第66話 極光
そして俺と叶と楸は、隣の市に電車でやって来た。
楸のお願いというのは簡単に言うと、まだ退院出来なくて暇をしている音織柊榎のお見舞いに来てほしいというものだった。
そして俺がそれを断るはずもない。
俺が退院するとき、柊榎ちゃんはわざわざ俺の病室まで訪れて、そして喜んでくれたのだから。そんな友達のお見舞いだったら、何回だって行きたいものだ。
* * *
「蒼汰さんが治してくれたんですよね、私の病気」
退院の日。
緋奈が迎えに来るというので、病院の受付前の椅子に座ってそれを待っている間、一緒に居てくれた柊榎ちゃんが急にそんなことを言ってきた。
「へ?」
実際的にはそうだが、現実的にはそれはあり得ないことなので、普通の人間である柊榎ちゃんにはそれが分かるはずはない。
だから俺は、キョトンとせざるを得なかった。
「感じたんです。蒼汰さんと握手したとき、私の中に何か温かいものが流れ込んでくるのを」
ドキッとした。
確かにあの時、俺は行使権限を使って音織柊榎の『不治の病を治療』したが、しかしそれを柊榎ちゃんが知覚出来るとは露ほども思わなかったのである。
「そんなわけ……ないだろ。俺は医者でもないんだし、柊榎ちゃんの病気を治せたりしないよ」
「ですが、あの時から本当に、重かった身体が軽く感じるようになったんです。私の病気は治る見込みなんてなかったことを、私は知っています。だとしたらこんな奇跡を起こせるのは、なんの前触れもなく突然私の目の前に現れたあなたなんじゃないかって……」
「柊榎ちゃん、奇跡ってのは誰が起こせるもんでもないから、奇跡って言うんだ」
柊榎ちゃんは俺の言葉に、なぜか少し寂しそうな顔を見せた。
「そう、ですよね……。身に覚えのないことで恩を感じられても困りますよね。ごめんなさい」
「いや、いいよ別に。本当に不思議なことだもんな。何かきっかけがあったんじゃないかって思うのは、自然なことだ」
前よりも自然に、嘘をつけるようになった。
しかしそれを前向きにも後ろ向きにも捉えていない。単なる現前とした事実として、俺は受け止めている。
時間が流れて何かが変わるということは、そういうことだからだ。
「ありがとうございます。あの……」
「ん?」
柊榎ちゃんの方を見ると、初めて会ったときよりも数段顔色の良くなった愛らしい顔を、なぜだか照れ臭そうに俯かせていた。
「もし、私の病気を治してくれたのが蒼汰さんじゃなかったとしても、私は蒼汰さんに会えて本当に良かったです」
これからも、仲良くしてくださいね? と。
改まってそんな風に言われると、こっちの方が恥ずかしくなってしまう。
しかし格好をつけてしまいがちな俺は、あくまで平静を装って、
「こちらこそ」
そう笑い掛けた。
* * *
「叶?」
駅から病院までの道中、楸と談笑しながら歩いていて、ふと叶がいつもよりも大人しいことに気付いて声を掛けた。
「ふ、ふえっ!? 何、蒼ちゃん」
「いや、なんかさっきから喋らないから、どうしたのかと思って」
「ん、お姉さん調子悪いの?」
少し前を歩いていた楸が、フラットに叶の顔を覗き込む。
「べ、別に調子は悪くないよ? ただ、ちょっと緊張しちゃって……」
「緊張? なんでだよ?」
ただ病院にお見舞いに行くだけなのに。
「だ、だって、あの“オーロラの歌姫”、音織柊榎ちゃんのお見舞いに行くんでしょ?」
「オーロラの歌姫? なんだそりゃ」
俺が首を傾げていると、楸が少し驚いたように口を開く。
「へー、お姉さんはお姉ちゃんの異名を知ってるんだね。そこまで浸透してるわけじゃないのに」
「それはそうだよ、だってファンだもん……」
「ふふ、お姉ちゃんはファンの人と話すの好きだから、喜ぶと思うよ」
「ちょっと待ってくれ。どうして“オーロラの歌姫”なのか気になるんだけど」
俺の疑問に答えたのは当人の妹である楸だった。
「いや、そんな大した逸話があるわけじゃないんだよ。ただお姉ちゃんの歌を聞いた有名な評論家が、『彼女の放つ音色はオーロラのようだ。その色合い、揺らぎは、人々の心を魅了し時間を忘れさせる』って言って、それで“オーロラの歌姫”って言われるようになったの」
「へえ、そんなすごい子だったのか、柊榎ちゃんは」
「今頃気付いたの?」
楸が呆れた表情で俺を見てくる。
「仕方ないだろ、俺は芸能にはそんなに詳しくないんだ」
「まあ、私もお姉ちゃん以外の歌手はよく知らないけどね」
とんだシスコンである。
「まさか、蒼ちゃんが柊榎ちゃんと知り合いとは……。世の中何があるか分からないね」
「生きてて良かったろ?」
「そう……だね」
そう言いながら、叶は浮かない表情だった。
いつもそうだ。
叶は、笑っていても楽しそうじゃない。
俺はそれが嫌だった。
だから、いつか絶対、叶の心に巣くっている闇を取り払ってやるんだ。
「ふーむ、なんか訳あり?」
そう言いながら俺達の様子を窺う楸は、流石中学生とは思えない洞察力である。
「ま、いろいろあるんだよ、大人は」
適当に濁しただけのつもりだったが、楸は子供扱いされたのが嫌だったのか頬を膨らませていた。
そんな楸を可愛いなぁと思いながらふと前を見ると、ついこの間まで入院していた病院が目と鼻の先まで迫っていた――。




