第002話 魔力ゼロ令嬢、仕様書を見る
翌朝、リディアは宿の粗末な机に魔導具の破片を並べた。王城から出る時、廊下の隅に捨てられていた照明石だ。王都の魔導師なら失敗品として処分するだろう。けれど彼女の目には、破片の内側に走る線が、前世で見たソースコードのように見えていた。赤い注釈が浮かび、欠陥の場所を示す。
魔力ゼロ令嬢。そう呼ばれ続けた言葉が、急に別の意味を帯びる。リディアには魔力を押し出す才能は乏しい。だが、魔法の目的、条件、失敗時の動きが読める。魔法を祈りとして扱う王都では不要とされた能力だ。けれど道具を作るなら、これほど必要な力はない。
彼女は羊皮紙に三つの欄を書いた。誰が使うか。何をしたいか。失敗した時どう止まるか。前世の業務で何度も書かされた要件定義が、いま魔法の言葉に重なっていく。ペン先が光り、古い照明石のひびがゆっくり塞がった。派手な閃光はない。小さな、けれど安定した灯りが机を照らした。
「……できた」
声に出した瞬間、胸の奥が震えた。王城で何年も否定された自分の力が、安宿の机の上で静かに証明された。誰も拍手しない。誰も褒めない。それでも十分だった。自分が自分の証人になれたからだ。
ただし、浮かれる暇はない。カイルが約束を守るとは限らないし、セラフィナが黙るとも思えない。リディアは修復した照明石に「試作一号」と書いた札を貼り、次に慰謝料の契約書を読み直した。灰灯工房は、王都から北へ五日。ミストリアという霧深い町の外れにある。二十年前に閉鎖され、今は誰も管理していない。
リディアは地図を広げ、道中の宿と費用を書き出した。前世の自分なら、逃げる計画すら会社の許可を待ったかもしれない。今は違う。行き先も、予算も、休憩時間も、自分で決める。自由とは華やかなものではなく、こうして必要なものを自分の手で数えることなのだと知る。
窓の外では、王都の鐘が鳴った。かつてはその音に合わせて舞踏会の準備や礼拝へ向かった。今のリディアには、出発時刻を知らせる合図でしかない。彼女は荷物を少なくまとめ、不要なドレスを売る品として分けた。過去の飾りは、未来の工具代に変えればいい。
宿の女将が心配そうに声をかけた。「お嬢様、本当にお一人で北へ?」
「はい。お嬢様ではなくなりましたので」
「それは、悪いことで?」
リディアは少し考え、首を振った。「いいえ。たぶん、やっと仕事を選べるようになりました」
出発前、彼女は照明石をもう一度見た。弱い灯りだ。王城の大広間を照らすには足りない。けれど夜道で足元を見るには十分である。リディアはその小さな十分さを、何より愛おしいと思った。
馬車の切符を握った時、封蝋の押された手紙が宿へ届いた。差出人はカイル。謝罪ではないだろう。リディアは封を切らず、荷物の底へ入れた。読むのは移動中でいい。過去に割く時間は、こちらで決める。




