第六話 どうやら不味いことになったらしい
山が、呼吸した。
そんな馬鹿な。
俺は目を擦った。
もう一度、北の山を見る。
何も起きない。
木々に覆われた山肌。
雲のかかった山頂。
どこにでもある山だ。
ただし、《真眼》には違うものが見えている。
【解析対象――】
【古代竜骸――否定】
【対象状態:生存】
「…………」
俺は窓を閉めた。
「帰ろう」
「え?」
リナが目を丸くする。
「月白銀は?」
「いらない」
「剣は?」
「直さない」
「おじいちゃん怒るよ?」
「怒らせておけ」
命より薪割り用の剣の方が大事なら、俺にはもうどうしようもない。
鍛冶屋の主人が眉をひそめた。
「おい。どうした?」
「北の鉱山には行きません」
「……まあ、それが賢明だな」
「ですよね」
「あそこじゃ人が消えてる」
「ですよね!」
よかった。
まともな人がいた。
「レオン」
「なんだ」
「怖いの?」
リナが聞いてきた。
「怖い」
「即答なんだ」
「人が消える鉱山だぞ。怖くない奴がおかしい」
「冒険者だったのに?」
「だから怖いんだよ」
冒険者は勇敢だから生き残るんじゃない。
危険な場所に行かない奴が生き残る。
少なくとも、戦えない鑑定士だった俺はそうして生き延びてきた。
俺はもう一度だけ窓を見る。
山は動かない。
気のせい。
そういうことにしよう。
初代勇者の剣も。
黒曜竜晶も。
古代竜も。
俺には関係ない。
俺は静かに暮らしたい。
◇
「レオンさん! 大変です!」
その日の夜。
静かな暮らしは終わった。
村長が家の扉を叩いていた。
「なんですか?」
「畑が!」
「畑?」
「とにかく来てください!」
嫌な予感しかしない。
外へ出る。
村人たちが松明を持って、畑の周囲に集まっていた。
その中心。
地面に大穴が開いている。
「……何これ」
「分かりません」
村長が首を振る。
「夕方にはなかったんです」
穴は直径三メートルほど。
真っ暗で底が見えない。
俺は近づく。
「レオン!」
リナがいた。
「なんでいるんだ」
「みんな出てきたから」
「子供は家にいろ」
「レオンだって怖いって言ってたじゃん」
「大人には怖くても確認しなきゃいけないときがあるんだ」
「ずるい」
「大人だからな」
穴を覗き込む。
冷たい空気が吹き上がってきた。
妙な匂いがする。
土じゃない。
鉄?
いや。
もっと生臭い。
俺は《真眼》を使った。
【解析中】
【土壌】
【粘土:31.2%】
【砂:18.6%】
【有機物――】
表示が乱れた。
「……?」
もう一度見る。
【解析対象変更】
【対象:孔】
【深度:測定不能】
【内部魔力濃度:――】
【警告】
初めて見る表示だった。
赤い。
【解析を中止してください】
「…………」
俺は目を逸らした。
心臓が速くなる。
今まで《真眼》に「見るな」と言われたことなんてない。
「レオンさん?」
村長が不安そうに俺を見る。
「この穴、埋めましょう」
「何か分かったんですか?」
「何も分からないからです」
分からないものには近づかない。
冒険者時代に身につけた鉄則だ。
「土持ってきてください。石でも何でもいい。とにかく塞いで――」
ズズッ。
穴の奥から音がした。
全員が止まった。
「……今の何?」
リナが聞く。
「知らない」
ズズッ。
また。
何かが擦れる音。
下から。
近づいてくる。
「全員、離れろ」
俺は後退する。
「早く!」
村人たちが穴から離れた。
俺もリナの腕を掴んで下がる。
ズズッ。
ズズッ。
音が大きくなる。
そして。
穴から何かが這い出した。
「…………」
黒い。
最初は巨大な蛇だと思った。
違う。
太さは俺の胴体ほど。
表面を黒い鱗が覆っている。
先端には五本の鉤爪。
「腕……?」
誰かが呟いた。
そうだ。
腕だ。
何かの腕だけが、地面から生えている。
村人が悲鳴を上げた。
「逃げろ!」
黒い腕が動く。
地面を掴む。
土が抉れる。
その力で、穴の中にある本体を引き上げようとしている。
まずい。
俺は《真眼》を向けた。
【解析を中止してください】
「知るか!」
見る。
無理やり見る。
文字が激しく明滅する。
【解析中】
【対象:竜種――】
【否定】
【魔物――】
【否定】
【生物――】
【否定】
「……は?」
生物じゃない?
じゃあこれは何だ。
【対象分類不能】
【構成物質――】
【黒曜竜晶:43.7%】
息が止まった。
「黒曜……竜晶?」
村の漬物石。
あの黒い石と同じもの。
腕が地面を掻く。
そのたびに土が飛ぶ。
俺はさらに見る。
【月白銀:8.1%】
「…………」
探していた素材まで入っている。
何なんだ、こいつ。
【未確認物質:48.2%】
【魔力反応:なし】
【生命反応:なし】
【行動目的――】
そこで。
表示が止まった。
【行動目的:回収】
「回収?」
何を?
黒い腕が突然方向を変えた。
俺ではない。
村人でもない。
村の中央。
ガルドさんの家。
正確には――。
「まさか」
あそこには、今日持ち帰ったものがある。
竜断剣アルディオン。
黒い腕が地面を這い始めた。
「止めろ!」
村の男たちが鍬を持って飛びかかる。
「待て!」
遅い。
ガンッ!
鍬が腕に当たった。
刃が折れた。
「なっ――」
腕が薙ぎ払う。
男が吹き飛ばされた。
「父ちゃん!」
リナが走り出す。
「行くな!」
俺は反射的にリナを掴んだ。
男は動かない。
血は出ている。
だが胸は動いている。
生きてる。
「誰か運べ!」
村人二人が男を引きずっていく。
黒い腕は追わない。
やはり人間には興味がない。
ガルドさんの家だけを目指している。
――回収。
聖剣を取り戻そうとしている?
だったら渡せばいい。
一瞬そう思った。
国宝だろうが何だろうが、命には代えられない。
「ガルドさん!」
俺は叫ぶ。
「剣を持ってきてください!」
家の扉が開く。
ガルドさんが出てきた。
「これか?」
手には竜断剣。
「投げて!」
「何!?」
「いいから!」
ガルドさんが剣を投げる。
俺は受け取った。
重い。
黒い腕が止まる。
ゆっくり。
こちらを向いた。
「……やっぱり」
目的はこれだ。
俺は剣を穴の方へ投げようとした。
そのとき。
視界に文字が浮かんだ。
【警告】
【竜断剣アルディオン試作一号】
【所有権限:不一致】
「所有……?」
表示が増える。
【回収対象:該当せず】
「え?」
黒い腕が動いた。
俺へ。
いや。
俺の腰。
そこにぶら下げていた袋へ。
鍛冶屋から持ち帰った黒曜竜晶。
「こっち!?」
俺は袋を外す。
腕が追う。
「じゃあこれか!」
黒曜竜晶を放り投げる。
石が地面を転がる。
腕は――止まらない。
「違う!?」
何を回収しようとしてる?
聖剣じゃない。
黒曜竜晶でもない。
俺は自分を見る。
服。
短剣。
財布。
何もない。
《真眼》。
【解析中】
【対象:自己】
【所持品一覧――】
表示が流れる。
その中に。
知らない項目が一つあった。
【付着物:古代竜魔力片】
「…………いつ?」
思い当たる。
山を見たとき。
俺は《真眼》で無理やり解析した。
あの瞬間。
【付着時刻:本日14時32分】
合っている。
黒い腕が迫る。
つまり。
こいつが回収しようとしているのは――
「俺かよ!」
逃げる。
全力で。
「レオン!」
「来るな!」
村の外へ向かって走る。
俺がいれば村が襲われる。
だったら離れるしかない。
背後で地面が砕ける。
腕が追ってくる。
速い。
人間の走る速度じゃ逃げ切れない。
考えろ。
俺は戦えない。
魔法も弱い。
剣も使えない。
でも。
見える。
それだけだ。
俺は振り返る。
《真眼》。
【対象分類不能】
【構成物質:黒曜竜晶43.7%/月白銀8.1%/未確認物質48.2%】
違う。
欲しいのはそこじゃない。
「どう壊す?」
意識した。
今まで考えたこともなかった。
鑑定は物の情報を見る能力。
そう思っていた。
だが俺に必要なのは価値でも素材でもない。
この状況を変える情報だ。
「見せろ」
文字が消える。
代わりに。
【検索条件:破壊】
初めて見る項目が出現した。
「……できるのか」
情報が再構築される。
【外殻強度:測定限界以上】
【打撃:無効】
【斬撃:無効】
【火炎:耐性】
【冷却:耐性】
駄目じゃねえか!
腕が迫る。
【構造欠陥検索中】
「早く!」
【検索中】
「早くしろ!」
十メートル。
五メートル。
三メートル。
【検出】
赤い一点が見えた。
腕の付け根。
【接続部:未確認物質含有率3.1%】
【構造安定性:低】
【推奨破壊方法――】
俺は手を見る。
武器がない。
ある。
竜断剣。
ガルドさんの薪割り剣。
【推奨攻撃位置:接続部より4.2cm】
「そこか!」
剣を抜く。
錆びている。
刃こぼれしている。
俺は剣士じゃない。
構え方すら怪しい。
でも。
場所だけは分かる。
黒い腕が振り下ろされる。
「うおおおっ!」
剣を振った。
ガキン!
衝撃で両腕が痺れる。
剣が折れ――
ない。
赤い点に刃が入る。
ピシッ。
黒い腕に亀裂が走った。
次の瞬間。
バキン!
腕が砕けた。
大量の黒い破片が地面に散らばる。
「…………」
静かになった。
俺は尻餅をついた。
「勝った……?」
違う。
倒してない。
腕一本を壊しただけだ。
地面に転がった破片を見る。
【黒曜竜晶】
【純度:87.1%】
【月白銀含有】
月白銀。
探していたものが向こうから来た。
「……素材、手に入ったな」
笑いそうになった。
その瞬間。
地面が揺れた。
ドン。
「…………」
山を見る。
ドン。
また。
今度は気のせいじゃない。
山肌から鳥の群れが一斉に飛び立つ。
ドン。
山が上下する。
呼吸じゃない。
鼓動。
俺の《真眼》が勝手に起動した。
【警告】
【古代竜魔力片:回収失敗】
【第二回収機構:起動】
「第二……?」
嫌な文字が続く。
【覚醒進行率:0.01%】
そして。
山の中腹。
夜の闇の中に。
巨大な青白い光が一つ灯った。
最初、それが何なのか分からなかった。
だが。
ゆっくり瞬きをしたのを見て、理解した。
目だ。
山に。
目が開いた。
俺はしばらくそれを見つめて。
「…………引っ越そう」
本気でそう思った。




