は、静かに目を閉じた。
「……やりすぎだろ、作者」
民間人を巻き込む。それは、もはや物語の展開ですらない。ただの、八つ当たり。作者が、俺への憎しみだけで、この世界の無関係なNPCたちを、駒として殺そうとしている。
俺は、今まで、どんな理不尽な展開も、どんな悪質な罠も、ゲームとして、遊びとして、楽しんできた。作者の筋書きを破壊し、その反応を見て、ほくそ笑んできた。
だが、これは違う。
これは、俺が守るべき『モブの矜持』を踏み越えた、許されざる一線だ。
俺がモブでいたいのは、物語の中心で輝く英雄や、悲劇のヒロインになりたくないからだ。そしてそれは、名もなき他のモブたちが、物語の都合で理不尽に殺されるのを見過ごすということじゃない。
「……マスター?」
ノワールが、俺の険しい表情を、不安そうに覗き込む。
俺は、ゆっくりと目を開けた。そして、俺の人生における、最も重大な決断を下した。
「……全員、聞け」
俺の声に、司令室に集まっていたノワールズ、スライムガールズ、そしてルナが、一斉に俺に注目する。
「このダンジョンを、放棄する」
「「「えっ!?」」」
全員が、驚きの声を上げた。
「俺たちがここにいる限り、アリシアは……いや、作者は、攻撃の手を緩めない。そして、その巻き添えで、関係のない街の人たちが死ぬ。それは、俺の流儀に反する」
俺は、静かに続けた。
「だから、俺たちは、ここから消える。この物語から、完全に退場する」
俺は、立ち上がると、これまで築き上げてきた全てを、見渡した。
この最強の要塞。スパイ網から得られる莫大な富。王都の裏側を支配できるほどの情報力。
「……全部、捨てる」
俺の言葉に、誰もが息を呑んだ。
「このダンジョンも、金も、情報も、何もかも、ここに置いていく。そして、俺たちは、誰も知らない場所へ行く。作者のシナリオが、絶対に届かない場所へ」
それは、俺にとって、最大の『敗北』であり、そして、最高の『勝利』を意味する決断だった。
作者とのゲームに、俺は、自ら『投了』を宣言したのだ。
だが、それは、作者が作った盤上から、自らの意志で降りるということ。物語の駒であることを、完全に放棄するということ。
その夜。
王都の全軍が、迷宮に総攻撃を仕掛ける、数時間前。
俺たちは、誰にも気づかれることなく、秘密の通路を使って地上へ脱出した。俺の懐には、当面の生活費となる、ほんのわずかな金貨だけ。
俺は、100名を超える元・魔物の少女たちと、一人のエルフの少女を引き連れて、振り返ることなく、王都を後にした。
目指す先はない。ただ、ひたすらに、文明から、物語から、遠い場所へ。
数週間後。
俺たちは、人里離れた、広大な草原にいた。地平線まで続く緑の絨毯。遮るものは何もなく、空はどこまでも青い。
ここなら、もう、アリシアの軍勢も、作者の悪意も、届くことはないだろう。
俺たちは、そこに、小さな集落を作り始めた。家を建て、畑を耕し、水を引く。
金も、便利な道具も、何もない。全てが、一からの手作りだ。
非効率で、泥臭くて、お世辞にも楽とは言えない生活。
だが、不思議と、俺の心は、今まで感じたことがないほど、穏やかだった。
「マスター! 見てください、綺麗な花が咲いてます!」
「ミナセさん、お昼ご飯ができましたよー!」
少女たちの、屈託のない笑顔と声。
ここにはもう、死亡フラグも、ご都合主義も、テンプレ展開も存在しない。
ただ、穏やかな時間が、ゆっくりと流れていくだけ。
俺は、大きく伸びをすると、草原の草の上に、大の字で寝転がった。
ああ、そうだ。
俺が、本当に欲しかったのは、これだったのかもしれないな。
何者でもない、ただの俺として生きる、名もなき日常。
作者よ、お前の勝ちだ。
そして、俺の勝ちだ。
この、何も起こらない、退屈なだけの最高のエンディングを、お前に捧ぐ。




