第004話 辺境行きの馬車と白銀狐
辺境行きの乗合馬車は、王都の馬車とは比べものにならないほど揺れた。クッションは薄く、窓枠は軋み、隣の商人は干し肉の匂いをまとっている。だがリディアは不快だと思わなかった。豪華な馬車で沈黙を強いられるより、揺れる馬車で地図を広げられるほうがずっといい。
三日目の夕方、馬車が霧の峠で止まった。御者が舌打ちし、前方を指す。道の真ん中に、白銀の毛玉が倒れていた。狐に似ているが、耳の先が淡く光り、尾は体より大きい。魔物かもしれない。乗客たちは遠巻きにしたが、リディアにはその周囲の魔力の流れが弱く乱れているように見えた。
「怪我をしています」
「お嬢さん、噛まれるぞ」
「噛まれた場合の手当は考えます」
リディアは布を広げ、白銀の狐をそっと包んだ。狐は薄目を開け、彼女の指先を見た。噛まれる覚悟をしたが、狐はただ、鞄の中の照明石へ鼻を寄せる。弱い光が狐の毛並みに反射し、霧の中で小さな灯りになった。
峠の休憩小屋で、リディアは狐の傷に薬草を当てた。魔石の欠片が肉球に刺さっている。抜こうとした瞬間、狐が低く鳴いた。痛みではなく警告だ。欠片の魔力が濁っている。リディアは前世の安全確認を思い出し、素手で触れず、布と木片で慎重に取り除いた。
欠片が外れると、狐はふらりと立ち上がった。そして当然のように、リディアの鞄の上へ丸くなる。
「そこはあなたの席ではありません」
狐は目を閉じた。
「聞こえていますね」
尾が一度だけ揺れる。リディアは負けた気がした。名前をつける予定はなかったが、白銀の毛並みが霧に溶けるようだったので、フォルと呼ぶことにした。
フォルはただの狐ではなかった。夜になると、危険な魔石を前足で弾き、良い魔石には顎を乗せる。品質検査としては乱暴だが、精度は高い。リディアは帳簿に「白銀狐、仮採用」と書き、すぐ横に「食費未定」と追記した。
馬車の中で、リディアは初めて少し眠った。フォルの体温が膝にあり、窓の外では北の星が流れている。王都を出てからずっと張りつめていた神経が、少しだけ緩んだ。ひとりではない、というには早い。けれど完全にひとりでもない。その中間の温かさが、今の彼女には十分だった。
翌朝、商人が言った。「お嬢さん、その狐は縁起がいい。北では白銀の獣は古い契約の使いだって言う」
「契約」
その言葉に、リディアは廃工房の図面にあった竜骨水路の注記を思い出した。偶然にしては、符号が多い。
ミストリアへ向かう最後の坂道で、フォルが突然顔を上げた。霧の向こうに、灰色の屋根と古い煙突が見える。廃工房だ。リディアの新しい人生の始点。彼女は鞄の紐を握り直し、まだ眠そうなフォルへ言った。「行きましょう。食費分は働いてもらいます」
フォルは返事の代わりに、尻尾で彼女の手首を軽く叩いた。まるで、契約成立と言うように。




